Ep.9 港町での旅支度

「だぁーー!!あんの傭兵野郎やっぱムカつく!!」


 兄はご乱心だった。

 あのあと船は無事ノスウィゼに到着し、荷物の運び出しを手伝った後、イグルとフェイルもイフリールに向けた旅支度をしていた。


「まだ怒ってるの?兄さん……」

「だってあいつ、天司伝承は空想だ、おとぎ話だーなんて言いやがって……!!」


 空想、おとぎ話。自分の研究対象をそのような言葉に置き換えられたことが、相当頭にきてしまったようだ。フェイルは不機嫌を隠すことなどせずに、口を尖らせていた。


「ユーリスさんはそもそも、信者ってわけじゃなさそうだから、さ?そういう宗教的な考え方の違いは仕方ないと思うよ」

「信じてないからって馬鹿にするのはいいのかよ」

「……それは、兄さんの勘違いだと、思う……」


 確信はないが。少なくとも、イグル目線あの会話で馬鹿にしていると解釈するのは……少々湾曲がすぎている気がする。といってもイグルはどちらかというと件の傭兵側……信仰心のないユーリス側の人間だから余計にそう思うのかもしれない。

 少なくとも、今の兄は冷静ではない。それだけはわかる。だからひとまず、落ち着いてもらいたいと思うイグルであった。


「くっそー、イグルが天司の力とか見せてやれば、絶対信じるのに……」

「天司の、力?」


 新たな情報にイグルは首を傾げた。自分は魔術も何も勉強してない一般人だ。そのような力など持ってるわけがないのだが……。


「天司ってのはミロンシファルの加護を受けてる。だから、ミロンシファルの加護を能力的な力として使えるって言われてるんだよ」

「へぇ……」

「なんかこう、できねぇの?火出すとか、風を起こすとか」


 イグルは困惑した。それは無茶振りである。さっきも言ったとおり、イグルは魔術のまの字もかじっていない。そんな人間が突然火を出せ風を起こせと言われても、そもそもやり方がわかるわけがないのだ。


「ちょ、ちょっとそれは無理、かな……多分……」

「やってみたのか?」

「それは、ない、けど……」

「じゃあできるかもしれないじゃん」

「うっ……」


 ぐうの音も出なかった。これは素直にイグルの悪い癖だ。試してもないのに、できないと判断するところ。

 しかし、今回は多少なりとも根拠があった。


「そ、そもそも魔術は限られた人しか使えないんだよ?僕はそういうの勉強してないし……。というか、前に魔術適正はないって、検査で言われたよ」


 検査というのは、かなり前に行われた、イグルの通う学校での検査のことだ。

 学校では、魔術の適性についての検査を行い、そこで魔術の素質があるものは、魔術の授業を専攻することができた。

 その検査で、イグルは"素質なし"の判定を受けていた。イグルは医学を専攻で取りたがっていたため、判定に心から安堵したことを覚えている。

 なぜなら、"選択できる"、はあくまで建前で、素質あり判定を受けたものは、全員魔術専攻を取らざるを得なくなるからだ。イグルは、それを小耳に挟んだことがあった。

 それほどまでに、この世界における魔術の適性とは希少で、貴重なのだ。


「え、ないの?」

「うん」

「……そっかぁ」


 フェイルは残念そうに肩を落とした。

 どうやら諦めてくれたらしい。……ホッとするはずなのに、なぜだろう、イグルはその反応に少し傷ついていた。


「でも、何か力を授かってるのは確かだと思う。だから、なんかあったら必ず教えろよ!!」


 ビシィと指をさされ、勢いのまま頷くイグルだった。


 ノスウィゼでの旅の物資調達を終えた頃には、すでに日が落ちていた。ここからは徒歩でイフリールへと向かう為、野宿用の食材、寝袋、薬草や武器……。ある程度の準備だけをして飛び出してきた自分たちに必要な旅支度をする為に港町の店を転々としているだけで、時間というのはあっという間に過ぎてしまった。

 二人は相談した結果、今日はこのままノスウィゼの宿で一泊し、次の日の早朝に出ることにしたのだった。

 運良く宿の空き部屋を確保した二人は、案内された部屋で買ったものの整理を始めた。

 イグルは薬草や魔物避けの香水を腰のポーチに詰め終え、一つ息をついた。そして、新たに手に入れた小型のナイフをみて、少し憂鬱そうに眉を下げる。

 徒歩での移動。それはつまり、魔物や野盗との遭遇の可能性があるということ。イグルは護身の術など持ってなかったため、せめての護身用にと武器を手にすることになった。


「基本的には何かあったら俺が守ってやるつもりだし、イグルは戦うより逃げること優先な」


 と兄も言っていたから、このナイフを振るう日が来ないと思いたいが、やはり不測の事態というのは多かれ少なかれ発生するものだ。護身とはいえ、誰かを助けるための勉強をしてきた自分が、何かに傷をつけなければならない、そんな事態が起こると思うと、やはり気分が落ち込んだ。

 戦いなんて生まれてこの方縁がなかった。それこそ、先の海上でのクラーケンとの戦いだって、イグルは治療の手伝い程度を不慣れながらもやる程度のことしかできなかったのだ。結局のところ、戦闘の前線からは離れて、遠目で戦いを見ているだけだった。

 あのときのユーリスの剣さばきは、本当に見事だった。隙のない、軽やかで敵の急所を狙う動き。彼は相当の鍛錬を積んでいるであろう戦いのプロだから当然なのだろうが、それでもやはり彼のあの強さは、とても安心感があった。


「……ユーリスさんがいてくれたら、きっと旅も安心なんだろうな……」


 思わず、本音がポロリと溢れた。同室で荷物整理をしていたフェイルは当然、それを聞き逃さなかった。


「なんだよ、まさかあの傭兵野郎を雇いたい〜とか言うんじゃないだろうな」

「えっ、それは……、だって、僕達は戦いは不慣れだし、ユーリスさんは戦いのプロだから、いてくれたら安心だなって、思うじゃないか」


 思ったことを遠慮気味にこぼせば、フェイルは眉を顰め、口を経の字に曲げた。


「伝承を馬鹿にするようなやつに、救済の旅の護衛なんて俺はごめんだ!!それに傭兵ってのは金で動くんだぜ?もし暗殺目的のやつとか現れてみろ、金積まれたら一瞬で寝返るに決まってる」

「それは、そうかもだけど……、でも、ユーリスさんはお金は受け取らないって……」

「んなもんその場しのぎの嘘だね。イグルだって今日、身を持って旅には金が必要だってこと理解したろ?いくら腕が立つからって宿代とか薬代とか、そういうのの金稼ぎは必要なんだよ」


 それはたしかにそうだ。自分たちは教会から資金援助があるからどうにか最低限でも物資を揃えることができたが、普通はこうは行かない。幾ら腕が立っても、絶対にお金を貰わないでいることは到底不可能なのだ。


「……それはわかってる、けど……」

「俺だって剣は一応できるし、もし護衛つけてもらうなら、教会で腕が立つ人をお願いしたほうがずっと安心だって。な?あんな胡散臭い傭兵野郎のこと当てにするなよ」


 イグルは黙って頷くことしかできなかった。兄の言うことは最もだし、納得できるから。おとなしく言うことを聞くことにした。


「ほら、明日も早いし、準備できたら寝るぞー。案外為せば成るからさ、あんま心配しすぎんなよ」

「……うん」


 イグルたちは部屋の電気を消して、ベッドに潜った。少し時間が経てば、隣のベッドからは寝息が聞こえてくる。

 イグルも寝ようと目を閉じたが、やはり慣れない環境と、この先の不安でどうにも寝付けなかった。


(やっぱり、頼めないかなぁ……)

  

 あのとき自分と家族を助けてくれたヒーローの姿を、イグルは忘れることができなかったのだった。

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