第四話 入国

 あれからさらに一刻ほど走り続けて、彼らはとうとう〈陽光山〉の麓まで駆け下りた。山頂の空で輝く太陽は焼け付くように熱く、半袖半ズボンでなければ暑さにやられてしまうだろう。荷物を背負った背中をぐっしょりと汗で濡らし、山を駆け下りていた時の勢いは何処へやら、アセラは憔悴しきった様子で山道を歩いていた。


「標高差って凄いんですね……」

「そりゃ、一番太陽に近い山ってことは、同時に標高も高い。ここが〈太陽神〉の国だった時ならまだしも、今はもう〈太陽神〉の保護もないからな。とっくに山頂は〈天空神〉や〈爽籟神〉の領域だし、〈陽光山〉の麓なんてもろに日光を受ける、世界で最も暑い場所だ。山麓と山頂の気温がかけ離れているなんて、当たり前のことよ」


 対するヘレナは、そんなことなど何処吹く風だ。自分の体温、疲労、外気温による身体変化など、全て〈意志〉の改変で片が付く。アセラは戦闘以外のところで〈意志〉を捻じ曲げることはまだ苦手だが、ヘレナにとってはその程度、意識せずとも心臓の鼓動と同じように勝手に起こることだった。


「ほら、しゃきっとしろ。そろそろ入国門だ。私はしょぼい奴隷商人だと思われたくはないぞ?」

「誰が奴隷ですか……」


 奴隷と言われるほどみすぼらしい服を着ているわけでは勿論ないのだが、確かに一人荷物を背負い、項垂れながら歩いている様子は、身軽に颯爽と歩くヘレナとの対比で奴隷と女主人に見えなくもなかった。


「あとそうだ、アセラ。お前のその短剣、荷物袋に入れておけ。万が一がない限り、街では絶対に抜くな」

「これですか?どうして?」


 不思議そうにアセラが触れたのは、黒い木製の鞘と柄だけしか今は見えない、腰に付けた短剣。少し抜剣すれば、山吹と朱と深紅が美しくうねる、刃の波打った刀身が姿を露にした。それは刀身に彩られた模様などではなく素材そのものの色のようで、一体何で作られているのか見当もつかない。


「端的に言えば、それには価値がある。悪党だけじゃなく、気付かれればどんな奴らが狙ってくるか分からん。入国したらすぐに、別の相棒を買ってやる。戦場なら使ってもいいが、基本的にはそっちを使え」

「……分かりました」


 そう言われてしまえばアセラも、大人しく従うしかない。とはいえ疑問は残る。それはその短剣の価値そのものではなく、何故そんなものを自分に持たせたのか、である。

 山小屋にヘレナが来た次の日、ゴッセルの山小屋にあった武器の中でしっくりくるものを探した際、これが一番だったから使いはじめた。だが、ヘレナが価値を分かっているのに、ゴッセルが全く気付いていないわけがないだろう。何故そんなものを自分に持たせることを許容したのか、彼にはとても謎だった。


 だがそんなことを言っているうちに、整備された山道の先に入国門が見えてきた。怪しまれないように早めに、彼は短剣を腰から外して袋に放り込む。そのまま二人は、小さな入国門の前に歩を進めた。道横にぽつんと置かれた小屋のようなものに近寄り、小窓から中を覗く。

 この小屋を無視すれば無断入国出来そうだと思ったが、アセラはすぐに、まばらに生えた樹々やその地面に仕込まれた、いくつもの侵入防止用の改変道具を発見した。王国は、堂々と配備して威圧するのではなく、無断通過しようとする者に容赦しない方針らしい。


「皆さんこんにちは。〈遍く照らす陽光サンズファーク王国〉へようこそ。入国申請でよろしいでしょうか?」

「あぁ。私は〈剛腕の女傑〉ヘレナ。傭兵だ。入国目的は観光と、まぁあるなら仕事だな。こいつは私の弟子、アセラだ」

「ヘレナ様、アセラ様。本人確認書類アイデンティフィを提示願えますか?」


 本人確認書類アイデンティフィ? 聞きなれない言葉に、アセラは焦りを覚えた。聞いたことがないということは勿論、そんなもの持ってはいない。まさか自分だけ入国出来ないんじゃ……という内心の焦りは、すぐに目の前のヘレナが解消した。


「ほらよ」


 小窓の前に設置された木版に、突然二枚の書類が現れる。無論それは手品でもなんでもなく、本人確認書類アイデンティフィの〈意志〉を改変してだけなのだが、こんなことが出来る人間は、相当の腕利きでも中々いない。


「……もしかして、本当は〈神級〉傭兵の方でしたでしょうか……?」

「はは、んなことねぇよ。まだ〈王級〉さ」

「……それはまた、失礼を」


 入国管理官は一瞬、ほんとにあんた〈王級〉かよ? という声が聞こえてきそうな猜疑の目をヘレナに向けたが、あくまでもプロ、すぐに仕事に徹した。


「それでは書類に手を……ありがとうございます。〈剛腕の女傑〉ヘレナ様、確認しました」

「ほらアセラ、右手貸せ」


 そうヘレナに言われるがままに、書類に手を押し付ける。そうすると書類の最上部に突然、「本人」という文字が現れた。


「〈女傑の弟子〉アセラ様、確認しました。書類内容は……ヘレナ様が何度か、酒場での喧嘩に巻き込まれたようですね。ですが特に、入国に際して問題はございません。入国申請を受諾します。ようこそ、ヘレナ様、アセラ様」


 少し書類に目を通しただけで、彼女はすぐに二人に入国許可を出した。ヘレナも万に一つも止められるとは思ってなかったようで、二枚の書類を受け取るとすぐ動き出す。


「おう、分かった。アセラ、行くぜ」

「分かりました」

「良い滞在を」


 そうして二人は、〈遍く照らす陽光サンズファーク王国〉に入国した。



 *



「師匠、あの、本人確認書類アイデンティフィってなんですか」


「ん? あぁ、まぁ文字通りのもんよ。本人の〈意志〉に呼応して文字を変える仕組みで、大抵の国で入国出国時には必要だ。あの書類には大体、自分が何処の出身で何をしてきてってのが簡潔に纏めてある」


「え、でもそれじゃあ、改変されてしまうのでは?」


「いや、本人確認書類アイデンティフィの〈意志〉が呼応してるのは、本人の〈意志〉が持つ情報じゃなくて、本人の〈意志〉そのものだ。本人がどんな状態だろうと本人確認書類アイデンティフィは反応するし、逆に自分の〈意志〉を全部改変しても、別人の本人確認書類アイデンティフィは使えない。発行出来るのは、お偉いさんに認められた僅か十人ほどの実力者だ。おいそれと改変は出来ねぇし、偽物を作るのもまず難しい。偽造不能、改変不能、世界で最も確実な本人証明だろうな」


「なるほど……。ところで、僕の本人確認書類アイデンティフィは一体いつ作ったんですか?」


「入国前にそこら辺の葉っぱを拾って〈意志〉を改変した。お前は私が前訪れた国の孤児で、私がそれを拾ったってことにしといたから、あとで確認しといてくれ」


「いや、偽造、されてるじゃないですか……」

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