Ep.24 治癒の加護

(……僕は、何をしているんだ)


 皆が死にものぐるいで戦っている姿を、イグルはただ安全な影からみていた。

 兄が、護衛の傭兵が、少女が、ボロボロになりながら自分の何倍も大きな敵を前に臆せず、あるいは内にある恐怖心と戦いながら立ち向かっているというのに!

 イグルは拳を、その手に持つへヴァイスジュエルを強く握りしめた。忸怩しくじたる思いとは裏腹に、未だに足は恐怖で竦んで動かない。自分の情けなさに嫌気が差して、涙が滲んだ。


(こんな力もなくて、ド素人が剣を持って戦ったって、みんなの足手まといになることくらいは、僕だってわかってる)


 だけど、この安全圏から何もせずに見ているのは、絶対に違う。このまま逃げ出してしまう事もできるが、そんなことしたら、自分が自分を許せなくなる。

 ――そうやって、自分は逃げ続けるのか?現実から、怖いものから。

 これからも、ずっと、逃げ続ける人生なのだろうか。


「……それは、いやだ」

 

 ――この際、なんでもいい。剣が突然うまくなっても、炎が出せても、風が出せても、天気を操れても。なんでも、なんでもいいから。

 イグルは胸の前で手を組んだ。力を込めるように、強く手を握った。目を瞑り、祈るように心の中で叫んだ。


(神様。僕に、力をください。みんなを、大事な人を助けられる力を)


 その願いに呼応するように、握られた手の隙間から緑色の光が溢れる。


(僕が変わるための、たった一歩踏み出すための、ゆうきを――!!)


「……おい、なんだ?この光……」

「蛍……いや、雪か……?」


 突如、治療や怪我の手当を受けるために下がっていた人達や戦ってる兵が、ざわめく声がする。

 そのどよめきに、イグルは薄らと目を開ける。すると視界には不思議な光景が広がっていた。

 緑色の小さな光の粒が、辺りにゆっくりと降り注いでいたのだ。魔物も突然の怪奇な現象に驚き、辺りを見回している。


「……なに、これ」


 自分がやったのだろうか、イグルも驚きを隠せず呟く。手のひらを見れば、へヴァイスジュエルが光の雪と似た優しい光を放っていた。


「お、おい!腕が動くぞ!!」


 一人が声を上げた。そちらを見れば、魔物に吹き飛ばされて肩を強く打ち付けてしまい、動かせなくなった右腕の応急処置を受けていた兵の元に光の雪が降り積もり、見るうちに腕の腫れや傷が良くなっていった。光がぱっと弾けると、傷は元通りになっていた。


「俺の足もだ!」

「全身痛かったけど、だんだん痛みがひいて……これは、もしかして天司様のお力なのか!?」


 負傷していたもの、その傷をかばいながら戦っていたもの達が自らの怪我が治っていくことに歓喜した。

 先程木に叩きつけられていたフェイルやユーリスも、驚いた様子で掌を見つめたり、自分の腕を回したり、剣を握り直してみたりとしている。先程の攻撃の傷が癒えたのか、元の動きを取り戻しつつあった。


「……これが、僕の力……?」


 この事態に一番動揺していたのはイグルだ。何がどうなっているのか、掌を見つめながら思考を巡らせていると、ヘヴァイスジュエルが目に飛び込む。それと共に、あの神の言葉を思い出す。

 ――"治癒の加護"。神は自分を呼ぶとき、そう言っていた。


「……そっか。答えは、最初から出ていたんだね」


 イグルが受けた加護は、治癒能力、再生能力に長けたもの。医者を目指していた、誰かを救いたいと思い続けて夢を追いかけた彼らしい力だ。

 ──戦うことだけが、守ることではない。

 それを一番理解していたのは、イグルのはずだ。しかし、突然押し寄せた様々な現実に、目がくらんでしまっていたのだろう。

 光の雪は次第に消えていく。絶望や苦悶の表情を浮かべていた兵たちも、少女の加勢とイグルの治癒で、完全に士気を取り戻していた。

 この場で即効力のある治療ができるのは、おそらく自分だけ。ならば、自分のやるべきことは……。イグルはぎゅ、と最後に掌に落ちた光を握りしめて、前線へと走っていった。



「……全身痛かったのが、なくなった……」


 フェイルが驚きの声を漏らしている横で、ユーリスは立ち上がり、少女の隣に立って短剣を構えた。


「嬢さん、よくここまで前線を引っ張ってくれた!こっからは俺が、って言いたいところだが……、一人じゃあちと骨が折れそうだ」


 協力してくれるか?とユーリスが少女を見る。

 治癒の雪によって少女も少しずつ蓄積していた身体への負担が軽くなったのか、余裕がある表情で頷いた。

 

「大丈夫、まかせて!」

「おいフェイル!ちっとは頭冷えたか?」


 敵を見据えたまま、ユーリスは後方の男の名を呼ぶ。不思議現象に目を白黒させていたフェイルだが、名を呼ばれて慌ててそちらを向いた。

 

「えっ!?お、おう!!」

「んじゃお前もさっさと起き上がって手ぇ貸せ!!まだ動けないなら無理にとは言わねぇがな」


 ふふん、と笑い、軽い挑発をする。フェイルはむっと顔を顰め、剣を杖代わりにして立ち上がる。腰を捻って体の調子を確認して、頷く。


(……もうヘマはしねぇ、イグルも、この子も、俺が守る!)


 焦燥感がないと言われれば嘘になる。恐怖心が消えたと言っても嘘になる。しかし、それに振り回されて我を失うようなことは、もうない。駆け出し、ユーリスと同様に剣を構えた。

 次々立ち上がる人間おもちゃたちを見て、魔物は完全に機嫌をそこねたらしい。厚い胸板をドンドンと叩き、怒りと殺意を隠さず雄叫びを上げる。

 兵士たちも、それに対抗するように、お前にはもう負けないと宣戦布告するように剣を、拳を大きく天に掲げ


「ミロンシファル様に、我らの天司様に栄光あれ――!!」


 鬨の声を合図に、戦士たちは魔物へと突っ込んでいった。

 魔物の腕力の凄まじさが衰えたわけではない。むしろ逆上したことにより、もっと乱暴になったとも言える。

 しかし、そのぶん動きも単調になった。駄々っ子のように腕を振り回し、破壊の限りを尽くしていた。

 完全に止めることはできずとも、多少軌道を変えることはできる。兵士とフェイルは、間合いを詰める戦い方をする少女とユーリスをサポートする戦い方に徹し始めた。イグルは片っ端から怪我人を治療をしに走る。

 治癒術は目覚めたばかりだし、先程の大掛かりな光の雪は降らせられないが、一人一人に術をかけることくらいはできる。イグルは頭の回転が早かったため、一度やり方を覚えればすぐに実践に移すことができた。


「やぁ!!」


 様々なサポートの元、前線に立つ二人が自分の間合いに入れば、もう独壇場だ。ユーリスが器用に魔物の体を乗り回し、皮の薄いところを重点的に斬りつけていく。それに翻弄される魔物が気を取られている間に、少女が真正面から力いっぱいの拳を叩き込む。

 魔物はいろいろな方向からの人間の攻撃に混乱して断末魔を上げ、我武者羅に腕を振り回す。立て続けに斬られ、殴られされていることで、だんだんその動きも鈍く、弱くなっていった。

 ユーリスが魔物の頭から飛び降りる。落下中に目が合うと、ユーリスはその目をめがけて短剣を横に薙いだ。

 魔物が断末魔を上げて目を押さえた。ぼたぼたと血が落ち、逃げようとするように後ろに下がる。ユーリスがしゅた、と着地して露を払うと、勝ちを確信した顔で叫んだ。


「ラスト一撃!!かましてやれ嬢さん!!」

「うん!!」


 ――タタタ、タンッ!

 少女は兵士の腕を足場にし、大きく飛び上がる。魔物の顔を超え、てっぺんを超えた頃、落下が始まる。


「これで、倒れて――ッ!!」


 重力加速を利用し、振り上げた渾身の拳を脳天に叩きつける。目が見えていない魔物は避けることもできない。


「グォォォォオオオ……」


 魔物は最期の断末魔を響かせ、ドシーン、と身体を前に倒れさせる。

 そこからは、ピクリとも動かなくなった。

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