明達の天啓
Ep.26 出立、そして出会い
数日後、イフリール西門。
イグルたちは教会の神父やシスター、ともに戦った教団兵達の見送りの元、この街を出る日となった。
馬車の御者とユーリスが話をしている間、三人にカムエルが頭を下げる。
「改めて、この度は様々なご尽力、本当にありがとうございました」
「い、いえ、こちらこそ色々ありがとうございます」
つられるようにイグルも頭を下げる。習うように少女――エアナも「お世話になりました!」と元気に頭を下げた。
「皆様のご活躍、花の地よりお祈りしております。あぁ、そうだわ。こちらをお渡ししなくては!」
シスターが声を上げると、持ってきていた手提げの中から包まれたサンドイッチと、布袋を取り出した。それぞれ(ユーリスの分はフェイルに預けられた)の手のひらにちょこんと渡される。中から仄かに花の香りがした。
「移動中はお腹が減るでしょうから、お食べください。あと、簡易的ですが……香り袋です。イフリールの教会では、旅人の旅立ちに息災と旅路の安寧を願ってお渡ししているんです」
「いい香りだな……、なんていうか、優しい匂いだ」
「うん。ありがとうございます」
大切にします、と微笑むイグルに、シスターも嬉しそうに微笑んだ。そうしているうちに背後からユーリスが「そろそろ出発するぜー」と乗車を促してくる。
「また何かありましたらいつでもお立ち寄りください。教会一同、皆様のご帰還を心よりお待ちしております」
「うっす。ほんとに色々世話してもらっちゃってありがとうございました。そちらも息災で!」
馬車に乗り込む三人。乗客が乗り込んだことを確認すると、御者が紐を引き、馬がゆっくりと走り出す。
見送り人達がこちらに向かって手を振る姿がどんどん小さくなっていく。エアナが身を少し乗り出し、
「行ってきまーす!!」
大きく手を振ってそう叫んだ。西門が見えなくなるまで、エアナは手を振り続けた。
馬車は森の中を順調に進んでいく。荷台に乗る四人は、シスターから餞別に持たされた朝食用のサンドイッチを頬張っていた。
「ね、ね!次のアイドグレースってどんな所なの?イグルたちはいったことある?」
初めての町の外に興奮気味のエアナは目を輝かせながら三人の顔を見た。兄弟は顔を見合わせて首を横に振る。
「知識としてどんな場所かはなんとなく知ってるけど……行ったことはないんだ」
「俺もだ。そもそもイフリール方面は来るの初めてだしな……」
「そうなの?二人はどこから来たの??」
はむ、とサンドイッチを頬張りながら首を傾げた。口で説明しようとしたが、そもそもエアナが地理をわかっているのか自体が怪しいところだ。イグルは「えっとね」と言いながら地図見せる。
「イフリールがここなんだけど、僕達の故郷はもっと下の……南の方なんだ。だから、この辺……かな」
「わ、そうなんだね!……遠い?」
「まぁまぁ、かな。ここの大きな川を渡るか、この港から北のこっちの港まで船に乗る必要があるんだ」
「しかもその川ルート、前の大嵐で橋が流されちまって、復旧してないんだよ」
だからここの港から船で迂回ルートで来たんだ。とフェイルが港から海を横断するように指で航路を指した。終着点の港をトントンと叩いて、「今向かってんのがここな」と言ってサンドイッチを口に運ぶ。エアナはわかってるのかわかってないのか、だが遠回りをしたということは理解した様子で頷いて聞いていた。
「世界って、広いんだねぇ……。私、イフリールの周りの森しか行ったことないから、全然知らなかったや」
「うん、僕も地元からあんまり出たことがなかったから、すごいなーって思ったよ」
「イグルも?えへへ、お揃いだね」
エアナはうれしそうにニコニコと笑う。花が咲いた可愛らしい笑みにイグルはきゅんと胸を射抜かれながら「うん」と頷いた。
「んで、アイドグレースの話だったか。あそこは結構良いところだぜ、帝都へのアクセスも悪くないし、ノスウィゼの港もそんなに遠くないから、市場も物も豊富だ」
ユーリスが足を組んで寛ぎながら話をすると、ほか三人の目線は其方に集まる。
「帝都みたいにほぼ全部揃う超都会、ってわけではないが、何もない田舎ってわけでもない。いわゆる中間のいい感じの街ってとこだな」
「そうなんだ……、ユーリスは好きなの?アイドグレース」
「好き、っつーか、使い勝手がいいってのは確かだ。帝都は面積でかすぎて管理しきれてるのかほったらかしてるのか知らんが治安の落差が激しいし、人が多いしごちゃごちゃしてるし……、それに比べてアイドグレースは、治めてる領家がちゃーんとしてるから、治安がめちゃくちゃいい。住むなら俺は圧倒的にアイドグレースだぜ」
指を揺らしながらつらつらと話すユーリスの話を、興味津々に聞くエアナとイグル。その一方でフェイルが少し口をへの字にしてユーリスを見た。
「おいおい、それじゃあまるで帝都がだめだめだーみたいな物言いじゃないか」
「別にだめとは言わねぇよ、どの街だっていいところも悪いところもある。ただ、帝都は俺には向かないって話だ」
そう噛み付くなよ、とユーリスが笑うと「その割には文句ばっかり言いやがって」と吐き捨ててフェイルは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。エアナがなんの話かと首を傾げると、イグルは少し困り顔で仲裁しながら話をつなげる。
「兄さんは帝都、好きなんだもんね」
「そうなの?」
「おう!帝都は歴史が長いでっかい都市だ。近くに遺跡もわんさかあるし、何より都立図書館の文献の数が馬鹿にならない!!伝承、古代文明、他にもいろんな歴史の研究所がたくさんある、最大の都市にして叡智の宝物庫なんだ!」
大げさに両手を広げて力説するフェイルに、エアナも「すごーい!」と目を輝かせている。……叡智の宝物庫、は少し誇張表現だが、多くの研究者が滞在してるのは確かな事実だ。学会や学問のレベルも高いため、研究や勉強がしたい人は帝都に出たがる者が多い。もちろん、フェイルもその一人だ。
「叡智の宝物庫、ねぇ。進んでるようで進んでない謎の山を叡智だーなんて呼ぶならば、フェイルにとって世の中が叡智だらけになっちまうな」
「なにをー!?」
「ま、まぁまぁ……」
イグルは今にも掴みかかりそうなフェイルとそれを見て余裕の笑みを見せているユーリスの間に入った。どうしてこうもこの二人はすぐ喧嘩になるんだろうか。仲良くすればいいのに、と思いつつも、そういえば初めて会ったときからずっとこの調子だったから、そもそも馬が合わないか……と苦笑いを浮かべることしかできなかった。
そんな状況を他所に、エアナは首を傾げながら
「じゃあじゃあ、ユーリスはどこから来たの?」
とユーリスを見た。
「そういえばユーリスの身の上話って、聞いたことないかも……」
助けてもらったり、それこそ今は共に旅をしているが、そういえば彼のことは大して何も知らないな、なんて思いながらイグルはユーリスを見た。青い瞳と目線が交差すると、ユーリスはぱちくりと瞬きをする。
「俺か?話したって何も面白いものないぜ?」
「え!私、ユーリスのこと知りたーい!」
「そーだそーだ。別にもったいぶる必要ないだろ」
ずいと身を乗り出してユーリスに近づくエアナと、それに乗ずるように(というより、先ほどの仕返しと言わんばかりに悪乗りをしたともいえる)フェイルも野次を飛ばす。ユーリスは「あ~……」と目をそらして頭を搔きながら困り顔を浮かべた。それを見てイグルは、あぁ、おそらく自分は今、あんまりよくないパスを出してしまったのかもしれないと申し訳なさに様子を伺った。
「べつになんもないぜ、マジで。帝都近くの……所謂下町育ちだよ、俺は」
「はぁ!?下町!?なんだよ帝都のことディスってた癖に、実質帝都育ちみたいなもんじゃねぇか……!!」
俺への当てつけかと言わんばかりに悔し気に顔を歪ませてフェイルは自分の膝を叩く。ユーリスはというと、違う違うと首を振って眉を下げて笑った。
「下町って言っても山脈側だぜ?目と鼻の先ってほどの距離でもないし。ただの栄えてない田舎村だ」
「それでも近くなのに変わりはないだろ、くっそこちとら3日近くは船に揺られねぇと帝都の港にすらたどり着けねぇのに……!」
羨ましすぎる、とフェイルは歯ぎしりをして恨めしそうにユーリスを見た。……これは、何かデジャヴのようなものを感じる。イグルは二人の顔を見てはぁーとため息をついてから一言、
「……もうこの話やめよう?」
そう呟いた。
取っ組み合いや口論が始まる前に。何より、自分の胃が痛くなる前に。やんわりと止めるイグルに、エアナはこてんと首を傾げるのであった。
それから他愛もない話をして、数時間後。
馬車は何事もなくノスウィゼの港へと到着した。御者に礼を言って、港町へと足を踏み入れる。
「しょっぱい匂いがする!」
「潮風だよ。海はしょっぱいから」
エアナが初めての海に目を輝かせているのを、イグルが微笑ましく見ていた。
「さて、今日は港で一泊して、明日アイドグレースに向かうってしたほうが良さそうだな。日も傾いてきたし」
ユーリスが太陽の方角を見てから三人に言う。提案にうなずき、イグルが考えるように腕を組む。
「えっと、じゃあ今日やることは……、明日の馬車の交渉と、宿の確保?」
「正解。少しは旅がわかってきたか?」
関心関心、とユーリスがイグルの頭を豪快に撫でれば、「わ、わ」と慌てながらも嬉しげに目を綻ばせた。
「じゃあ俺とフェイルで馬車の交渉してくるから、イグルと嬢ちゃんは宿に荷物運んどいてくれ」
「わかった!まかせて!」
エアナが自信満々に頷く横でイグルも素直に頷くと、ユーリスはじゃあなと手を振ってフェイルを引き連れて歩いて行った。それを見送ってから、イグルも荷物を抱え直して「いこっか」とエアナに声をかける。
が、エアナは海の方――港の方を凝視している。
「……エアナ?どうしたの?」
不思議そうにその目線の先を追うと、そこには人がいた。
フードを深くかぶっていて顔は伺えないが、背丈からして少年だろう。身の丈にしては長く、先端に獣の手があしらわれた緑の杖を大事に抱きかかえ、時折周りをキョロキョロと見ながら、膝を抱えてしゃがみこんでいる。
「あの子、どうしたんだろう……?」
「さぁ……、迷子かな……」
ここは人が行き交う港町だ、迷子になってしまっても何らおかしくはない。そして、その行き交う人々も様々だ。そんなスクランブルのような場所に子供一人でこの場所にいるのは危険だろうし、本人もさぞ心細かろう。しかし、もしかしたらあそこで家族と待ち合わせをしているのかもしれない。その場合は、声をかけるのは余計なおせっかいだ。
「ねぇ君、大丈夫?」
どうするべきかとイグルがウンウン考え込んでる頃には、もうすでにエアナが少年に駆け寄っていた。何という行動力、とイグルは驚きながらもエアナをおいかける。
その少年はびくと肩を揺らし、緑色の瞳を不安げな揺らしながら二人の顔を見上げていた。
百年のオラトリア 榎本 奏 @enomoto_sou
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