Ep.8 赤髪の傭兵

 クラーケンを退け、船の上は再び平和を取り戻すと、再び目的地に向かって進み始めた。

 無傷、とまでは行かなかったが、海路を進むには問題がないらしく、船員は船の補強を進めていた。

 先程のクラーケンとの戦いで活躍した赤髪の傭兵は、甲板で海を見ていた。あの戦いの前はただの観光かと思ったが、今思えばもしかしたら見張りをしていたのかもしれない。真実は彼のみが知るわけだが。

 傭兵がこちらの様子を伺うイグルとフェイルに気がつけば「よぉ」と、愛想のいい笑顔で手を上げた。


「さっきは災難だったなぁ。怪我はなかったか?」

「あ、はい。あの、助けていただいてありがとうございました」


 イグルはペコリと頭を下げると「いいっていいって。仕事だからな」と笑った。


「そーいや名前聞いてなかったな。俺はユーリス。ユーリス・ディカティオ。見ての通り雇われ兵だ。よろしく、天司御一行」


 そう言うとユーリスは手を差し出した。「お近づきの印に、ってな」と言うと、イグルとフェイルにウィンクをする。


「あ、えと、イグル・リヒカイドです」

「……フェイル・リヒカイド」


 イグルは先を越されてしまった、と慌てた様子で名乗りその手を取る。一方フェイルは少し不貞腐れた様子でぶっきらぼうに名乗った。


「イグルとフェイルな、よろしく。そんで、ご縁があったらご贔屓に?なんてな」

「ユーリスさんはこの辺で活動してる方、なんですか?傭兵団とか……」

「いんや、ソロで旅しながら傭兵してるんだ。今回みたいに、目的地まで乗せてくれる代わりに護衛として働かせてもらうぜ、って感じでな」


 おかげさまで色んなところに行けるんだぜ、とユーリスは嬉しそうに笑った。傭兵というのは金で動くもの、という印象が強かったイグルは、ユーリスのような傭兵もいるのか、と一人思った。


「そんで?ノスウィゼには何しにいくんだ?」

「他の天司を探しに行け、ってお告げをされたので、一度イフリールに」

「お告げ?教会かなんかに言われたのか?」

「えぇと、教会というか、神様に……?」


 ほぉ、とユーリスは首を傾げた。なんて説明すればいいんだろう、とイグルもしどろもどろになる。


「信者なら分かんだろ、慈悲と救済の神ミロンシファル様だよ。天司はその神様のお告げを受けて旅すんの」

「へぇ!マジで神様なんてもんから指示が飛んでくんのか、教会が裏でやってんのかと思ってたぜ」


 すげー、と半分馬鹿にしてるような態度が気に入らないのか、フェイルはムッとした顔でユーリスの顔を見る。一方イグルは、ユーリスの何も知らないような口ぶりに首を傾げる。


「ユーリスさんはその、天司伝承はご存じない、んですか?」

「あー、存在は知ってる。でも俺はそういう空想?おとぎ話?っていうの?あんま興味なくてさ。お前達のこともポエルードでその話題で持ちきりだったから小耳に挟んでた程度だったんだよ」

「そ、そうだったんですね……」


 ここに来て自分と価値観の似た人物に初めて出会ったイグルは、思わず胸を撫で下ろした。

 ここまで熱心な信者にしか出会わなかったから感覚が麻痺していたが、よかった、自分がおかしいわけではないんだ、と。

 何か悟ったように「その様子じゃ、なんか随分苦労したみたいだな」とユーリスは苦笑いを浮かべる。それに「はい……」とイグルも困った笑みを浮かべた。


「おいおい、いま現実に起こってることを、やれおとぎ話だ空想だーで片付けられちゃ、たまったもんじゃないぞ」


 ムスッと口をへの字に曲げ、あからさまに不機嫌そうな態度でフェイルは二人を見た。「特にイグル!当事者!!」と指を指せば、思わず本人も飛び上がる。


「お、そういうお前さんは結構熱心な信者さんか」

「信者じゃない、学者だ!俺はガキの頃からこの伝承について調べてんだよ!!」


 その辺のただ崇めてる奴らと一緒にすんな!と更にヘソを曲げるフェイル。


「へぇ、そりゃ立派なもんだ」

「すみません兄が……」

「はは、いーよいーよ。そんだけ真剣ってことだろ?かわいい兄貴じゃねぇか」

「誰が可愛いって!?」


 ケラケラ笑うユーリスに声を荒らげるフェイルを見て「や、やめてよ兄さん……」と、イグルはおどおどと何故か虫の居所が悪いフェイルを窘めた。


「何に腹立ててるのか俺は知らねぇが、そうやってムキになれるのは本気の証だろ?俺はそういうやつ嫌いじゃねぇけどな」

「本気も何も、この世界でほんとに起こってる時事問題なんだよ!!そんな軽く考えてもらっちゃ困るって言ってるんだ!」

「時事問題、ねぇ。あいにく傭兵には政治すら遠い存在なもんでな。そんなやつにやれ世界が滅びるぞーなんて言われても、すぐに深刻に考えられるほど現実味がねぇんだわ」


 悪いなぁ、と肩を竦めて困ったように笑うユーリスを見て、フェイルは一層眉間に皺を寄せた。


「な、何にそんなに怒ってるの兄さん!?ユーリスさんは別に伝承とかを馬鹿にしたりしてるわけじゃないよ」

「いーや、現実問題になり始めた伝承を、空想とかおとぎ話だーとか軽視してる時点で馬鹿にしてるね!!」


 イグルもそう思うだろ!?と同意を求められると、イグルは思わず乾いた笑いを浮かべるしかできなかった。……兄よ。それはあまりに誇張解釈し過ぎなのではないか……?

 そもそもイグルはユーリス側の考えの人間だ。フェイルの言うことが理解できなかった。

 できないが、兄が理解できない側の人間の言い方に腹を立てたのは事実だ。

 だからきっと、自分もユーリスのように思ってる、――なんて言ってしまった日には、きっとまた伝承講座という名の長い説教が始まるのだろう。

 フェイルの数日の件で高まりに高まったこの熱量の事だ、今しがた出会ったばかりのユーリスすらも巻き込みかねない。流石にそれは気の毒だ。だからイグルは、否定もせず肯定もせず。ひとまずやり過ごすことにした。


「あー……参ったな、そんなつもりで言ったわけじゃなかったんだが……、癇に障ったんなら悪いな?」

「おま、全然悪いと思ってないだろ!!」

「生憎、生まれてこの方そういう思考で生きてきたもんだからな。考え方の違いってことで一つ許してくれよ、な?」

「なんだそれ、そんなちゃちな理由で馬鹿にされた事を許せるような考えじゃなくてね!!誠心誠意謝ってもらわないと気がすまないな!!」

「誠心誠意って言ってもなぁ……、悪いと思ってないことに誠心誠意謝れってのは、ちと無理があるぜ」


 困ったような笑みを浮かべ、頬を掻くユーリス。その平謝りに更に怒りの温度を上げたフェイル。

 イグルは悟った。――あぁ、この論争は平行線だ。どちらかが折れなければ終わらない。

 そしてこの会話からして……どちらも折れるような質じゃない。おそらく、いや確実に、兄とユーリスは相性が悪い。


「と、とにかくさっきは助けてもらってありがとうございました!」


 今は一刻も早く、温厚に対応してるユーリスの怒りの沸点が頂点に達する前に離したほうがいい。そう判断したイグルは兄の腕を掴んで客室に戻ることにした。「離せよイグル!!また決着ついてないぞ!!」とフェイルは抗議するが、イグルは「いいから……!」と聞かずに腕を引っ張った。ユーリスは「気にすんなー」と気を使わせたことを悟ったのか眉を下げて笑って、それ以上追うようなことはしなかった。……が


「あ、行く前に一個だけ言わせてくれ!」


 遠ざかる兄弟に呼びかけた。兄弟は片や疑問符を浮かべ、片や不機嫌な顔のままその呼びかけに耳を傾ける。「なに、ただの傭兵の戯言だ!」と笑ったあと、赤毛の傭兵は続ける。


「神様のお告げとか、そういうのを信じる信じないは自由だけどな。大事なことは、お前自身の考えで決めたほうがいいぜ」


 その声色は、随分と真面目に聞こえた。


「おい、どういう――」


 フェイルが再び噛み付こうとしたが、ユーリスはそれを気にすることもなく、また愛想のいい笑みで「じゃあな、いい旅を!」といい、その体を海の方に戻した。


「何なんだあの傭兵野郎……」

「と、とにかく戻るよ兄さん。もう……助けてくれた人なんだからきちんとお礼言わないとだめじゃないか……」


 悪態をつくフェイルの腕を掴んだまま、イグルは再び自分の客室に向かい歩き出した。


 穏やかさを取り戻した船は、予定通りの海路を進み、ポエルードより少し北側の港町、ノスウィゼへ――。

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