Ep.18 虐げられた天司

「……落ち着いた?」


 月明かりだけがあたりを照らす、宿の裏庭にぽつんと立つ古い木造の小屋。イグルは、泣きじゃくる少女の背中をさすりながら様子を伺った。


「うん、大丈夫。ありがとうイグル」


 目が赤く腫れた少女はえへへ、と照れながら笑ってみせた。その笑顔には先程までの陰りはない。イグルもホッとしながらも、やはりこの子の笑顔が好きだな、なんて心の中でひとりごちた。


「……そういえばずっと名前、聞けてなかったよね。名前はなんていうの?」


 今までの状況ですっかり後手後手に回ってしまったが、イグルは名乗ったが少女の名前は聞きそびれていたのだ。ここまで来て「君」なんて呼び続けるのはなんだかよそよそしいだろう。決して好きな子のことをもっと知りたいとかいう、下心などではない。決して。

 少女の方は、誰に向けたでもない弁解を述べるイグルの内心など全く気づきもせず、「そういえばそうだね?」と首を傾げた後、少し困ったように笑う。


「ないの。名前」

「え?」


 予想外の返答が帰ってきて、イグルは耳を疑う。


「えっと、ホントはある……のかも?でも私は、自分の名前知らないんだ。多分誰もそれっぽいような名前読んでくれたことないし、誰も知らないのかも」


 変だよねぇ、とまるで気にしてないかのように少女は笑う。

 名前がない、という発想などそもそも持ち合わせていなかったイグルは、何気ない質問で彼女を傷つけてしまったのではないか、と動揺が広がる。


「ご、ごめん……」

「?どうして謝るの?」


 少女は首を傾げる。


「……嫌なこと、聞いちゃったかな、って」


 思って……、と申し訳無さに言葉をフェードアウトしながら俯くイグル。しかし、それとは対象的に、少女は明るい口調で、


「全然!不思議だなーとは思うけど、私にとってはずーっとこれが普通だったし!」


 大丈夫だよ、と笑った。

 その笑顔があまりに眩しく見えて、イグルは思わず目をそらした。人とは違う状況でもそんなに笑っていられるのはなぜなのだろうが。情けなくも彼女の心の持ちようは、自分にはできない芸当だ。


「……なんで、って、思わなかったの?」


 自分は周りと違うんだ、とか、羨ましいな、とか。そういった思いは抱かなかったのだろうか。おずおずとイグルは疑問を口にする。少女は考えるように人差し指を顎に当て、考えるように天井を見上げた。


「思わなかった、って言ったら嘘になっちゃうけど……、私には魔法の言葉があるから、大丈夫だったよ」

「魔法の言葉?」


 少女は頷くと、穏やかに目を伏せて続けた。


「"今が苦しくても、必ず世界が優しくなる日が来る"……。今はもう亡くなっちゃったんだけど、宿のおばさんたちにお世話になる前、ずっと面倒みてくれてたおじいちゃんがいてね。そう言ってくれたんだ。今はみんなにいじめられたり、悲しくなったり、辛いことがいっぱいあるだろうけど……、信じ続ければいつかきっと、素敵な人が現れて、それで、世界の方から私に優しくしてくれるようになる日が来るんだって」


 だから、どんなことがあっても大丈夫なんだ。そう言って、少女は優しく微笑んだ。

 ――言葉一つで、そんなにも強くなれるのか。

 健気で芯の強い彼女があまりにも眩しくて、「そっか」と、一言だけ返した。


「そういえば、イグルはこんな時間にここまで来てどうしたの??何かあった?」


 彼女が首を傾げる。そこでようやく本来聞かなければならないことの存在を思い出し、イグルも「あっ」と声を上げた。


「そうだ、へヴァイスジュエル……!あの、君のポケットの中に入ってるものを見せてほしいんだ」

「ポケット?なんで?」

「えぇと……、実は――」


 どこから話すべきか……、思考を巡らせながら、ひとまずここに来た経緯を簡単に話した。緑の光が小屋から漏れていたこと、イグルが自分の手首に紐を巻いてなくさないようにしているへヴァイスジュエルを見せて、これもそれに反応するように光っていたこと、もしかしたら自分たちが探している人が持ってるものと同じなのかもしれないこと……、その辺りを掻い摘む。

 少女は事情を聞くと、ボロボロのワンピースのポケットに手を入れ、中からものを取り出す。


「入ってるものって言えば、これくらいだけど……」


 大したものじゃないと思うけどなぁ、と首を傾げながら手を開く。

 手の中には、イグルの予想してた通りまだ台座に嵌められていない、剥き身の緑色の宝石があった。宝石の中には自分の持つものと同じ紋章が刻印されている。

 今まで街で聴き込んで、心当たりがあると言って見せられてきた宝石とは違う、明らかな存在感と既視感がある宝石――自分が最初に手にしたときと同じ状況のへヴァイスジュエルが、そこにあった。


「!やっぱり、そうだ……!!」


 声を上げるイグルに、何がなんだかわからず首を傾げる少女。あのね、と説明をしようとイグルが口を開くと、突如外から複数の足音が響いてきた。

 二人の意識がドアの先に向く。そして扉を乱暴に叩かれ、ドアノブを忙しなく回す音が響く。その後、大きな音を立てて扉が開け放たれた。

 部屋も外も暗くて、誰が入ってきたのかわからず、切れた息の音とギィギィと扉の金具が軋む音が響く。

 見たところ、男性が二人。相当焦ってるのか、すごい剣幕で小屋に迫ってきた片方の男に、イグルは小さく悲鳴を上げた。

 が、すぐに後ろのもう一人の男がランプをつけると、暗闇の中で二人の顔が照らされる。


「だい、じょーぶか、イグルぅ!!」

「いたいた、男女水入らずのところ悪いな、邪魔するぜ」


 現れたのは、顔面蒼白で肩で息をするフェイルと、呆れながらもどこか面白おかしそうに笑いながらひらひらと手を振るユーリスだった。


 ひとまず現れた二人には大まかにあったこと――特に心配性のフェイルには、突然イグルが宿を飛び出したことしか知らないので念入りに――を説明し、彼女がへヴァイスジュエルを持っていることを話すと腕を組んで「なるほどなぁ……」と頷いた。


「天司が選ばれたのに当の本人がこんな扱い受けてるんじゃ、天司が誰だーなんて、街の連中が知るわけもない……ってとこか」

「うん……、ねぇ、これが手元に……来た、とき?のことって覚えてる?」


 無機物がやってくるという言い回しにいささか違和感を覚えながらも、それ以上に適切な言い回しが思いつかず、不自然な言葉でイグルは少女に尋ねる。

 少女は「えっと」と少し慌てながら


「不思議な夢を見た……かな。誰かが私に手を差し出してて、私はその手を握って……、それからいろんな街の風景が見えて、その後高くておっきい塔?を登っていく夢……。それで、男の人……かな、誰かが話しかけてきて、そこで目が覚めたの。そしたらこれがあって……」


 とへヴァイスジュエルを見せながら答えた。夢の中に多少の差異はあれど、自分と似た状況である事を確認すると、イグルはフェイルの顔を見た。


「……たぶん、この子は天司で間違いない、んだと思う」

「みたいだな」


 二人頷くと、少女は驚き、「えっ、え?」とイグルとフェイルの顔を交互に見た。


「わ、私が、天司さま……なの?天司さまって、世界を救うすごい人なんでしょ?私ぜんぜん、むしろ街で一番の嫌われ者なのに……」

「天司の選抜って地位とかそういうの関係ないみたいなんだよ。イグル……というか、俺ん家自体も医者の家系だってこと以外は何もない普通の家だしな」

「……でも、私……」


 現実が受け止められないのか、動揺して青い瞳を揺らす少女は、宝石をぎゅ、と握りしめた。信じられないのも無理はない。事実イグルだって受け入れるのにかなりかかっているし、現状も完全に天司という役割を受け入れられているわけではない。


「ま、信じられなくても救済の間まで行けば全部わかる話だ。早速遺跡に……」

「いや、この深夜に行くのは得策とは言えねぇな。遺跡は今魔物の住処だ。月明かり程度しか入んねぇ場所で大勢で松明持って入ってみろ、隠れることすらできないぜ?そのままぺしゃんこにされて人生終了ゲームオーバーだ」

 

 勢いに任せようとするフェイルをユーリスが静止する。む、と反論しようとしたが、ユーリスの言うことは最もで、フェイルはぐぅの音も出ず押し黙った。

 

「……遺跡って、町の外、だよね。……なら私、やっぱり行けないや」

「え、なんで」


 少女はそう聞かれると、自分の手に嵌められた手錠を見せ、困ったように笑う。


「おばさんたちに"お前は迷惑ばかりかけるから、天司様たちが旅立たれるまでここから出るな"って言われちゃったんだ」


 だからいけないの、というと目を伏せた。声こそ明るく振る舞っているものの、その表情は悲しく沈んでいた。


「そんな、そんなのってあんまりじゃないか!僕達は、僕は迷惑なんて一度も思ったことないのに」

「でも、私こんなだし……今は大丈夫でも、もしかしたらこの先、みんなに迷惑かけたりしちゃうのは、ホントのことだから。だったら私、ここで――」

「あぁ、その件なら話つけてあるぜ」


 柱に寄りかかっていたユーリスは、人差し指で何かリングをくるくる回して遊ばせながら言った。そのリングの先には鍵のようなものが光っている。


「宿のおかみさんから手錠の鍵を貰ってきた。その発言は撤回するって言ってたぜ。だからここに閉じこもる必要も、言いなりになる必要もねぇ」


 そう言うと、少女の前で目線を合わせるようにしゃがんだ。手を出すように言うと、驚きながらも少女がそれに従う。

 背後で「言った、っていうか、言わせてた、の方があってると思うけどな……」とフェイルのボソリとした呟きは、イグル以外には届いていなかったようだ。


「人様が迷惑と思うかどうかは、その相手次第だ。第三者がいやが決めることじゃねぇ。だからお前さんもここで大人しく燻ってる必要もねぇんだ」


 手錠の鍵が外れる音がすると、静かだった小屋の中に、重い金属と鎖がジャラジャラと床に転がる音が響く。少女の腕が自由になると、ユーリスは立ち上がる。


「……ま、ついてくるかどうか、決めるのはお前だけどな。ついてきても迷惑だとは思わないぜ」


 な、イグルの頭をワシャワシャとすると、不意打ちだったイグルは「わ、わ」と慌てながらもブンブンと縦に頷いた。


「……私が、決めてもいいの?……ほんとに、イグルたちに迷惑にならない?」


 おずおずと遠慮気味に、しかし初めて子供がプレゼントを貰ったときのようなキラキラとした希望のこもった目をしながら、少女は三人を見た。

 ユーリスは自分はもう答えたと言うように微笑んでから二人を見やる。


「ぼ、僕は全然、むしろ一緒に来てくれるなら、嬉しいな、なんて……」

「俺も。というか、来てくれないほうが困るっちゃ困るかもな〜」


 フェイルがぼやくように言って間もなく、「いでっ!!」と悲鳴を上げた。どうやらユーリスに足を踏まれたらしい。しばらく唸り、てめぇ何しやがる、自分の言ったことを思い返してみな、と、二人のいつものしょうもない喧嘩が始まった。それを困ったように笑いながらも止めないイグル。少女はその三人の姿を見て、ぱちくりと目を瞬きしていたが、次第におかしくなってきたのか、楽しそうに笑い始めた。

 イグルはその様子を見て、彼女の笑顔が戻ったことに安堵しながら、取っ組み合いを始める兄と傭兵を横目に、一緒にクスクスと笑ったのだった。

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