第五話 王国宮殿にて

 ヘレナとアセラがサンズファーク王国に入国し、近くの町で宿を取っている間。


 その町から徒歩で二刻ほどの、陽光を煌びやかに跳ね撒く王国宮殿にて。

 厳かな衣装を身に纏う二人の男が、口論をしていた。


「帝国からの要求に乗るなど、自らの〈意志〉を〈八神〉に売るのと等しいですぞ! 使いの者など無視して、全面戦争しかありませぬ!」


 一人は、美しい彫刻が端々に施された銀色の甲冑を身に着け、右腰に宝石の散りばめられた剣を佩き、黒き髪を短く刈り込んだ、勝気そうな男。


「軍事力で帝国に抗うなど、到底出来ることではないわ。交渉を重ねる以外に術はあるまい」


 もう一人は、大陸全土を照らす陽光のあしらわれたローブを羽織り、頭に薄い金の冠を乗せ、立派な顎鬚を左手で撫でる、賢明そうな男。


「それは、〈遍照王国ファーク騎士団〉騎士団長としての意見か、それともお主個人の意見か、どちらだ。〈遍照ファークの次男〉として答えるがいい、ガイゼル」


「ならば不遜ながら答えましょう。我らが王、〈遍照ファークの長男〉ユーゼル――兄上。これは〈遍照王国ファーク騎士団〉の総意であり、私はそれを代表しているに過ぎないと」


 彼らは遍照ファーク家に生まれた兄弟であり――そして、〈遍く照らす陽光サンズファーク王国〉の国王と、〈遍照王国ファーク騎士団〉の騎士団長であった。


「騎士団の勇猛さは知っている。だがな、ガイゼル、幾ら勇猛だろうと、数的に帝国に敵うとでも思っているのか? 今は帝国と〈導きの月影ノルトルナ神国〉の戦線も停滞中だ。無策のまま戦えば、無為に命を散らすだけだぞ?」


 王が示唆するのは、その絶望的なまでの国力差。大陸の中でもかなりの大国である〈御光の注ぐ山麓アイゼンライツ帝国〉は、思想と神教の違いから永らく〈導きの月影ノルトルナ神国〉と一進一退の攻防を繰り広げている。故にその軍事力は、突出した個に依存しない盤石なものだ。今は神国との戦線も落ち着いているために、有り余る軍事力を〈遍く照らす陽光サンズファーク王国〉に向けることが出来る。結局は小国に過ぎない王国では、撃退など夢のまた夢だ。


「今戦わずしていつ戦うのです、兄上。確かに交渉は穏便な手段かもしれませんが、交渉とは名ばかりな一方的な条件の押し付けでしょう。下手に宥和政策を続けて国力を失えば、満足な反撃もままならなくなります」


 一方の騎士団長は、じわじわと国力を削られることを恐れる。これまでは〈陽光山〉近辺の領土割譲や関税の引き下げなどでどうにか侵略を逃れてきたが、元々が小国だ。如何に交渉の手腕に自信があれど、無いものを交渉の場には持ち込めない。反撃も抵抗もままならない状態まで搾取され骨抜きにされて、最後の最後には言われるがまま帝国に統合されるというのが、騎士団長が危惧しているところだった。


「今更戦端を開いたところで、帝国としては痛くも痒くもないだろう。むしろ、統合された後の立場が最悪になる。それぐらいなら、仮に帝国に勢力を奪われようとも、我が国の民と神教が残れるようにすべきだ」


 だが、王はそもそも、今の独立を保つのはきっと難しいと思っていた。王国の建国時の帝国は神国との戦線に忙しく、王国に手を出すほどの余裕はなかった。だが、神国との戦線がかつてないほどに落ち着いてしまった今、王国は最早国としては存続出来ないかもしれない。そうなった時に王が優先すべきは、自らの民と自らの神教の存続だ。そのためには、下手に宣戦して敗北するよりも、出来るだけ刺激せずに話を進め、通すべき要望を通すのが最善だった。


「相手は〈御光の注ぐ山麓アイゼンライツ帝国〉、自らを〈太陽神〉に選ばれし人間だと言い張る〈アイゼン派クソども〉の国ですよ!? 遍愛を説く我らが〈ファーク派〉など、必ずや根絶されます!」


 だが、王のある意味楽観的な考えに、騎士団長は思わず絶叫した。選民思想的な〈太陽神教アイゼン派〉を国教とする帝国に統合されれば、他の神教など根絶されるに決まっている。それがしかも、同じ〈太陽神〉を崇めながら教義の異なる〈太陽神教ファーク派〉ともなれば、そんな神教が存在したと分からなくなるほどに根絶やしにされるだろう。神教を守るためには、意地でも国の独立のために抗うしかなかった。


「真に〈ファーク派〉を名乗るならば、帝国の人間も愛してみよ、ガイゼル」


「遍愛を害する者には、実力行使も厭えぬでしょう、兄上」


 一人の黒の双眸にもう一人の双眸が写り込み、音も立てずに空間を軋ませる。その無音の圧力は、やがてどちらの勝利も敗北も招かずに掻き消えた。お互いに国を想い、お互いに神教を崇拝するが故に、彼らの意見は絶対に嚙み合わない。


「……要らぬ口を叩きました、国王殿。どうか、御赦しを」


「赦そう、〈遍照王国騎士団長〉ガイゼル。下がってよい」


「畏まりました」


 先程までの口論が嘘のように、静かに言葉を交わして、騎士団長は謁見の間を出る。


 だが、彼はもう、ただ王に従順な剣ではなかった。


「結局、ダメだった。王はお考えを変えるつもりはないらしい。……仕方があるまい。国は、我々で守る」


 謁見の間を出てすぐに、彼は入り口の外で待っていた部下の騎士に声をかける。その声は、苦渋の決断を、愛する者達のために下す者の声だった。


「計画を実行に移す。騎士団全体に機密通達を出せ。決行は明後日。〈鷹〉の用意は?」

「完了しております」

「仔細は俺から伝える。決行日だけ伝えておけ」

「了解です」


 そして彼の瞳には、もう決意しか映らない。


「我らの教えを死守するぞ。――遍照の太陽のために」

「遍照の太陽のために」

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