Ep.5 旅が始まる

 魔力の測定で非現実が加速し、騒然とする現場が落ち着いた頃。

 イグルはその後、教会内にある様々な機材で入念に調べ上げられることとなる。こねくり回されるように様々な場所に回される体はすでに満身創痍、寝不足や馬車の旅の疲労も重なり、元々ない体力はすでに限界に達していた。

 教会内の椅子にたどり着く前に足元から崩れ、椅子に縋るように肘をかける。


「……大丈夫か?」


 兄フェイルも、流石に弟の様子をみて心配になったようで、同情するような笑みを浮かべて、イグルの体を支えて椅子に座らせた。


「もう、むり……、家、帰りたい……」

「わ、悪いイグル……、流石にこんなことになるとは予想してなくてさ……は、はは……」


 フェイルは乾いた笑いを浮かべながら頬を掻いて、すいーと目をそらした。イグルは特大のため息をつく。

 フェイルの後先考えない行動も、時として困ったものだなと、改めて実感したのだった。


「んで、どうよ。そろそろ自分が天司様って自覚でたか?」

「全然」

「お前なぁ……これから世界を救いに行く男がそんなんじゃ困るだろー?」

「だって、僕そういう柄じゃないし……、兄さんがすればいいじゃないか……」


 特大ため息、再び。もう何が何でもいいから、家に帰って寝たい。イグルの頭にはそれ以外何もなかった。


「俺だって、代わってやれるもんならそうしてやりてぇけどさぁ。流石に無理ってもんだろ?だって俺は天啓受けてないし。加護もないし。お前が回されてる間に魔力量測定してみたけど、ぜーんぜんだめだった。許容量は平均よりは多いみたいだけどさー」


 残念そうに首を振るフェイル。「仕方ねぇじゃん、そろそろ腹くくれって」静かにイグルの肩をぽん、と叩いた。


「腹くくれ、って、そんな簡単に……」

「大変おまたせしました、天司様」


 イグルの前にウィエルが跪く。それに続くようにシスターや神官も跪いた。


「えっ、え?あの」

「先程までの無礼をお許しください。貴方様はたしかに、我らが信仰する慈悲と救済の神、ミロンシファル様の遣い、天司様にございます」


 初めてあったときの優しそうで親しみやすいウィエルは一体どこに行ってしまったのか……、そう思うくらいには固く厳粛な気を放っていた。


「我々教団は、貴方様の救済の旅が少しでも遂行しやすいように手配などの手助けをさせていただきたく思います。旅先の教会にお申し付けいただければと思います」

「は、はぁ……」


 突然崇められると流石に動揺してしまう。慣れていないから余計に。イグルは困った顔で現状を見ていた。


「我々が確認している限り、あなた様が最初の天司で在らせられます。ですので、ほか三人の天司様をお探しになりながらの巡礼となると思われますが……行き先はどうなさるかお決めになられてますか?」

「え、いや、なにも……」

「なるほど、ではミロンシファル様のお導きを賜りましょう。そのへヴァイスジュエルに願いを強く念じてみてください。今あなた様に必要な天啓をくださるはずです」


 そう言うとウィエルはイグルの手元の宝石を指差した。フェイルはウィエルの話を真剣に聞きながら「そんなこともできるのかこれ」と一人納得している。


「ひとまずやってみろよイグル」

「うぇえ……?う、うん……」


 知らぬ間にどんどん話が進んでいく……、イグルは言われるがまま、ひとまず見様見真似でヘヴァイスジュエルをぎゅっと両手で握りしめた。


(えっと、神様へのお願い事……、……これから、どうすればいいですか……?)


 恐る恐る、念じてみる。そうしている間、体の芯が少し暖かくなって、身が軽くなった気がした。

 その後、ヘヴァイスジュエルが淡く輝き、ホログラムのように緑色の風景を映し出す。

 どうやら、 街の風景だ。中心には大樹があり、たくさんの花が咲き乱れる美しい街。

 イグルとフェイル、そしてウィエルがそれをじっと見つめれば、少ししたらヘヴァイスジュエルの光が弱まり、風景にノイズを走らせ消えていった。


「い、今のが、天啓?」

「そのようですね。花が咲き乱れた街、となると……イフリール、でしょうか。あそこなら教団の支部がありますし、少し離れた場所に遺跡もありますから。そこが伝承の遺跡で間違いなければ、祈りの間にて新たな天啓を受けることもできるかもしれませんね」


 イフリール。花の街と呼ばれるほど年中花が咲く街だ。イフリールの花束は人の心を豊かにすると評判が高い。


「イフリールの近くにも遺跡があったんすね、初めて聞いた。"伝承の遺跡だったら"、って言うと?」

「最近発見されたんです。だから調査もあまり進んでいないと聞いています」

「へぇ……」


 兄の目が光った。遺跡オタクの血が騒いでいるようだ。調べたくて仕方がないんだろうな、とイグルは察した。

 イグルの関心は遺跡には向かないが、イフリールには昔から興味があった。花や植物が多い街というのは学校の授業で聞いていたし、そういった場所は薬草の種類が豊富だ。

 医者の息子であるイグルは、そういった医療知識欲を刺激されていた。イグル達の故郷からは、ここポエルードから船を要するか、何日も馬車に揺られる長時間のたびになるため、イフリールに行く機会などない。少しだけわくわくする自分がいる。

 そうであるが故に、一つ問題があった。


「でも、イフリールって確か、イフリールのある大陸とこっちを繋ぐ川にかかってた橋が、この前の災害で壊れたって……」


 そう、つい先日の大雨の災害で、橋が壊れてしまい、現在は通行止めになっているはずなのだ。

 だからイフリールに向かうためには橋の復興を待つか、海を渡るしかない。

 船を使う場合、知り合いに馬車にのせてもらうのとはわけが違ってくる。貨物船に頼んで乗せてもらう、なんてことは当然不可能だ。それこそ傭兵だとか、そういった理由が必要になる。

 フェイルはともかく、イグルは金を取れるだけの武術の心得があるわけではないから、その線は完全に潰れる。となると、きちんとした送迎船に乗ることになるのだが、当然お金もそれなりにかかってくるのだ。

 家にある二人の手持ちを合算したとしても、おそらくイフリール近辺の港までの渡航料はあっても、その先は無理だ。それに、また海を超えなければならなくなった場合手詰まりになるし、そもそも帰ることができなくなる。

 世界を旅するということは、多少なりとも移動手段と金銭の問題が発生する訳である。

 イグルはその問題を解決する術はないのではないかなと、それであわよくば巡礼の件はなしということになったりしないかな、などと淡い希望を抱いていたが――


「その件はおまかせ下さい、教団から乗船手形を発行します。天司様とその旅を支援するお仲間であれば自由に船に乗ることができるようになります。必要でしたら馬車も同じように手配いたしますよ」


 ――現実はそう甘くなかった。


「えっそんなことできるんすか!?すっげー、まじで世界のどこにだって行けるじゃんか……」

「我々教団は、天司様を旅路をご支援することこそが、この時代にできるミロンシファル様への信仰と貢献なのです」


 憂鬱げに肩を落とすイグルをよそに、フェイルが驚きの声を上げて感心していると、ウィエルは少し誇らしげに、しかし慈愛に満ちた笑みを浮かべた。

 さすがは神官、仕事熱心……いや、その信仰心は伊達じゃない。


「ただ、流石に今日中は厳しいので、明日の昼にはご用意いたします。ですので、教会の緊急の宿泊部屋をお貸しいたします。どうぞお疲れを癒やしてください」

「……え?あの、家に帰るって選択肢は……」


 何も用意をしていないのに、突然の外泊。イグルはこのまま家に帰る気満々でいたものだから、つい拍子ぬけた声を上げてしまう。


「お家はどちらになりますか?」

「えと、ここから馬車で2時間位のところの村、ですけど……」

「再びこちらにご足労いただくのは大変ではないですか?」

「それは、そうかも、ですけど……、ほら、突然旅に出るってなると、家族も心配しますし」

「では、教会から説明の書状を出しましょう」

「あぁう……」


 しどろもどろ、答えているうちに外堀を埋められていくイグル。フェイルはニヤニヤとして脇腹を肘で突く。


「んなこと言って〜、帰ってそのままボイコットしたいだけだろ」

「うっ」


 図星である。

 フェイルもやれやれといった様子で首を横に振った。


「すいません、こいつ伝承とか宗教に対して無頓着で……」

「構いませんよ、信仰するか否かは個人に委ねられていますから」


 ウィエルは少し眉を下げて笑い、「ですが……」と続ける。


「天司伝承は架空ではない、たしかにこの世に現象として存在する伝承です。創世記からあるとされてるこの教団は、何度も天司様たちの旅の手伝いをさせていただきました。そして旅を完遂されたとき、災害や災厄に荒れた土地は、たしかに生命の息吹を取り戻したのです。……そして今、再び世界は滅びの危機に瀕しています」


 胸の前で手を組み、真剣に語るウィエルは、イグルの前に跪き、祈るようにイグルを見つめた。


「押し付けがましいとは思います。しかし、世界のためなのです。この荒廃していく世界に、生命の息吹をもたらすのは、貴方様たち天司様だけなのです。どうか、どうかお力添えいただけないでしょうか……!」

「ひぇ……あ、あの、顔は上げてください……」


 同期の学生の課題を手伝ってほしい、と頼まれるのとは重さが違う。思わず引き腰のまま、跪かれるというなれない行為をみて慌てふためく。

 そこまで真剣に頼み込まれてしまうと、イグルはもうどうすることもできなくなってしまう。心優しい少年は、大層なお人好しだったのだ。


「……わ、わかりました。僕なんかで良ければ、できる限りのことはしようと思います、はい。だからその、跪くのはやめてください……」


 その言葉を聞くと、救いを得たような表情でウィエルは顔を上げ、「ありがとうございます、ありがとうございます」と繰り返した。

 ……気づいたところで遅いが、今自分は、とんでもない約束をしてしまったのではなかろうか?

 ウィエルの様子を見て、イグルの笑みはヒク、とひきつった。


 こうして、イグルとフェイルの救済の旅は、始まりを迎えたのだった。

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