Ep.10 アンファの森にて
夜が明け、イグルとフェイルは宿を後にすると、ノスウィゼからイフリールへ旅路へと着く。木々が生い茂るアンファの森に入れば、ノスウィゼの港町の姿など一瞬で見えなくなり、あたり一面が木々ばかりになった。
「太陽の位置さえ見逃さなけりゃ方角はどうにかなる。さ、日が高いうちに行こうぜ」
「う、うん……」
荷物を抱え、二人は鬱蒼とした森の中を進んだ。
しかし――
「どうにもなってないじゃないかぁ!!」
――案の定、迷子になっていた。
太陽が真上に来た頃だろうか。方位磁針の動きが鈍くなり、次第に針がぐるぐると回るだけになってしまい、使い物にならなくなってしまった。それでもなんとか太陽を頼りに歩いていたが、ついに自分たちの現在地を見失ってしまったのだった。
「あっれぇ……おかしいな……、さっきこっちから来たから……そろそろ目印の森小屋が見えてくるはずなのに……」
フェイルも頭を掻き首をひねりながら、しまいには地図自体を回し始める始末だ。イグルはため息をついた。
「やっぱり、僕達このへんの土地勘ないんだから馬車とかにのせてもらうべきだったんだよ……」
「し、仕方ねぇだろー!?馬車雇うにも教会の補助出るの船だけだし、イフリール行く商人もいないんじゃ徒歩でいくしかねぇじゃん!!」
「それは、そうかもしれないけど……」
そこまで急ぐ必要もないんじゃないか、と言おうとして、その言葉は静かに心の中に留めた。兄ならきっとこう言うだろう。「世界の滅亡は待っちゃくれねぇぞ」と。
「こ、これからどうするの……?闇雲に歩いてもまた迷うだけだよ」
「それでも進むしかないだろ?止まってたって何もはじまらないんだから」
「……それは、かなり無謀だと、思う……」
そろそろ胃が痛くなってきた。イグルは幸先の悪さに大きく肩を落とす。どうしてこうもうまく行かないのだろうか……、人生あまりにままならない。
フェイルも唸りながら地図と太陽を交互に見て、時々壊れた方位磁針が何かの手違いで治ってないか見ながらこの後の動きを考えていると、ガサ、と茂みから音がする。
「……?」
誰かいるのかとそちらを向けば、茂みの隙間から金色の目と目があった。
刹那
「「「グァアアァア!!!」」」
茂みから現れた黒い獣たちが、叫び声と共にイグルに飛びかかった。
「えっ……!?」
とっさのことで動けなかったイグルはその場で尻餅をつく。獣は好機とその隙を逃さず、涎をダラダラ流した口を大きく開いた。
食べられる……、イグルはどうしょうもない状況に目をぎゅっと閉じた。
「イグル!!」
兄の声が聞こえる。本当に、不甲斐ない弟でごめん。イグルは心の中で懺悔を繰り返す。
しかし、痛みは一向に襲ってこない。
恐る恐る目を開けると、目の前には兄の背中。
そして、その足元にはボタボタと血が流れていた。
「に、兄さん!!」
フェイルの腕が、噛みつかれていた。
「く、っそが……!!」
痛みに呻きながらも、空いてる拳で思いっきり獣の脳天を叩くと、獣は「ギャン!」と悲鳴を上げ、兄の腕から口を離した。
噛み付いただけでは当然相手も満足しないようで、グルルルと威嚇をし、こちらに殺意を向けている。
「兄さん、血が……!!」
「ここは俺がどうにかするから、イグルは逃げろ!」
噛みつかれた腕を庇いながらもフェイルは剣を抜いて臨戦態勢を取る。
無茶だ。敵は三匹、小型の獣とはいえ片腕を庇ったまま一人で相手にするには分が悪すぎる。それにここはあちらのテリトリーと言っても差し支えない。増援なんて来たときには本当に獣たちの餌になってしまう。
自分も加勢しなくては、虚勢だろうと。そうでないと兄が死んでしまう。死にまでしなくても、取り返しのつかない怪我をおってしまう。イグルも頭ではそう思っていた。だが、思考と相反して、足が竦んで、腰が引けて動けない。
(助けて、誰か――!!)
イグルは無力に、ないものにすがるしかなかった。
――ヒュン!
何かが空を切る音がした。
「キャン!」
そのコンマ数秒後に、獣が一匹情けない声を上げる。薄らと目を開けると、声を上げたであろう獣に、一本の短剣が刺さっていた。
小さな獣たちの意識は敵襲の方向に向く。そこにいたのは、赤い髪の男。
船で自分たちを助けてくれた、あの傭兵。
「油断してたからお仲間、死んじまったぜ?そら、見逃してやるから死にたくなかったらさっさと巣に帰りな」
ガサガサと茂みを掻き分けて獣の方に近づくと、亡骸に刺さった短剣をぐっと引き抜く。ピッと短剣を振って血を払うと、獣を鋭い眼光で睨みつけた。
その凄みに臆したのか、獣たちは少し後ずさったあと、飛ぶようにして茂みの中へと飛び込み、音を立てて逃げていった。音も遠くなっていく。
森の中は風に揺れる木々のさざめきだけが木霊した。
「あんたらも災難続きだなぁ。大丈夫か?」
赤毛の傭兵――ユーリスは短剣を鞘に納めながらイグルたちに振り返りにっと笑ってみせた。
「な、なんでここに」
戸惑い気味にフェイルが聞くと、ユーリスは首を傾げながら「なんでってか、ほぼ偶然なんだけどなぁ」とぼやく。
「野営場決まったから焚き火用の木を拾って歩いてたら聞き覚えのある声が聞こえたから来てみたら、って感じ?」
「……そんな運良く見つかるかよ……」
「見つかるんだなぁこれが。……それにしても」
不満げな態度を隠さずに睨むフェイルを、ユーリスはじっと見つめる。噛まれた腕を庇いながら「なんだよ」とフェイルは悪態をついた。
「小物相手に派手にやられたな。手当してやろうか」
「いらねぇ、こんくらいツバつけときゃ――」
「だめだよ!!」
「うおっ、イグル」
食い気味にイグルが声を上げた。それに驚く兄と、キョトンと首を傾げるユーリス。
イグルは噛まれた腕から垂れ続ける血を、ずっと不安視していたのだ。小型の獣だったとはいえ、歯が刺さっていた箇所だ、放置しておくなんてありえない。
「や、野生の動物に噛まれたんだよ、なんの病気持ってるかわかんないんだよ!兄さん腕、壊死して使い物にならなくなっちゃってもいいの!?」
「お、落ち着けって」
「見栄張ってる場合じゃないんだよ!!早く手当しないと……!!ユーリスさんすみません、手伝ってもらってもいいですか!?」
まくし立てるように言いながらイグルは荷物をおろし、中から包帯と傷薬を取り出した。腰に予めつけていたポーチからも簡易的な治療道具を出す。
「おぉ、そのつもりだったからな。手当の心得があるのか?」
「一応、旅に出る前まで医学を学んでたので。兄さんも座って!!腕診せて!!」
「お、おう」
弟の剣幕に少し引き気味に返事をしながらも座り、患部を出した。
この兄にしてこの弟あり、というべきか。伝承を馬鹿にされることが地雷な兄を持つイグルもまた、怪我などを軽視することが、数少ない地雷だった。
「……結構深い……」
「あの手の魔物は小柄でも歯は鋭い。大型なら噛み千切られてただろうな」
不幸中の幸いだったな、とユーリスは目を伏せると、フェイルの腕を強く掴んだ。
「いっ!?もっと優しくしろよ!?」
「んな無茶な。止血も兼ねてるから我慢しろよー。……もっとも、この後が一番痛いだろうがな」
「……行くよ兄さん、我慢してね」
フェイルはイグルの持つひたひたの綿にヒュ、と顔を青ざめさせた。背後には木、傭兵に腕を掴まれているから逃げることもできない。
「ちょっと、タンマ、まだ心の準備――」
静かな森には男の断末魔と、その騒音に驚き飛び退く鳥たちが木々を揺らす音が響きわたった……。
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