Ep17.鎖に囚われた少女

 宿の階段を駆け下り、ドアを開けて外に飛び出したイグルは、裏庭へと向かった。

 部屋の中は電気がついていたからなんとなくわかりにくかったが、たしかに裏庭の小屋から淡い緑色の光が漏れている。イグルのヘヴァイスジュエルと呼応するように、光は同時に点滅を繰り返していた。

 夢のこと、ジュエルのこと……、偶然にしてはできすぎている。そう感じたイグルは、ゴクリと固唾を呑んで扉に手を伸ばした。

 ノックを二回。それで一度様子を見る。


「……誰か、いますか?」


 声をかけてみる。どちらにせよ、反応はない。ドアに手を伸ばすと、ドアノブが回った。


「え、鍵……かかって、ない……?」


 女の子一人が住んでる(であろう)部屋に、鍵がかかってないのはいささか不用心がすぎる。もしかしたら最悪の事態に……、嫌な予感が過るが、それはないと信じて、イグルはドアを開けた。

 ギィィ……と嫌な音が耳に響く。中を見てみると、本当に狭い小屋で、道具なども置かれているあたり、もはや倉庫というべき場所だ。

 ――そして、そこに申し訳程度に置かれた、棚に布をかけただけのボロボロのベッドの上に、彼女は座っていた。


「!!よかった、無事、で……?」


 安堵するも、様子のおかしさに首を傾げた。

 いつも見せてくれていた明るい表情は虚ろで、目には光がない。そして何より異質なのは、手錠だ。

 腕につけられた頑丈そうな分厚い手錠。それを少女は虚ろな目のまま、腕ごと手錠を乱暴に引っ張っている。まるで、その鎖を壊そうとするかのように。

 このままでは彼女の腕に傷ができてしまう。やめさせなければと思いイグルは慌てて近寄った。


「だ、大丈夫!?そんなに乱暴にやったら、腕に痣ができちゃうよ……!?」


 少女は応えず、ただ虚ろな目のままその行為を繰り返している。外に出たがっているのか、彼女はその虚ろな目のままドアの一点を見つめているように見えた。そちらに向かって進もうとしているが、ベッドに括り付けられ、繋がれた手錠が邪魔で行けない。そういう状況らしい。

 どう止めればいいのか、とあたふたしていると、彼女のポケットから緑の光が漏れているのに気がついた。この小屋から漏れていたのはこれだったのか、と理解すると、光は徐々に消えていき、沈黙した。それは自分のヘヴァイスジュエルも同じで、まるで案内が終わったというかのようだった。

 光が収まれば、少女の抜け出そうとする乱暴な動きも収まり、急に糸が切れたように倒れ込む。イグルは彼女が床に体を打ち付けないように慌てて支える。


「わ、と……、だ、大丈夫……?」


 支えながらも声をかけるが、完全に意識を落としたらしい。しばらくしたら寝息が聞こえてきた。

 他に容態は悪くないのか、彼女を寝かせた後に軽く診察をする。息もあるし、脈も正常なようだ。その事実に安堵しながらも、今のは一体何だったのだろうか、と少し思考を巡らせる。

 彼女の先程の行動は夢遊病のようなものだろうか。そして、自分のヘヴァイスジュエルが呼応して、たどり着いた途端消えたということは、彼女もヘヴァイスジュエルを持っているのだろうか……、ポケットが光っていたから、そこにあるのだろうが、寝ている女の子の服を弄るような行為をできる度胸は流石に持ち合わせていなかった。

 もし、そのポケットで光っていたのがヘヴァイスジュエルで、彼女が天司であるのならば。自分がここに導かれたのも、どれだけ探しても見つからなかったのも、その怪力も、なんとなく説明がつくような気がする。

 しばらく床に座り、彼女の様子を窺いながら考察に耽っていると、「ん……」と少女が身動ぎながら目を覚した。


「……あれ、イグル……、なんでここに……?」

「気がついた?大丈夫?」

「大丈夫……?うーん、不思議な夢を見たくらい……、痛っ」


 寝ぼけながら目を擦ろうとした彼女だが、腕を動かそうとしたところで小さく悲鳴を上げる。


「どこが痛い?」

「腕……」

「手錠のところかな……、さっき乱暴に外そうとしてたから」

「え、そうなの……?」


 少女は少し不安げに首を傾げる。様子から見るに、彼女は先程の自分の行動を覚えていないようだ。


「痣になる前にできる治療はしておきたいけど……、手錠の鍵って、流石に場所わからないよね」

「……うん……。……、ごめんね、イグル……、じゃない、天司さま」


 急に"天司さま"なんて呼ばれてイグルは思わず固まってしまった。今までそんな呼び方一度もしてこなかったのに、急によそよそしくなってしまって……、突然開いた心の距離のようなものに、イグルも戸惑いを隠せずいた。


「ど、うしたの、突然」

「……宿のおばさんから聞いたの。イグルたちは、世界を救う天司さまと、そのお供様なんだって。だから、絶対に迷惑をかけてはいけないんだって。……疫病神の私は、近づいちゃいけないんだって」


 申し訳なさそうに眉を下げて呟けば、少女はえへへ、と困り顔で笑った。

 ……こんな状況でも、この子は笑うのか。イグルは胸が痛くなるのを感じた。


「ごめんね、私なんにも知らなくて……、怪我とか全然大丈夫だから!だからもう、宿に戻って――」

「大丈夫じゃ、ないよ」


 俯きつぶやくイグルに、少女は首を傾げた。


「……君のつらそうな笑顔をみて、大丈夫だなんて、思えないよ」


 イグルはバッと顔を上げ、少女を見た。突然向けられた真っ直ぐな視線に、少女は目を背ける。


「だ、だって、イグルは天司さまなんでしょ?世界を救う救世主さまなんでしょ?私なんかに構ってたら、街の人とかに邪険にされたり……イグルに迷惑かけちゃう……」

「天司とか、そんなの関係ないよ!!」


 勢いのままに、イグルは少女の手を握った。

 驚いた少女の目線が、イグルを再び捉える。

 ――二人の視線が交わる。


「僕は今、君の……君の、友達として!!君を助けに来たんだ!」


 振り払われてもいい、気持ち悪がられてもいい。今は、この街でできた初めての友人として、自分の言葉を聞いてほしい。その一心だけだった。

 暫く、痛いほどの沈黙が空間を支配する。必死だったイグルは、自分のしたことが過ちだったかと後悔の念が押し寄せてきて、何か取り繕う言葉を探し始めていた。

 しかし、その沈黙を破ったのは――

 

「……とも、だち……?」


 ――見開いた目から涙を流してつぶやいた、少女の声だった。

 泣かれたこと、否、泣かせてしまったことに血の気が引くのを感じる。やってしまった、もしかして、自分はとんでもないやらかしをしてしまったのか。焦りと混乱で思考回路が無駄に急回転する。


「ご、ごめ、僕みたいなやつが友達って、や、やっぱりい、嫌、だ……よね……!?」


 慌てて掴んだ手を離そうとすると、少女はそれを繋ぎ止めるように、今度はイグルの手を掴んだ。

 怪力と言われる少女のものだとは思えない、繊細で、か弱い握り方だった。


「違うよ、違うの。……嬉しくて」


 ボロボロと涙をとめどなく溢れさせる少女が嬉し泣きながら微笑む。


「初めてなの、お友達って、言ってもらえたの。……久しぶりなの、こんなふうに……優しくしてもらえたの。……だから私、嬉しくて。世界は、ちゃんと私にも優しくなってくれるんだって。……とっても、嬉しくて」


 イグルの手を包むように握る。腕を動かすと、ジャラ……と手錠の鎖が当たり擦れる音が響く。雲の切れ間から覗いた月明かりが部屋と二人を照らす。

 近くでちゃんと見て、初めて気がついた。少女の体は、生傷が絶えなかった。手錠の隙間から、手首が痛々しい赤い痣ができてしまっているのが見える。ちゃんと食べていないのか、不健康な痩せ方をしている。……こんなに優しい少女なのに、どうしてこんなにも、不幸な目にあっているのか。イグルはその非情な現実に、思わず唇を噛み締めた。


「……、……友達だよ。初めて、僕に声をかけてくれたときから、ずっと、君は僕の友達だから」


 すこしでも、自分の言葉で彼女が笑ってくれるのならば。その傷を癒やすことができるのなら。……そう願って、イグルは握られた手をそっと握り返した。

 

 少女は、「そっかぁ」と、泣きながら笑ってくれた。

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