Ep.22 春色への天啓

 ――強い光に、目を瞑った。

 救済の間までフラフラと歩いていった少女は、誰に聞くわけでもなくポケットから緑色の宝石を取り出し、紋章にかざした時に発された強い光。イグルは目を瞑りながらも、自分の時と同じ光だと直感的に理解した。それならば、このあとに待ち受けているのは……


『やっと来てくれた。待ちわびたよ、我が愛しきの天司』


 ……神、ミロンシファルの声。あの時と寸分違わぬ、脳内に響くような声だ。


『あ、目は閉じたままでいたほうがいい。光で焼けてしまってはいけないからね。イグルもここまで案内してくれたこと、感謝するよ』


 頬に暖かな指が触れた、ような気がする。おそらく指の腹で頬を撫でられたのだろう。イグルは「ど、どうも」と目を閉じながらも頭を軽く下げた。


「だれか、いるの……?」

『あぁ、いるよ。君たちの言う神様という存在がね。君は何度呼んでも来てくれないから、ほとほと困っていたんだ』


 声色はやれやれといった様子だが、神は「鎖で繋がれていたとは思わなかったから、しかたないね」と独り頷きながらごちた。


『だが、これで天司が三人、私の元で加護を受け取った。あと一人、そして全員が合流し、塔を登って私のところまで来てくれれば、伝承は完遂する』

「三人……僕達、まだ二人ですけど……」


 いつの間に一人増えたのか、と困惑した様子でイグルが問うと、『あぁ、そうか』と気づいたようにミロンシファルは声を上げた。


『君を呼んでる間に、別の遺跡に到着した子がいてね。だから君は順番としては三人目。本来は二番目のはずだったんだけど、今回はうまく行かないなぁ』


 ミロンシファルは悩ましそうに言った。イグルの隣にいるであろう少女は「ごめんなさい……」と申し訳無さげに声を漏らす。


『おっと、勘違いしないで、いじめたい訳じゃないんだよ、我。実際残り一人なんて、居場所すら掴めていないんだ。こんなこと普通じゃあり得ない。今回はどうも、うまく行っていない』


 うーん、と考えるようにミロンシファルは唸った。しかしそれもほんの一瞬のことで、「まぁともかく」といって二人の肩をぽんと叩く。


『無事にここまで来てくれたこと、褒め称えよう。我が子達。二人には、そうさな……。先に目覚めた天司と、あと一人を探して――』 

「あ、あの!」


 一人話を進めようとする神に待ったをかけるように、少女が声を上げる。


『……、まぁいいか。なんだい?』

「えっと、その……、わ、私なんかが天司で、本当にいい、んですか……?」


 不安そうに少女は問いかける。少女の言葉の意図がわからないと言いたげな、冷ややかな声色で『どういうこと?』と神は問いかけた。


「だって、天司様って、世界を救ってくれる神様の使いで……、みんなから愛される存在、なんでしょう?私、街では疫病神だなんて言われてるし、みんなに嫌われてるし……、私じゃ不釣り合いなんじゃないかな、って」


 思って、と少女は吃りながらもボロボロと言葉をこぼしていた。その言葉の節々に、不安の色が滲んでいる。


(……やっぱり、ずっと笑ってたけど、気にしてたんだ)


 天司であることがわかった瞬間、そして周りの目が突然変わったこと。ずっと笑って馴染んだように振る舞っていたが、心のどこかでは、ずっと戸惑っていたのかもしれない。

 忌み嫌われた者の心の傷というのは、そう簡単に癒えるわけがないわけで。

 それは当然、心優しい彼女も例外ではなく。否、純粋で優しいからこそ、きっと受けていた傷は普通よりも、深いだろう。

 

 彼女はそれを、ずっと一人隠して笑ってきたのだ。

 ――たとえ世界中が自分に牙を向いてきても、自分が笑っていれば、その世界から優しく手を伸ばしてくれることを信じていたから。


『……あぁ、そうか。うん、そうだね、そうだろうとも』


 何か納得したように独りごちると、神はその手でそっと少女の頬を包む。


『君は、愛されたことがなかったんだね。可哀想な子だ。それならば、、君は天司に相応しい』


 愛しげに、赤子に愛を囁くように、神は呟く。


『君のような子だからこそ、世界を愛する事の尊さを、誰よりも理解できるはずだ。君が世界を愛してくれるのならば、我も君を寵愛あいそう。だから君は、天司として、我を信仰あいしてくれれば、それで良い』


 少女はその言葉を聞きながら、まっすぐ神を見た。正しくは目を開いていないから見えてはいないが、それでもその声を聞こうと、目を見ようとした。


「……私に、できるかな」

『できるさ、この救済と慈悲の神ミロンシファルが選んだ子だぞ?我の目に狂いはない。神だからね』


 ふふん、と得意げに鼻を鳴らす。その自信が微笑ましかったのか、はたまた自信満々に言い切ることがおかしかったのか少女はクス、と微笑んだ。


「……私、精一杯やってみます。世界がよくなって、優しいものになるように」


 迷いのない返事だった。少女は強く頷くと、満足げにミロンシファルも微笑む。


『それでは、引き続き頼むよ。"治癒の寵愛"イグル、そして、"強剛の寵愛"――』


 言葉を聞き取る前に、二人の意識は遠のいていった。

 


「……い、……ル、……しっかりしろ、イグル!」


 揺さぶられ、聞き慣れた男の声に薄らと目を開ける。ぼやけた視界に入ったのは、心配そうに見つめる兄の顔。


「……兄、さん」

「イグル!!よかったぁ、起きた!!」

「お、そっちも無事そうで何よりだぜ」


 安堵するフェイルの横で、赤髪の男がこちらを見たていた。自分の隣を見れば、ぺたんと座り目をこする春色の少女の姿があった。少女とイグルの視線がぶつかると、少女はへにゃりと笑う。


「あ、イグル、おはよぉ」

「お、おはよう……、そうだ、天啓……」

「無事済んだみたいだ、ほら」


 フェイルがそう言うと、少女の首元を指差す。みると、黒いチョーカーに、たしかに自分の持つものと同じ、緑色の宝石へヴァイス・ジュエルが台座に嵌った状態でつけられていた。夕日に照らされ、中に透けた紋章がキラリと光る。


「えへへ、これでおそろいだね、イグル」


 少女がへヴァイスジュエルを触りながら嬉しそうに微笑む。その笑顔にトスンと心にキューピットの矢が刺さったような感覚に陥りながらも「う、うん」と頷いた。


「ご無事で何よりでした。さ、日が落ちる前に街に――」


 教団兵長が二人の様子に安堵し、帰還を促そうとしたとき、遺跡の外から咆哮が響く。

 遺跡の中はビリビリと音に揺れ、土埃が落ちてくる。その場にいる全員が突然のことに動揺していると、外から慌てた様子で一人の兵がこちらに掛けてくる様子が見えた。


「ほ、報告!!報告いたします!!」


 随分と青ざめ、恐怖の色を見せる兵は奥歯をガチガチと鳴らし、慌てふためきながらこちらを見ている。

 尋常じゃないことは確かだ。恐怖という波紋が嫌に広がる。険しい表情をした。


「落ち着け!何があった」

「お、大型魔物です!この遺跡に住み着いていたと報告されていた、あの魔物が、こ、こちらに向かって進行中です!!」


 全員がざわ、と顔を見合わせた。まくし立てるように兵は報告の言葉を続ける。


「そ、外を見張っていた兵たちで足止めを試みましたが、て、手も出ず、負傷者が……!!」

「わかった、落ち着け!全員撤退、ここで鉢合わせる前に戻るぞ!!」


 報告を受けた兵長が嫌な汗を垂らしながら周りに指示をだす。兵たちも慌てて外へと歩を進めた。「さ、天司様方も早く」と追従を促す。


「だ、大丈夫かな……」

「急ごう、こんなとこで死ぬのはゴメンだ」


 フェイルがイグルと少女を引っ張り立ち上がらせると、外に向かって走り出した。その殿になる形で、ユーリスが険しい表情で続く。

 外に近づくにつれて轟音や悲鳴、野生の咆哮が大きくなっていく。間に合うか、いや間に合ってくれ。切に願いながら、走り続けた。


 ――しかし神というものは、無慈悲にもそういう願いほど取り合ってくれないものである。


 イグルたちが遺跡の外に出た頃には、むごい状態だった。

 猿のような魔物――先程、自分たちを揶揄って遊んでいたあの小型の魔物より何倍もが大きな躯体の魔物が、立ち向かう教団兵の頭を軽々と片手で掴み、咆哮を上げながら振り回し、木に叩きつけた。

 勇敢に突っ込んでいった兵も、その巨大な手腕で薙ぎ払われ、哀れ無惨に吹き飛ばされる。魔物は目の前の人間たちをおもちゃのように弄び、痛めつけていた。

 恐怖に失神する者、痛みに悶え苦しむ者。目の前に広がるのはノスウィゼに向かう船の上で起こった、あのクラーケンとの戦いが比にならないような惨劇。

  

 ――地獄。

 

 そう呼ぶにふさわしい光景が、もうすでに外で広がっていたのだ。

 イグルとフェイルの足がすくむ。少女も不安げな表情で胸の前で手を握った。


「……ほんと、こいつは最悪だぜ」


 三人を守るように立ち、短剣の柄に触れながら呟いた傭兵ユーリスの顔を、嫌な汗が伝った。

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