Ep.3 天司

 夢のような出来事があった怒涛の一日は嵐のごとく過ぎ去り、一夜が明けた。

 イグルは気怠そうな表情で起き上がる。


「……全然、眠れなかった」


 あのあと兄は興奮冷めやらぬ表情でマシンガントークを繰り広げ、その声量を親に盛大に叱られ、その場を解散を余儀なくされた。

 そこまではよかったのだが、イグルは今日起こったことが信じられず、またこれからの未来への不安でぐるぐる頭を悩ませていたら朝日が昇っていた。というところで現在に至る。


「……夢じゃ、なかったなぁ」


 机の上に置かれた、金色の石座にはめられた緑色の宝石は朝日を浴びてキラキラと輝く。それを見る度、ため息が出てしまう。

 ひとまず外の空気を吸おうと窓を開ければ、今日は何やらざわざわと町の人が空を指差している。


「……?」


 イグルもその方向を見た。

 目線の先にあったのは、てっぺんが隠れる程に高い一本の塔。昨日までなかったそれは、とてもじゃないが一日やそこらでできるような代物ではない。ぽっと突然現れたそれが、町の人を騒がせていたようだ。


「……もしかして、兄さんの言ってた、救済の塔……?」


 救済の塔。天司の現れと共に出現したと言われている伝承の中にある塔の名称だ。

 この塔は普通には入ることができず、天司が各地の遺跡にある救済の間で祈りを捧げたことで得られる神の加護たちが鍵となる。その塔に天司がたどり着いた時、世界は神と天司の力で救済される。……と、兄フェイルは熱心に語っていた。


「……なんで僕なんかが……」


 別に自分は神様を信仰していたわけではないし、伝承にさほど興味はない。将来は父のような医者になりたいと勉学に励むただの気弱な一般人だ。そんな自分がなぜ神様に見初められてしまったのだろうか。それが不思議でたまらないのだ。人違いか、適当に選抜されてるとしか思えない。


「……はぁ……、救済の旅、旅かぁ……」


 憂鬱な気分で窓枠に寄りかかっていると、背後からバン!と大きな音がする。それに飛び上がり振り向くとそこには――

「イグル!準備終わったか!?」


 ――相変わらず目を輝かせるが、少し眠そうな兄、フェイル・リヒカイドの姿があった。


「ひぇ、準備、ってなんの」

「旅だよ旅!!救済の旅が始まるんだから準備しねぇと!!」

「だ、だから僕は、……というか、なんで兄さんも!?」

「え?用心棒」

「用心棒!?」

「だって考えてみろよ、道中で野盗に襲われるかもしれねぇし、魔物にも襲われるかもしれねえし、遺跡の中だってあそこが何もなかっただけで他のところは魔物がうじゃうじゃいるかもしれないだろ?そんなところにイグル一人で行かせたら命が何個あっても足りないぜ」

「ゔっ……」


 兄の言うとおり、町の外は絶対安全とは言い切れない。イグルの住むこの田舎町でも、一番大きな都市にある騎士団の騎士が何人かが魔物駆除の為に常駐してくれているから平和に暮らせているが、外に出るとなると話は別だ。魔物も野盗も当然いる。

 インドアで武術の心得もないイグルは、そんな輩にとってはカモでしかないのだ。


「兄として弟の心配をするのはトーゼン!俺はある程度剣の心得があるから、ひとまず天司が集まるまでの護衛くらいにはなるだろ!」


 俺に任せろ、と言わんばかりに胸を張るフェイル。

 乾いた笑いを浮かべるイグルは思った。「きっと本音はついていって歴史研究をしたいんだろうな」と。兄のメンツを潰さないためにも心の引き出しに閉まっておくが。


「てなわけで!ひとまずは教会に行こうぜ!!」

「教会?なんで?」

「一応教会は天司伝承……というか、ミロンシファルを祀ってるからな、天司に選ばれたって言ったら何らか助けてくれたり、待遇よくしてくれる!!と、思う!!」


 自信満々に曖昧なことを言う兄に、イグルは思わずズルっとコケそうになる。要は行きあたりばったりなのだ。フェイルは無計画にその場の勢いだけで行動する節がある。今回もそれが顕著に出ていた。

 こうして言われるがまま、今日もイグルはフェイルの無鉄砲に振り回されるのであった。



 イグルたちの住む街から少し森の方へ行くと、小さな教会がぽつんと立っていた。教会は、二人が生まれるよりも前からあることもあり少し古びて年季が入っている。


「ケビン爺ー、いるかー?」


 ケビン爺――ケビンはこの教会を管理している神父だ。イグルとフェイル(特にフェイル)は、この教会に小さい頃からお世話になっているため、親戚の爺孫のように仲がいい。


「おぉ、おぉ、フェイル坊や。よく来たのぅ。イグル坊やも久しぶりだのう。また背が伸びたかぇ?」

「お久しぶりです、ケビンさん。そう、ですかね……?」

「そうともさ、ついこの前までこんなだったのに、時の流れとは早いものだのぅ」


 イグルの腰の辺りを指して感慨深そうに翁はうんうん、と一人頷く。最後にあったのは2年前くらいのはずなのだが……一体、この老人は何年前の話をしているのだろうか。イグルは困った笑いを浮かべた。


「ところで爺さん!見たか外の塔!!」

「おぉ、見たぞぅ。あの先の見えない高さ、よく一晩で作ったもんじゃ。丸で伝承の救済の塔のようじゃのう……」


 感心するように教会の窓から外を見て長い髭を触る。


「ようじゃのう、じゃなくて!救済の塔なんだよ!!伝承は本当に存在したんだ!!」

「ははは、これはフェイル坊やのいつもの発作かぇ?」

「えっ、と……ある意味……そうかもしれないです……」


 興奮げに語るフェイルの話を微笑ましそうに聞いたあと、翁はイグルを見た。突然話を振られたことに一瞬言葉が詰まるも、イグルも眉を下げて答える。


「こらそこ、流そうとするな。イグルも当事者なのになんでじいに流されるんだよ!!」

「だ、だって、やっぱり夢であってほしいというか、僕自身がまだ信じられないし……」

「信じるも何もお前の首にかけてあるが現実だって物語ってるじゃんか!!」


 フェイルはびしっとイグルの胸元を指差す。反射的にビクッとはねて胸元を抑えた。そこには、昨日手に入れた緑色の宝石のネックレスがある。「うぅ」と唸り声をあげて目をそらすと、不思議そうに翁は首を傾げた。


「む?なんじゃなんじゃあ、イグル坊やにもガールフレンドができたのか?」

「ガッ!?ち、ちちちちちちが」

「違うね、第一ガールフレンドならわざわざ爺のところにつれてこねぇし」

「ほっほっほ、爺ジョークじゃよ。イグル坊やにガールフレンドはまだ早いのう」

「そーそー」


 フェイルの即座の否定がいろんな意味で胸に突き刺さり、「うっ」と思わず蹲る。そして(本人たちはその気はないのだが)追い打ちをかけるような翁の言葉の矢に「うぅ」としゃがみこんだ。


「ガールフレンドよりもすげぇ知らせだよ。ほらイグル!おーい、……どうしたお前?」

「精神的に痛めつけられたんだよ……」

「ほほほ、すまんのぅ。それで?イグル坊やがなんじゃ?」

「見ろよこれ!!」


 フェイルの自分のことではないのに自慢げな表情でそう言うと、慌てたようにイグルは翁へ緑の宝石へヴァイスジュエルを差し出す。はて、と首を傾げるとそれを手に取り、虫眼鏡を用いてそれを観察する。


「ほむ。美しいのう。……ミロンシファル様の紋章も中におる。石座に描かれているわけではなさそうじゃのう。……まさか、へヴァイスジュエルとでも言うのかぇ?フェイル坊や」


 虫眼鏡から顔を離すと、驚いた顔でフェイルを見た。


「そのまさかだよ。その石持って遺跡に行ったら、開かずの間が開いた。俺はその瞬間を見届けたし、イグルも神様と話したって言ってた。……これでもあれが救済の塔じゃないって言い張るか?ケビン神父さん?」

「……なんと、なんと……!そうか、そうか、あれからもう100年が経っておったのか、そうか……」


 感慨深そうに頷くケビン。イグルは更に頭を抱えた。どうしてこの人も兄の言葉を信じてしまうんだろう。……いや、無理もない。ケビンは神父でありながら、兄と同じ伝承の研究者。つまるところ歴史オタクだ。


「そうとなればイグル、まずは帝都にある教会の本部へ……は、遠いかのう。そうじゃ、港町に教会の支部があるじゃろ?そこに向かうのが良いぞ、旅の支援をしてくれるだろう」

「て、帝都……、支部……、というか、信じてくれるんです、かね、普通に考えて」

「信じてくれるも何も、教会は天司伝承で語られる創世記の頃からあると言われてる団体じゃぞ。なんなら天司である証明をする為に製作されたミロンシファル様のご加護を確認するための魔術器具までもある。おまえさんが天司かどうかはそこで本当に証明されるじゃろう。そうなればもう信じるしかあるまい」

「そう、なんだ……」

「教会の本部とかぜってぇ宝物庫だぜ!?うわ、今から楽しみになってきた!!いつかぜってぇ行きてぇ!!」


 天司じゃないフェイルがもはや行く気まんまんだ。こうなればおそらく、もう自分の意見など通らないのだろう。


「……世界を救う、って、柄じゃないんだけどなぁ……」


 憂鬱な心模様とは裏腹に、空は清々しいほど晴れている。空を見上げて、イグルは大きくため息をついた。

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