春色の天啓
Ep.6 いざ船旅へ
その日はウィエルの促しのまま、教会の宿泊部屋で一夜を明かした。疲労困憊の体をベッドに預ければ、泥のように眠った。
そして迎えた次の日、教会は大騒ぎだった。それもそのはず、ウィエルが昨日言っていたとおり教会から「天司が現われた」と公言があったからだ。
流石に表から出ると押し寄せてきた信者達に揉みくちゃにされることを考慮してくれたのか、必要な手形を発行し終えた後、シスター・マリが裏口へと案内してくれた。
「忘れ物はないですか?」
「た、多分……」
昨日はフレンドリーに対応してくれていたマリも、流石に天司の前となれば敬語で対応するようだ。だが、ウィエルとは違って、角のない優しさは変わらなかったため、イグルもあまり緊張はしなかった。
「ま、なんかあったらまた取りに来るっすよ」
「そんな、家じゃないんだから……」
「ふふ、そうね、またこちらに顔出したときには元気なお顔を見せてください」
変わらず馴れ馴れしいフェイルに、マリはクスクスと微笑む。まるで親戚のようだな、などとイグルは二人のやり取りを見ていた。
二人で改めてマリに世話になった礼を述べ、教会を後にする。
「息災で。貴方たちの旅路が、幸福でありますように」
祈るように、マリは二人の姿が見えなくなるまで裏口の扉の前に立って二人を見送った。
港へ赴けば漁船、遊覧船、貿易船……様々な船が当然ながら錨を下ろして停まっていた。海の男たちが話をしたり、船の整備をしている姿がちらほらと見える。
イグルとフェイルの最初の目的地は、花の街 イフリール。その街に一番近い港町であるノスヴィゼを目指すことになる。
「ノスヴィゼ行きの船はー、と……」
フェイルは出港表を指で追いながら目的の船を探す。その間イグルは憂いを帯びた顔である方向を見ていた。
その方向は、自分の家がある村のある方角。
――結局、何も言わずに出ていくことになってしまった。
フェイルは突拍子もなくどこかに行って少しの間家を空けることがあるからともかくとして、イグルはどこか行くにしろ必ずその日のうちに帰ってきていた。それがこんな、突然帰ることができなくなって、宗教のなんちゃらになったなどと聞かされては、さぞ心配するんじゃないか?怒ってないだろうか……?いろいろな不安がよぎる。
「……親父たちが心配か?」
それを察したかのようにフェイルは言った。目線と指は変わらず表を見ていた。
「え、うん……」
「まぁそうだよなぁ。俺もいるから巻き込まれたんだろーなくらいには思ってそうだけど、流石に船乗っての長旅で家空けるのは初めてだから、帰ったとき怒られそう」
考えただけでゾッとしたのか、フェイルは眉を下げて憂鬱そうな顔をした。きっとそれに自分も巻き込まれるんだろうな……嫌な想像に思わず「うぅ」と情けない声が出た。
「……でもま、やるって決めたならやるしかねぇんじゃねぇの?怒鳴られることになったら、その時はその時!少なくともイグルは悪くねぇからあんま気負いするなよ」
あくまで罪は自分で被ってくれるらしい。……というか、少なくとも、ではなく、全面的に自分は巻き込まれただけなのだが……、などと兄貴面している兄にいうのは野暮だろうか。
「……早く帰れるといいなぁ」
「早く帰れるように頑張ろうぜ、な?……みっけ、乗り場あっちだ」
そんな話をしているうちにフェイルは船を見つけたようだ。流石歴史オタク……研究者の観察眼といったところだろうか、何かを見つけるのが得意な兄の背を、イグルも慌てて追うのだった。
乗船手続きも無事済ませ、二人は船内へと歩をすすめる。
教会の手形のおかげでスムーズに事が運んだが、その代償に、船に天司が乗るという噂は瞬く間に広がった。船の下には大勢の人が集まってしまい、乗船者誘導の船員が大変そうにバタバタと動いている。イグルは肩身の狭さに少し身を小さくした。
「ま、こうなるわな」
船の下で「天司様!」「お気をつけて!」「どうか世界を救ってください!」と騒ぐ信者やそれを見世物として群がった野次馬たちを見て、フェイルも思わず苦笑いを浮かべる。
「イグルも天司として、ファンサービスとかも覚えたほうがいいかもな?」
「ファ、ファンサービス……??」
天司はアイドルか何かだったのだろうか……?ただでさえ肩身の狭いイグルはより一層身を縮こませる。
それを見てフェイルもまた「ジョーダンだよ」とケラケラ笑ってみせた。
「へー、天司殿御一行が乗船するって話、マジだったのな」
すでに乗船者の入船を終え、足場を片された船の入り口付近で船外の様子を見ていた兄弟に、声をかける人物が一人。
鮮やかな赤髪をハーフアップでまとめ、襟のたったワイシャツに茶色のベストを身に着け、胸元の赤いブローチが太陽の光を受けてキラッと輝いた。アウトローな印象を与える男は、二人を物珍しそうに見て笑う。
「……あんたも信者さん?」
品定めをするように見られた事が不快だったのか、フェイルは不機嫌に眉をしかめて、イグルを庇うように立った。
警戒されてることに気づいた男は「悪い悪い」と組んでいた腕を解いて手をヒラヒラと振る。
「信者ってわけじゃねぇんだ。ちょうど甲板で船員が噂してるのを聞いて、どんなやつかちょっと見物しようとしただけ!」
「野次かよ……、うちの弟、見世物じゃないんで、そういうのやめてもらえますかね」
「へぇ、兄弟で仲良く旅ってわけか、いいじゃねぇか!」
フェイルのきつい当たりに動じることなくケラケラと笑う男。イグルはそんなフェイルの背後で「兄さん落ち着いて……」とおどおどするしかできなかった。
「救済の旅ー、だっけ?ま、なんにせよ旅は最初は大変だと思うが、慣れれば楽しくなるもんだからさ。あんま深く考えず頑張れよな」
威嚇するフェイルの横をすり抜け、イグル肩をぽん、と叩けば、返事を待たずそのまま背を向けて手をヒラヒラ振って、男は甲板にいる船員のもとへ戻っていった。
「……行っちゃった。いい人、なのかな?」
「知らね。ただの野次だろ。放っといて客室行こう」
悪態つくフェイルに引っ張られ、イグルも戸惑いつつ頷いて客室へと向かっていった。
しばらくして、船全体に出港のアナウンスがながれれば、錨をまき上げる音とともに、船全体からゆっくりと揺れ出した。
外からは相変わらず信者や野次の声や、それをどうにか危険のないようにおさめようとする警備員たちの声。……旅の門出は、良くも悪くも盛大に祝われたのだった。
「しばらくしたらさ、甲板に出てみようぜ!」
と思いついたように提案するフェイルを見て、イグルは露骨に嫌な顔をする。兄は本当にフットワークが軽い。
「えぇ……、でも、またさっきのお兄さんみたいに声かけられるかもしれないし……」
「そのときは俺が守ってやるって!!それに、一面の海なんてそうそう見られる景色じゃねぇぞ?この先また船に乗るかもわかんないんだから、見れるもんは見とけって」
な?とフェイルは親指を立ててウィンク。イグル個人としては、穏やかに揺れる船内でゆっくり本が読みたいのだが……、まぁ、兄はそんなインドアの意見などわからないのだろうな。はぁ、と肩を落とした。
わかったよ、と重い腰を上げようとしたとき、イグルの目は椅子の脇にある小さな机の上の本の姿を捉えた。初めて見る洋書に、思わず首を傾げて本を手に取る。
「"海賊Dの渡航記録"……?」
そのタイトルに、イグルは聞き覚えがない。本の虫であるイグルは、やはり外の景色より、その本の詳細を気にした。
本を見たとき、イグルの目が好奇心に光ったのを、兄フェイルは見落とすわけもない。何だ何だ、と本のタイトルを覗き見た。
「なにこれ、伝記?」
「多分……?」
「執筆者は……"レイノット・W"、……知らない名前だな」
兄とどうやら始めてみたようで、本を眺めて首を傾げた。二人で本を眺めていたが、不意にはっとイグルは思い出したように息を呑む。
「……あ、えっと、甲板、だっけ」
行くよ、と言おうとしたが、それを遮るようにフェイルが「あーいや、俺一人で行くわ」と言った。
「え?でも」
「一緒に行こうぜって言ったのも、しばらくの船旅の退屈しのぎになるかなって思っただけだしさ。それ読みたいんだろ?ならそっち優先にしろよ」
……兄は時々、察しがいい。そんなに顔に出ていただろうか、イグルは思わず顔に手を当てた。
「あ、ありがとう……」
「でもその代わり!読んだら中身教えろよな」
いたずらっ子さながらにフェイルは笑った。イグルは「うん」と頷いた。
しばらくすればアナウンスが再び響き、部屋の外に出る許可が降りる。「酔ったら風当たりに来いよ!」と言い残し、フェイルは颯爽と甲板へと向かっていった。
その姿を見送り、イグルの本の、静かで優雅な船旅が始まりを迎えたのであった。
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