第十六話 爽籟の御子


「なんともまぁ、こりゃあ酷いことをしてたもんだね」



 突然、夜の空に女性の声が響く。


「「っ!?」」


 まさか闖入者が現れるとは予期していなかった男二人が、空中で咄嗟に防衛態勢に入った。男達を、閉鎖的な暴風の渦が覆い囲む。五メルも離れれば音も聞こえないという突出した完成度のその風の檻は、触れた瞬間に身体を斬り飛ばす力を秘めていた。


「風を操る穢人ケガレビト、ね。


 だが、現れた女性の声に恐れた様子は微塵もなく、声は滑らかに男達に近づいていく。深夜の上空と言えど、月明りと星明りで近付けば姿は見える。男達は自らの傍に現れた女性に目を向けた。

 夜闇に融け込むかのような、黒に染められた上下。夜風に吹かれてはためく黒の外套は、まるで生き物かのように蠢いている。やや茶色がかった縮れ毛は、絡まったまま肩に掛けられていた。そして、


「……気を付けろ。〈錨刀の抜刀者〉だぜ」


 右手に握るのは、先端が二つに分かれた、錨のような大剣。


 風を纏って空に浮く男と、ミアの〈意志〉を抱えて空に留まる男。その二人の傍に、その女性は空を滑るようにして接近する。その目には迷いも恐怖も決意もなく、まるでただ、散歩ついでに道草を食いにきた程度の顔つきだった。


「名乗りやがれ、〈錨刀の抜刀者〉。どこの流派だ。俺らを害するつもりなら即座に殺すぜ」


 男が発した声は風に乗って、女性の耳へと届く。ついでにその声は斬りつけるような旋風になっていたが、何故か女性はそれを普通に聞き、怪我もせずに返事を返した。怪訝そうな顔をする男に構いもせず、女性は口を開く。


「いやはや、あんなことをやってのける奴らだから、どんなやばいのが潜んでるかと思ったら、なんだい、こんなもんかい。あれか、ボスに駒みたいに使われるタイプの組織か? でもそんなのがこんな小国で何してんだ。そういうのは大概、ボスは動かんだろうよ」


 ——正確には、口から出たのは返事ではなく、ただの独り言だったが。


「答えろ、クソ女。五秒以内に答えねぇなら殺す」


 苛立たし気に言葉を連ねた風を纏う男に、女性はようやく応答した。目線を男に向け、飄々とした様子で肩を竦める。


「はいはい、全く。名前は後でにさせてもらうよ。〈錨刀の抜刀者〉で充分だろう? 流派は……そうだねぇ、強いて言うなら本流だが、そう言ったら色々言われそうだから、外道とでも言っておこうか」


 とはいえその答えは、男が望んでいたものとは遠く離れている。名前不明、流派無しの〈錨刀の抜刀者〉。そんなものが現代に、この歴史の時代にいるはずがない。どう考えてもおちょくっているとしか思えないその女性の態度に、そろそろ男のはらわたが煮えくり返ってきた。


「ふざけんな、真面目に答えやがれ。どうしてここにきやがった」


 男の言葉は険のあるものに変わり、態度も攻撃的になる。彼は女性の周りの空気の〈意志〉を支配下に置き、いつでも殺せるように状態を整えて、



「それは簡単だねぇ。ミア嬢の〈意志〉で、さ」



 すぐに、それを使うこととなる。



 女性の四方八方から、鋭い風の槍が突き出される。触れれば骨をも抉り飛ばすその旋風は、しかし空中でくるりと身を翻した女性の〈錨刀〉が全て弾き飛ばした。彼女の周りを暴走した暴風が荒れ狂うが、女性が体勢を崩した様子はない。


「くそっ、お前を護衛してこいつと戦うのは無理だ。レイサ、逃げろ。場所を離して実行に移せ」


 風を操る男がそう言って、自らの風の檻から外に出る。レイサと呼ばれた男は、ミアの〈意志〉を抱えて、風の檻と共に夜の彼方へと逃げていく。


「ははぁ、今のうちに逃がそうって魂胆かい。そんなのに私が引っ掛かるとでも?」

「嫌でも引っ掛かることになるぜ、〈錨刀の抜刀者〉。俺は〈神の意志を継ぐ者〉、〈爽籟神〉の御子だ。高々歴史の時代の人間ヒト如き、神の力に抗えるたぁ思うんじゃねぇぜ」

「その神だって物語の時代の最後に力の大半を失ってるじゃないか。私はこれでもある程度、正当に〈錨刀〉の教訓を得た人間だよ。舐めてもらっちゃ困るねぇ」


「うるせぇ。死ね。〈竜巻トロンバ・ダーリャ〉」


 その一言で、突然周囲の風が全て止む。

 そして次の瞬間、女性の周りに暴風の渦が殺到した。


 殺到した渦は合体して女性に襲い掛かり、大きな一つの竜巻として女性を覆い囲む。身動きとることすら叶わぬ暴風が、女性の身体を覆いつぶす。


「下手に〈意志〉を晒しておくんじゃないぜ。それは神の力を得てるんだ。〈意志〉を削られるのがどれだけ辛いか、まだ知らないだろう?」


 少し離れたところから神の力を行使する男は、高らかに声をあげる。〈神級〉傭兵以上ならいざ知らず、彼の全力の攻撃は流派もないような〈錨刀の抜刀者〉如きが耐えきれるものではない。その自負があるからこそ、男はさらに力を加える。暴風は上空で派手に荒れ狂い、女性の〈意志〉も風の〈意志〉に覆い尽くされて見えなくなった。いや、それかもう、削られ切って無くなっているのかも——



「あぁ、よ、それは。最近味わうことはなかったけどねぇ。せっかく今回は味わえるかと思ったのに、かい」



 空を荒らす暴風に響かせて、男の鼓膜に、女性の声が届く。

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