Ep.15 怪力少女

 イフリールを練り歩き、気づけば太陽は真上から地上を照らすようになっていた。

 1人情報集めに勤しむことにしたイグルは、待ちゆく人に声をかけては天司のこと、遺跡のこと……聞けそうなことをいくつか聞いて回っていた。メモ帳を片手に、大樹の立つ広場のベンチに腰をかけ、一息つく。


「遺跡の話は結構聞く、けど……」


 肝心の天司の話はこれっぽっちも出てこなかった。信仰心が高い人や研究者までとは行かないが、それなりに伝承をかじっている人も一定数いた。それでもこの町に天司がいるという噂は全く耳にしなかった。

 まぁそもそも、天司だからといって何か特徴があるわけでもないから、一般人が天司を見分けたりする事自体困難ではあるため、当然と言えば当然なのかもしれない。

 唯一天司を証明する物――緑色の宝石、ヘヴァイスジュエルを手にした人を探したりもしたが、それも見つからず。

 休憩がてらベンチに腰掛けたイグルは、はぁ、と大きくため息をついた。


「……イフリールに天司なんているのかなぁ……」


 背もたれによりかかり、天を仰ぐ。大樹は桃色の花をつけ、風が吹くたび花がひらひらと空を舞う。広場では子どもたちが花弁を追ったり、落とさないように息を吹きかけて遊んだりと楽しそうにはしゃいでいた。


「……そういえばあの子……」


 イグルはふと、この花びらのように桃色の髪の毛をした、あの怪力少女を思い出す。

 花が咲いたように笑うあの子。

 それ以外何も知らないけれど、どうもあの子のことが気になって仕方がなかった。


「……可愛かったなぁ……」

「なにが?」


 目を閉じながら思い馳せ頬を緩ませていると、ふいに頭上から声が降ってくる。目を開けると、眼前には女の子の顔があった。

 ピンクの髪、青い瞳をぱちくりとまばたきし、イグルをのぞき込んでいる。ばち、と目線が交差した。

 イグルが思い馳せていたその子が、眼前にいたのだ。


「……わぁあ!?!?」


 イグルは思わず声を上げて飛び退く。ドッドッドと心臓が鳴り響く。完全にガチ恋距離、と言うやつだった。顔を真っ赤にして少女を見ていると、ニコ、と微笑んだ。


「こんにちは!昨日もあったね、旅人さん!」


 今日はオレンジの人と、赤い人は一緒じゃないの?と屈託ない笑顔で笑う少女は、太陽のように眩しかった。

 

「え、えと、二人は今、宿で剣の稽古、してて……」

「剣?そうだったんだ!あ、裏庭で声がするなーって思ってたら、もしかしてそれかな?」

「裏庭?」


 首を傾げるイグルに、少女は大きく頷く。


「私、今宿のおじさんとおばさんにお世話になってるの!いそーろー?っていうのかな?」

「……え」


 じゃあ、宿を出る前に怒られていた、出来の悪い居候中の子供って、この子のことだったのか?イグルが思わずまばたきを繰り返す。

 居候、つまりは彼女もあの宿に住んでいるということで、そしてさらにつまるところ、自分は今、この子と(部屋は違えど)ひとつ屋根の下で暮らしているということで――


「大丈夫?顔真っ赤だよ??お熱あるのかなぁ」


 少女が心配そうに顔を覗かせる。青空のように吸い込まれそうな青い瞳。まつげが長い。花の街の住民だからなのかフローラルな香りまでしてくる気がする。イグルの思考回路はショート寸前だった。


「だ、だだだだだいじょうぶ!!だいじょうぶだから……!!」


 止まりかけの思考の中、とにかくこのひたすらに走る心臓の音だけは聞かせまいと少女から距離を取る。少女は不思議そうに首を傾げた。

 そんなやり取りをしているうちに、教会の鐘が鳴り響いた。少女はそれを聞くと「あっ!そろそろ薪割りやらなきゃ!」と思い出したようにイグルから離れる。宿に帰るのだろう、背を向けて軽い足取りで走り出したが、ふいに足を止め、イグルの方に振り返った。


「そうだ、お名前!貴方、お名前なんていうの?」

「え?い、イグル……」

「イグル!!素敵なお名前!じゃあイグル、きっとまた会おうね!」


 少女はそう言うと、「ばいばーい!」と大きく手を振り、イグルが止める間もなく走っていってしまった。イグルはそのままその場で少女を見送る。


「……名前、聞きそびれた……」


 イグルの脳内からは、聞き込みのことなど、すでに抜け落ちてしまっていた。


 

 日か傾き、夕方になれば、三人はまた宿の一室に集まり、運ばれてきた夕飯を頬張っていた。

 稽古疲れからか眠そうなフェイルと、いつもどおりのユーリス。そしてどこか上の空のイグル。時々掬ったスープが口に届く前にスプーンから流れ落ちていた。


「……おーい、大丈夫かイグル?」


 流石に何か様子がおかしいと悟ったユーリスは、心ここにあらずなイグルに声をかける。イグルがそれにハッと意識を取り戻せば「な、何でもないよ」と慌てて首を横に振った。そしてまたしばらくすれば、ぼけー、とまた呆けている。全然何でもなくないのは目に見えて明らからだった。


「……そーだ、昨日あっためっちゃ力持ちの女の子だけどさ」


 くぁ、とあくびをしながら思い出したようにフェイルが話し始める。力持ちの女の子、という単語を聞いた途端、イグルの手元が狂いスプーンが宙を舞った。何度かお手玉のようにスプーンが跳ね、最後には両手でぎゅっと握って確保。小さく息をつく。


「……どした?そんな慌てて」


 何をそんなに慌てているのか、とフェイルが訝しげにイグルをみる。イグルはスプーンを握りしめたまま「な、な、なんでもないよ」と声を裏返しながら首を横に振った。

 

「そ、それで、その子がどうしたの?」

「あー、そう、その子がさ、昼過ぎくらいかな。斧持って裏庭まで来たんだよ。そんでそのまま丸太積んであるところで薪割り始めてさ。あとでおばさんに聞いたらあの子、ここに居候してんだってよ」


 びっくりだよな、と言いながらフェイルはパンをちぎった。イグルはその前に彼女にあってその話を聞いていたが「へ、へー」と相づちを打った。


「……ちなみにさ、その子ってどこの部屋使ってるか、知ってる?」

「んぁ?ふぁひはたしか……、裏庭ンとこの小屋に住んでるって言ってたけど。流石に宿の部屋は客人用だから使わせられないし、あの怪力で壊されたらたまったもんじゃないって」


 少し期待して聞いたイグルは、この建物に彼女がいないと知ると、がっくりと肩を落とした。フェイルは弟の様子になんなんだ、と更に首を傾げた。彼女の話といえば、と思い出したようにユーリスも話題に加わる。


「さっき聞いたんだが、あの子結構すげぇらしいぜ。力加減下手なのかすぐ物壊しちまうんだと。掃除用の箒とかも折っちまうくらいらしくて、宿のもの触らせられないってぼやいてた」

「やべぇよなぁ。触っただけで壊れちまうってことだろ?俺ら触られただけで骨折られそう」


 話を聞いていうげー、と嫌な顔をしながらフェイルは腕をぶらぶら振る。たしかにあの子は怪力だが、そこまでなのか……とイグルも話を聞いていた。

 これが屈強な男なら震え上がるのだが、あの華奢な彼女だと、不思議と可愛く脳内変換される。イグルは可愛く微笑みながら箒を真っ二つにする彼女を想像していた。


「……でも、かわいいよね、あの子」

「まぁたしかに顔はな?……もしかしてイグルお前」


 フェイルの言葉に勘付いたイグルはハッと息を呑み、両手をブンブンと振りながら「ち、ちがうよ!?」と遮り続けた。


「べ、別にかわいいなって思っただけで、一目惚れしたとか、そういうのじゃなくて!!」

「まだ何も言ってねぇんだけど……」


 突然弁解を始めたイグルを冷めた目で見るフェイルと、面白いおもちゃを見つけたと言わんばかりにニンマリと笑うユーリス。そこでイグルは今、墓穴を掘ったことに気づき、顔を茹で蛸のように真っ赤にした。


「そーかそーかぁ、イグルはあぁいう子が好みかぁ!!なるほどねぇ……」

「そーいえばイグルの初恋の人もあぁいう女子だったよな。白いワンピースが似合いそうな清楚って感じの」

「か、からかわないでよユーリス……、兄さんも今その話しなくてもいいじゃないか……!!」

「いいじゃねぇか、そんで?どこに惚れたんだ??」


 話してみろって、とユーリスはイグルの脇腹を小突く。イグルも話さなければいいものを、顔を赤くしながらうつむいてぼそっと答えてしまうのだった。


「……え、笑顔が、可愛いところ……」

「っかー!!ベタだなぁ!!いいじゃねぇかいいじゃねぇか!!応援してるぜ、お前の恋路!!」


 背中をばしばしと叩かれた。その後もまだ名前も知らない少女の話やイグルの甘酸っぱい恋話で一室は盛り上がっていった。

 そうして、夜は更けていく。宿の外では、カーカー、と鳥が鳴いていった。

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