第十四話 影は夜闇にて敵を欺く
影に溶ける短剣、〈
それは〈改変兵装〉。武器の〈意志〉を捻じ曲げ、通常の物理法則を超越した不可思議な武器。
その効果は、触れた光の完全なる拡散。
即ち、本当の意味でこの短剣を見ることは出来ない。目に映るのは影、この短剣が光を散り散りにした結果空間をくりぬいたかのように残る闇。
故に、仮にこの短剣を真正面に突き立てられたら、
刃がどれくらいまで迫っているのかが分からないのだ。
男は、それを利用された。
小僧は始め、逆手に短剣を握っていた。短剣は黒塗りで、夜闇で見えづらい。だが見えづらいだけだ。戦闘中に短剣を持ち替える余裕はなかった。そして小僧の右手は今、俺の首を斬りつけるように閃いている。右手に握られる短剣は、柄が俺に向けられていて、刃が見えない。
そう考えて、男は短槍を自らの首の前に持ってきた。当たり前だ。普通皆、そう考える。
だがアセラは、男がそう考えると分かっていた。
最初にこの短剣を買ったときは気付かなかったが、後で気付いたのだ。
自分がこの短剣の凹凸を掴めないということは、相手は余計に分からない。ならば、自分がどう短剣を握っているか、偽れるのではないか。
対人戦闘で、相手の武器の持ち方が見えないなど普通はありえない。しかしありえないからこそ、見えなかったら相当に不利になる。
ミアの〈意志〉を追う傍ら、アセラは脳の片隅でその考えを整理し、深く考え、何種類かのパターンを作り――
その一つを今、試したのだ。
その戦果は、言うまでもない。
「……っ」
自らの右手に握られた短剣が、男の右肩に深々と突き刺さっている。一瞬前には、人間の筋肉と骨に刃を突き立てた鈍い手応えが、右手を通じて伝わっていた。
「がっ、くそっ!」
だがその感触に怯む間もなく、男の怒気を孕んだ声に驚いて飛び退く。
男は利き手をやられたが、それでも左手で短槍を握り、アセラに向かって鋭く突き立てた。慌ててアセラは短槍の直線上から逃れ、再び地面の小石を拾う。左手を振るうと同時に地面を蹴飛ばし男に肉薄するが、ありがたいことに男は二つ目の小石を弾き損ね、それが狙い通り真っ直ぐ額に直撃して昏倒した。
勢いで男に迫ったアセラは、取り敢えず勢いを乗せた斬撃を短槍の柄に放って、男の手から離す。その場に頽れる男を一瞥しながら、さらに思いっきり短槍の柄を蹴飛ばして遠くへやる。
それから警戒を留めたまま男の顔を見て、完全に気を失っていることを確認した。本当なら〈意志〉を見るべきだったろうが、それをした瞬間男が起き上がってきそうで出来なかった。
アセラはただゆっくりと、男の傍から離れる。
短剣を握る、右手を持ち上げる。
アセラが人の身体を傷付けたのは、実は初めてではない。
というよりも訓練のかなり初期の段階で、短剣の振り方を徹底的に仕込まれた後、ヘレナの身体を使って何度もやった。やらされた。ヘレナは〈意志〉を捻じ曲げれば痛覚も怪我も無視出来る。生きた人間を傷付ける練習に、あまりにも最良すぎる人間だった。
師匠に指示されて、師匠の身体に刃を振るい続ける。脛などの身体から離れた場所から始まり、腿、腕、肩、そして腹、胸、首、更には顔まで。突いて斬って突いて斬って突いて斬って、ヘレナの身体を傷付け続けた。
それでもヘレナは、傷付けられたことを微塵も気にせず、ただアセラの指摘だけをし続けるのだ。
やったのはたった一日だけだったが、アセラはその一日だけで何度も気が狂うと思った。実際始めたては何度も狂いかけたが、その度にゴッセルが落ち着かせ、ヘレナがアセラの〈意志〉を改変して直した。そしてただひたすら短剣を振るい続けて、日が暮れる頃にやっと、ヘレナの急所に迷いなく刃を突き立てられるようになったのだ。
当時は何故、こんな気が狂うことをさせたのか分からなかった。
それよりももっと、〈意志〉をどう改変するのか、長柄の相手にどう対抗するのか、そういう実戦的なことを教わりたかった。
だが今となっては、何故ヘレナがあんなことをしたのか、理解出来る。
人の身体に刃が突き刺さる、鈍い反発。
無理矢理に肉を切り裂いて進む、抵抗感。
刃が骨に届いた時の、驚くほど硬い衝撃。
何よりも、人の身体を傷付けるという、その行為への恐怖。
その一つにでも戸惑えば、たちまち刃は、そして身体は、その場で凍る。
それでも戦場では、人を傷付けなければならない。
復讐のためには、人を殺さねばならない。
それに慣れていなければ、たちまち死は傍に寄ってくる。
死は、襲い来るのではない。
自らが招くのだ。
『招かざる客は、他なる死で以て追い払え』
そのためには、傷付けることを、躊躇うわけにはいかない。
傷付けたことを、引き摺ってはならない。
アセラが視線を落とした先にあるのは、影に染まった短剣、〈
それはいつもと変わらず、夜闇の上に更なる漆黒を重ねている。
だから、いつもより刃の凹凸がよく分かる気がするのは、きっと気のせいだ。
決して、刃にこびりついた流血や肉塊のせいではないのだ。
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