Ep.25 新たな名前

 ――しばらく辺りを静寂が包む。

 うつ伏せに倒れた魔物は脳天に少女の強力な一撃を打ち込まれたことで、苦悶の表情を浮かべ事切れている。死んだふりなのではないかと全員がしばらく様子を見ていたが、一向に動かない魔物にゆっくりと剣を構えるのをやめ、地面に降ろしていく。


「……や、やった」

 

 一人が呟くと、徐々にその喜びの波が広がり、「やったんだ!」「勝った!倒したぞ!」と声が上がる。

 ずっと教団側も手を焼いていた魔物だ。それを一度壊滅しかけたところから立て直し、倒すことができたのだ。肩を叩き、勝利を分かち合っていた。

 

「やった、やったよー!!」

「ちょ、わぁっ!」


 少女も喜ぶ勢いのままイグルに飛びつく。それを支えられずバランスを崩し、二人は地面に倒れ込んだ。


「おいおい、大丈夫か?」


 剣を鞘に収めたユーリスは、じゃれ合う二人を覗き込むようにみる。イグルは抱きつかれたまま上半身を起こして「うん」と照れ半分、困り半分という様子でへにゃと笑った。


「一時はまじでどうなるかと思ったが、今回は二人のお手柄だったな」

「そんな、僕なんてただがむしゃらで……」


 少女はともかく、自分は言ってしまえばただ我欲のままに祈ってただけだ。大したことなんてしていない。イグルは謙遜の言葉を漏らしながら頬を掻くと、「そんなことはございません!」という教団兵長の声が響く。

 目線を向ければ、兵たちがイグルたちを見つめていた。教団兵長が跪くと、後に続くようにザッ、と全員が膝をついた。


「皆様方が、天司様とそのお供の方々がいなければ、我々はここで死に絶えていました。なんと感謝を申し上げればいいか……!!」

「えっ!?そんな、跪かないで……」

「我ら一同、こうしてお仕えできること、誇りに思います。どうかその清らかな心で、世界を救ってください。――ミロンシファル様と天司様に忠誠を!!」


 教団兵長叫ぶと、「忠誠を!!」と大きな声が響く。


「……だってよ、イグル」


 フェイルが意味ありげにニヤリと笑った。崇められてる本人はというと、ほとほと困った様子で乾いた笑みをするしかなかった。

 一方で少女はというと、最初こそ驚いた顔をしていたが、何を思ったのかすっくと立ち上がり


「私、まだまだ見習い天司だけど……。神様のためにも、世界が皆に優しくなるためにも、精一杯がんばります!!」


 と大きく宣言し「こちらこそよろしくお願いします!」と頭を下げた。天司の宣誓に歓喜の声と拍手が響く。


「イグルも、私まだ全然ダメダメだけど、一緒に頑張ろうね!」

「えっ!?あ、えと……」


 少女に話を振られて、動揺しながらも教団兵たちの方をみやる。

 自分には有り余りすぎる期待と信頼に輝くその瞳が眩しくて、思わず「う」と声が漏れる。それを見兼ねたのか、フェイルとユーリスがイグルの背をバシ、と叩く。


「あいたっ」

「腹ァ括るときだぜ、イグル」


 逃げるのは諦めな、と言わんばかりにユーリスが笑った。

 ――世界を救え、なんて。やっぱりどう考えても自分には大役すぎる。

 それは、何度も考えても思うことだ。だけど、自分のこの力で、世界まで行かずとも……誰か一人でも多く助けることができるのならば。

 それはきっと、形は違えどイグル自身がずっと追いかけてきた夢にも1歩、近づけるのかもしれない。

 

(……ならば今は、やるしかない、のかな。与えられた役目を、精一杯)

 

 イグルは、不安をいだきつつも小さく決意を固め、落し気味だった目線を少しだけ上げた。

 

「……どこまでできるか、わからないけど……、……がんばります」


 まだ胸を張ることはできないが、最初の頃よりかは前を向いて自分を見る目と向き合う。

 すっかり日が落ち、空に輝きはじめた満月が、彼らを優しく見守るように輝いていた。


 一件が終わり、数日。

 戦いの傷そのものは治癒術で癒やせても、疲労はゼロになるわけではない。一行は暫く身体を休めることにした。

 あの後少女はというと、自分が物を壊してしまうことを恐れ、再び宿屋の物置に戻ることを提案したが、あんな劣悪な環境では休まるものも休まらないとイグルたちの説得で教団の数ある仮眠室の1つをしばらく仮拠点として借りることに。 

 それを経て、発覚したことがある。少女の怪力が制御できるようになったことだ。

 今になってなぜ、と様々な憶測が飛び交ったが、救済の間で神の加護を受ける以前の時点で得ていたへヴァイスジュエルが上手く加護を定着させられなかった結果、桁外れの怪力として制御できなくなったのでは、という形に落ち着いたようだ。

 そもそも選ばれた天司は、イグルのようにすぐさま救済の間へ向かって加護を受けるか、教団に報告した後検査を受け数日の間に救済の間へと護衛されて向かう。そのため長い期間そのまま放置されるケースというのはめったに起こらない。……らしい。

 

 後日、次の目的地を定めるため、一行は教会に集まった。そこでまず響きわたったのは「どうしたんだよその格好!?」という、フェイルの悲鳴めいた驚き声だった。

 少女の服は、少し見ないうちにボロ服が更に悪化していた。最初から服はボロボロで布や糸を継ぎ接ぎしていたようなものだったが、いまやそれは隠さなきゃいけないところをぎりぎり隠した、布切れと化していた。

 

「戦ったとき、服の裾と袖が長くてちょっと動きにくくて……、そしたら失敗しちゃった」

「私達も止めたのですが、そのときには既に時遅く……」


 シスターたちも眉を下げて笑うしかなかったようだ。どうしてそうなったんだ、とイグルやユーリスも乾いた笑いを浮かべたが、なぜか状況がなんとなく想像できる。……彼女なりに頑張ったんだろう、きっと。

 悪気がないのがわかるから、怒ろうにも怒れないフェイルの唸り声は音にならず、少女の腕をむんずと掴み、教会の出口へと歩き出した。


「ちょ、兄さんどこ行くの!?」

「予定変更だ!!天司云々のまえに、女子がそんな格好で歩き回る方がまずいだろ!?」


 予定変更ってそんな簡単に……止めようとした頃にはもう遅く、少女と服の買い物へと繰り出ていってしまった。ぽつんと置いて行かれたイグルとユーリスは思わず顔を見合わせる。


「い、行っちゃった」

「しゃーねぇなぁ。そんじゃ俺達で先に目的地確認しときますか」


 そうだね、と困り笑いを浮かべながら、イグルとユーリスは聖堂の個室へと出向くのだった。


「それでは、お願いします」


 同席するカムエルの言葉にイグルが頷く。意識を集中させ、神へと次の目的地を訊ねる。

 へヴァイスジュエルが淡く光ると、ホログラムの様に映像を映し出した。そこに映るのは、栄えた街の姿だ。噴水のある大きな広場からまっすぐ進み、大きな屋敷を映し出す。その屋敷を見上げるアングルになったところで、映像は途切れた。


「あの噴水広場と町並みは……アイドグレースですね」


 様子を見ていたカムエルが、持ってきた地図を広げて言う。アイドグレース領家が治めているそれなりに栄えた街だ。気候も穏やかで、しっかりとした治安維持がされていることから、帝都の次に住みやすい街として名を博している。


「なんだ、どちらにせよアイドグレースには立ち寄ることになったみたいだな」

「そう、だね。……また一旦港に戻らないと、かな」

「そのほうが現実的だろうなぁ。時短狙って迷うくらいなら戻って整備された道行くのが一番確実だろうさ」


 獣道の恐ろしさはお前らが一番わかってんだろ?とユーリスはイグルを見た。イグルはあの時──アンファの森で迷った時を思い出し、コクコクと首を縦に振る。


「イフリールからノスウィゼの馬車の手配とかも任せていい感じか?」

「もちろんです。イフリールの西門に手配させましょう。ノスウィゼからの移動手段は申し訳ありませんが再度あちらでご交渉ください」

「あいよ、こっからの足用意してもらえるだけで充分ありがたいさ。出立は――」

 

 ユーリスとカムエルの交渉話を横に、イグルは地図をジッと見つめる。こう見ると、世界というのは本当に広いなと実感せざるを得ない。いつかは山を超えたり、海を横断したりする日も来るのだろうか。……そうなる前に、全員見つかることを祈りたいが。

 そんな考え事をしていると、廊下からパタパタと言う足音と扉がが開く音が響く。照れくさそうに顔を覗かせる少女は、見違えるように可愛らしくなっていた。

 

「ただいま!ど、どうかな……」

  

 白基調の服が似合うのはわかっていたので、動きやすいようにスリットのはいった膝辺りの長さのワンピースに、露出を抑えたアームカバー風の袖。

 可憐さがより際立った彼女の姿に、イグルはトスンと胸を打たれたような感覚に陥っていた。


「フェイルには似合うよって言ってもらえたんだけど……」

「おう、いいんじゃねぇか?な、イグル」


 完全に見惚れてしまっているイグルの脇腹を肘で突きながら、ユーリスはニヤニヤと笑う。ハッとしたイグルはわたわたと手を四方八方に泳がせ、

 

「似合ってる、すっごく似合ってる!」


 と答えた。それを聞いてよかった、と頬を赤らめて笑う少女に、イグルは再び胸を穿たれていた。


「んで、次はどこだって?」

「アイドグレース。一度ノスウィゼに戻るルートだな」

「アイドグレースか……、あそこの遺跡は一番調査が進んでるはずだから、天司探しはもう終わってるんだろうなぁ」


 順当にことが進んでるのを喜ぶのかと思えば、ちぇ、とフェイルは口を尖らせた。おそらく遺跡探索がしたかったのだろう。わかりやすい男である。

 

「お洋服ありがと、フェイル!」


 イグルに見せびらかし終えた少女がフェイルにそう言うと、

 

「おう。女の子なんだから身嗜みはしゃんとしないと勿体無いぜ?」


 当初の布切れを思い出しながらフェイルが眉を下げて笑う。少女も「えへへ」と照れ笑いを浮かべた。

 ふいに、フェイルが思い出したように首をひねったかと思えば、「なぁ」と呟く。

 

「そういえば名前ってどうするんだ?ずっとお前ーとか君ーとかだと話しづらいだろ」

「あ、たしかに……、でも名前、わかんないんだもんね」

「うん。私はなくても平気だけど……、これから旅するなら、あったほうがいいかな?」


 どうしようか、と3人が考えていると、何をそんなに悩む?という様子でユーリスが口を開く。


「名前がわかんねぇなら、仮でも決めるなりすりゃあいいじゃねぇか。本名がわかったなら戻せばいいだけだし」

「それは、たしかにそうかもしれないけど……」


 少女はそれでいいのだろうか、とイグルは少女の様子を見る。少女は目をぱちくりとさせていたが、うーんと考え、困ったように唸る。


「私、名前とかうまく決められないかも。ずっと無いのが普通だったから」

「なら、イグルが決めてやれば?」


 フェイルが流れるように提案する。「えぇ!?」とイグルが驚く声を上げると、少女が目をキラキラとさせてイグルを見た。


「イグルが決めてくれるの!?」

「えと、僕で良ければ、考えるけど……」

「うん!イグルに決めてほしい!イグルが初めての友達だから!」


 興奮気味に頷く少女。責任重大じゃないか……、と思いつつ、イグルもうーん、と、春色の少女に似合う名前を考える。

 しばらく沈黙し、考え続けたイグルが「……エアナ」と、口にする。


「エアナ?」

「うん。なんとなく直感で、似合うかな……って」


 そこまで言った後、手を四方八方に動かし「もし嫌なら全然、他のとか、兄さんたちの案とか!!色々考えるよ!?」と言葉を並べた。

 そんな慌てふためくイグルをよそに、少女はエアナ、という名前を落とし込むように、響きを確認するように呟く。

 何度か繰り返したのち、頬を少し染めた後、「エアナがいい!」と言った。


「え、いいの……?」

「うん!エアナ、エアナがいい!私の名前、エアナがいいの!」


 よほど嬉しかったのかエアナ、エアナと何度も繰り返し主張する少女に、様子を見ていた二人も思わず一緒に笑みをこぼした。


「そんじゃ、エアナ、改めてよろしくな」

「うん!よろしく、イグル、フェイル、ユーリス!」


 そう笑う少女は、今まで見てきた笑顔の中で、一番輝いていたような気がした。

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百年のオラトリア 榎本 奏 @enomoto_sou

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