第八話 師匠と弟子
「嘘だろおい、爺さん! あんたいつの間に料理出来るようになったんだい!」
「儂も長いからの。婆さんに頼り切りだった頃とは違うんじゃよ」
「いや、だからってこうはならないだろうよ! 〈萌芽神〉の
「それは言い過ぎじゃよ。あくまで努力の範疇じゃ」
山頂近くの山小屋、夕陽も沈んだ刻。暖かい光を外に漏らす山小屋からは、女性の大きな声と、はっきりとした老人の声が聞こえてくる。
「冗談キツいっての。私ゃあどんだけやっても上手くならねぇってのに」
「それこそ本当に、〈萌芽神〉に見放されてるんじゃろう。〈黎明神〉が微笑むのも、其方は期待出来そうにないしのぅ」
「ははっ! 違いないねぇ!」
山小屋の中では、丸い食卓の上に様々な料理が並べられ、それを三人の人間が囲んでいた。一人は家の主たる老人。もう一人は昨日現れた少年。そしてもう一人は、少年に弓で狙われた大柄の女性だった。
女性はどうやら老人と顔見知りらしく、山小屋で談笑するお互いの姿には緊張も警戒も見られない。むしろ所在無さげなのは少年の方で、二人が談笑するのを傍らに、夕飯の目玉である
「それにしても爺さん、この年になって子供恋しくなったのか?」
茶碗一杯の白米を殆ど一口で頬張りながら、ふと女性が老人に訊ねた。子供恋しいの子供とは、間違いなく少年のことである。少年自身もそれに気づいたようで、箸を止めてカラカの炭火焼から顔を上げた。
「いや、この子は儂の血縁じゃないわい。むしろ逆かも知れんなぁ」
「逆?」
老人は女性の問いに答えたが、その答えには理解し難い台詞が含まれていた。その意味を問おうと少年は老人に声をかけるが、老人は答えない。何故ならその台詞は、女性には意味を持って伝わっていたからだった。
女性は初めて、快活な笑顔以外の表情をその整った顔に浮かべた。即ち、眉をひそめて、一瞬で深慮を巡らせているような表情。女性のその顔から少年が読み取れたのは、想像もつかない程の速さで思考が巡っているということだけだった。
少年は、先程まで声を上げて笑っていたこの女性が、本当は自分とはかけ離れた存在であることを再認識する。
彼女は、数多の目撃者であり、歴戦の戦士であり、人類の極致であり。
そして何より、〈神の意志を継ぐ者〉なのだ。
「少年」
「……はい」
そんなことを考えていたから、女性の呼びかけに少年は答えるのが遅れた。改めて彼女を見れば、女性の黒い瞳は真っ直ぐに、少年の目を射抜いている。
だが少年は、目を逸らさなかった。
「何のために生きたい?」
女性から放たれたのは、一見突拍子もないような問い。初対面の子供に聞くには深く、情け容赦がない。大体、まだ成人もしていない子供のどれくらいが、真剣にこんなことを考えたことがあるのか。何をどう考えても、一番最初にこれを質問する大人はいないだろう。
だから少年は、感動した。
女性が、全てを見抜いていることに。
少年は服の中から、首に提げた首飾りを引っ張り出す。簡素な鎖の先に繋がれていたのは、夜闇をそのまま封じ込めたかのような、小さな紺碧の宝石だった。
空いている左手で無意識に右肩を触りながら、少年は答える。
「一つは、〈
僅か一瞬も、女性の瞳から目を逸らさずに。
「もう一つは、妹の
黒いはずの少年の瞳では、紅き太陽が煌々と燃えていた。
「……気に入ったよ」
実際は僅か数秒の、長い永い沈黙を経て。
女性は突然、口角を釣り上げてニヤリと笑った。
「なぁ、少年。どうだ、私の弟子になってみないか」
台詞こそ問いの形だが、それは明らかに確定事項であった。女性の笑顔はとても楽しそうで、これから遊戯会を始める子供のそれと一切の差異はない。
「自己紹介をしておこう。私はヘレナ。〈錨刀の抜刀者〉ヘレナだ。少年、名前は?」
僅かの動揺に揺れた少年の瞳が真っ直ぐに定まり、その小さな口が少しの空気を吸い込む。
「アセラ。〈山小屋の少年〉アセラ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます