始まりの天啓
Ep.1 始まりの朝
Ep.1 始まりの朝
「………ル、おい、イグル。イーグールー!」
さっきの声とは違う、聞きなれた声に。イグルは薄っすらと目を覚ます。
見慣れた天井に、眩しい朝日に、嗅ぎなれたベッドの匂い。これは現実であることは、寝起きで回らない頭でも理解できた。
「……おはよう、フェイル兄さん」
「おう、おはよ。珍しいじゃん、お前が俺よりも遅く起るなんて」
声をかけてきた少し伸びたオレンジ色の髪を束ねた兄、フェイルは、カーテンを開けながらそう茶化すように笑う。
「なんか、不思議な夢を見た気がするんだ」
「ほー?まぁこの時期になると不思議な夢を見た!っていうやつ増えるからなぁ。伝承の周期研究の話だと今日だろ?天啓が下る日!」
「あぁ……そういえばそう、だった……ね……?でも伝承は架空の話で」
イグルはそこまで言ってハッと口を塞ぐ。というのも、フェイルは歴史研究が趣味で、伝承、伝説……そういったものに目がない、いわゆる歴史オタクだ。今特に「天司伝承」と呼ばれるものを熱心に調べている最中なのである。
先程まで喜々としていたフェイルだが、イグルの言葉を聞きのがすわけもなく、大きくため息をついた。
「あのなーイグル、俺はお前にあの伝承が現在進行形で起こるものだぞ、って何回も説いたよなー??」
「う、うん……ごめん……、でもやっぱり、簡単に信じるのは難しいよ。神様に選ばれた人が現れて、ましてや世界を救うなんて」
「まぁ確かに、10人に話せば9人は信じないだろうな。でもさ、考えてみろよ。ここ最近で天災が増え始めてる。伝承の周期が正しいなら、今年が前回の"世界崩壊の年"から100年。これがもし世界崩壊の前兆って思えば伝承が現実味を帯びて……」
熱が冷めやらぬ様子で話すフェイルに、イグルは困った顔で笑いながら聞いていたが、ふいに手のひらに違和感を覚え、そちらを見た。
手には何かが握られていた。もちろんイグルは今起きたばかりだし、この間で何かを取りに行ったこともない。
いつの間にか握られていた、という表現が妥当なくらい突拍子もなく現れたのは、緑色の美しい石だった。イグルは首を傾げる。
「あれ、これ……」
「つまるところだなー……あ?どうした?」
「あ、えっと、いつの間にか手に握られてたんだ」
イグルはフェイルにも見えるように手を差し出した。フェイルもそれをじっと見る。
「……宝石だな」
「……宝石、だよね」
同じ回答をすると二人顔を見合わせた。うーんと首を傾ける。それと同時に、ぐぅ、とフェイルとイグルの腹の虫が鳴いた。
「……ひ、ひとまず、朝飯食おうぜ。それ呼びに来たので忘れてた」
「そ、そうだね……、僕、着替えてから行くよ」
「おう」
お互い照れ気味に話せば、フェイルは先に部屋を出ていった。
「……伝承……か……」
宝石を太陽の光に透かしながらぼやく。部屋の外から美味しそうなチーズの匂いが漂ってきた。ぐぅ、と再び腹の虫が鳴く。
「……早く着替えて行こう」
ベッドから立ち上がると、パジャマから普段着へ着替え、窓を開け放つ。今日も快晴。田舎町の年寄りや走り回る子どもたちはいつも通りだ。
「……やっぱり、簡単には信じられないや」
兄の言う伝承の存在も、"世界の滅びが目と鼻の先だ"なんて終末論も。ふふ、と思わず苦笑する。
「イグルー!早くしないと冷めるよー!!」
母の呼ぶ声。
平凡な人生だが、それが退屈だとは思わない。
「はーい」
イグルは返事をして、窓を閉めて部屋を出た。
部屋を出てリビングへと出向けば、机の上には焼きたてのグラタンとコーンポタージュ。母は厨房でまだ使ったものを片付けているようで、席には父と、グラタンを運ぶ兄の姿のみがあった。
「おはよう、父さん」
「あぁ」
礼儀正しく挨拶をした。父はぶっきらぼうにそれだけ返すが、別に機嫌が悪いとか、そういうわけではないことをイグルは理解しているため、特に気にしない。
「おはようイグル。今日はめずらしくお寝坊さんだね?フェイルが先に起きてきたの見てびっくりしちゃった」
母もリビングに合流すればクスクスと微笑みながら席につく。
「あはは、なんか変な夢を見てたから……。というか、父さんがこの時間まで家にいるの珍しいね、今日診察休みだっけ」
「いや、午後から訪問診察だ」
「あーだからか、珍しくバタバタしてねぇなぁって思ったら」
「……バタバタしてるのは母さんの方だろう」
「んもう、そんなことない!」
「今朝方飛び起きて『ごみ収集待って~!!』って走ってったの誰だっけぇ?」
斜め向かいに座る母がニコリと微笑むと、隣に座っていた兄が「っでぇ!!」と悲鳴を上げる。
「こ、小指、小指……!!」
「さ、食べましょ!冷めたら美味しくなくなっちゃう」
「あぁ」
痛みに悶えるフェイルを気にも留めずに、父母は手を合わせて「いただきます」と朝食に手を付け始めていた。
イグルは乾いた笑いを上げつつも、チラ、とフェイルの方を見た。未だに痛みに悶えている。何かフォローを入れるべきかとも思ったが、今のはおそらく9割兄が悪い。心の中で「ごめんね兄さん……」とつぶやいてから、イグルも手を合わせた。
「い、いただきます……」
元気で気さくな母、ぶっきらぼうだけど、仕事熱心な医者の父。そして歴史研究に没頭する優しい兄。
これが、リヒカイド家の賑やかな日常だ。
温かいグラタンに舌鼓を打ちながら、朝の平凡な時間は過ぎていくのだった。
朝食を終えて、家事を手伝い終われば自分の時間が始まる。普段は学校へと向かうのだが、今は新学期前の長期休暇の期間であり、自由な時間となっている。
イグルはあちらこちらと飛び回るアウトドアなフェイルとは正反対に、勉学や読書が好きなインドア派であり、休みの日は大体机に向かって本を読んでいる。
今日もいつもどおり、本を読んで過ごそうと思った。
――思っていたのだが。
イグルの目の前にあるのは机でもなく、本でもない。苔の生えたなんとも古い石造りの大きな建造物。
「天啓の日に何も起こらないわけがないだろ!!」
そして、意気揚々と建造物を見上げる兄の姿かあった。
「……に、兄さん。僕、いる意味、ある……?」
「あるに決まってんだろ、なけりゃ無理やり連れて来ないし」
イグルが恐る恐る尋ねれば、何を当然のことをとでもいうかのように返されてしまう。「うぅ」と引け腰の状態でゆっくりと遺跡を見上げた。
だが、イグルは兄と対象的に、この遺跡という場所が苦手だった。
歴史的価値がある神秘の場所であることは重々理解しているのだが、この何かありそうな暗闇により、神秘や好奇心よりも恐怖心が勝ってしまう。最初の頃こそ、フェイルに振り回されるままついていっていたが、自我が芽生えるにつれて「行きたくない」と言えるようになってから、フェイルも無理に連れ出さなくなった。
「朝の宝石あっただろ?あれが妙に気になってさ、朝飯の後ちょっと文献漁ってたんだよ」
「宝石……、これ?持ってきてって言われたから持ってきたけど……」
イグルはポケットから宝石を取り出す。「貸してみ」とフェイルはイグルからその宝石を受け取る。
「もしかしたらこれ、"へヴァイスジュエル"かもしれない」
「へ…?」
そういうと、フェイルは遺跡の中を進み始めた。慌てたようにイグルも中にはいる。石の隙間や空洞から陽の光が漏れてるとはいえ、やはり薄暗いこの遺跡という場所は、イグルはやはり好きになれない。
フェイルは道なりに進みながら説明をする。
「へヴァイスジュエル。天司伝承に現れる緑色の宝石で、伝承の中で語られる救済と慈悲の神、ミロンシファルの使いとして選ばれた天司がその手に持っていたとされる宝石なんだ。神の天啓にて指定された遺跡で加護を受け取ることで、世界を救済する為の大量のマナをその中に蓄える力を持つ、って言われてる」
「へぇ……、……そんなものがなんで僕のところに」
「……へヴァイスジュエルが出現する条件、知りたいか?」
道なりに進み続け、不意に足を止めたフェイルは、後ろについていたイグルに振り返り、真剣な眼差しで問いかける。その真剣さに思わずごくりと固唾を呑めば、小さくうなずいた。
「……"天司、選民されしとき、その者達は神の使いとして世界救済を果たす"」
「……え?」
兄が奏でた言葉、それは何度も兄から聞かされた天司伝承の1節。なぜ今それを読んだのか?疑問がよぎるまえに、頭の回転が早いイグルはその真意を勘付いてしまう。まさか、と血の気が引いた。
――頼む、夢であってくれ。いや、夢までは望まない。せめて、自分の考えは杞憂であってくれ。
その願いは虚しく――
「へヴァイスジュエルが手元にあるってことは、それは天司への選民を表す。つまりイグル、お前が天司に選ばれたってことだよ!!」
――よぎった思考と一字一句同じ言葉が兄の口から出たのだった。
その後遺跡にイグルの叫び声が木霊したのは、言うまでもない。
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