第十七話 力の一端

「せっかく今回は味わえるかと思ったのに、かい」


 その声に、男は戦慄する。


 女性の周囲の空気は全て、彼の力、神の力で以て支配下に置いていた。その空気は全て鋭い暴風と化し、女性の身体へと降り注いでいたはずだ。だから、女性が何を叫び喚こうとも、その声は空気を揺らさず、響かぬ声として消えるはずなのだ。


 だが、女性の声が聞こえる。


 声が、響いている。



何者なにもんだ!? どうやってやがる!? 何故〈意志〉が削れない!?」


 男は狼狽し、より一層風の〈意志〉の改変に力を加える。先程以上の暴風となった風はとうに剣より鋭利で、しかもそれは神の力を有するのだ。〈意志〉にそれが触れれば、問答無用で〈意志〉が削り取られ、文字通りに存在を消される。それは神話の時代や物語の時代でこそ当たり前の戦い方だったが、歴史の時代の今では〈神剣〉を使うか〈神の意志を継ぐ者〉でなければ実現出来ない、圧倒的な力だった。


 その、はずだった。


「その程度の〈意志〉で私の刀を削れると思うんじゃないよ。高々歴史の時代の神如き、ね」


 しかし女性は、その暴風の中で、間違いなく空に留まっている。風に削られることも揉まれることもなく、ただ空中に留まっている。それは決して幻影などではなく、彼女が意趣返しに放った返事もその余裕を物語っていた。気付けば、つい先程まで消えていた〈意志〉の反応も復活している。

 そう、〈意志〉を感じとれる。ということは、彼女は〈意志〉を晒している。


「ざけんなっ、んな堂々と〈意志〉を晒しておいてどうして消えねぇ!?」


 世界の存在全てを形作る存在、〈意志〉。それを偽るなど、聞いたこともないトリックだ。有り得ない相手に対峙した男は、その理由を知りたがる。

 しかし、女性の答えはそれ以上に残酷だった。彼女は決してトリックなど使っていない。小細工も使っていない。ただ、


「簡単だ、突っ込んできた〈意志〉を全部斬り刻んでやったのさ」


 有り得ないほどに、強いだけだ。


「んなわけあるかっ! 四方八方から矢よりも早く乱れ打ちしてるんだぞ!? そんな芸当、出来るわけが……」


 男は当然、それを信じない。何も神の力を、一直線に放っているわけではないのだ。風に揉まれる枯葉が如く、それは複雑に軌道を変えて、やがて風に塗れて突っ込んでくる。幾ら〈意志〉を見ることが出来る彼の仲間達でも、これを避けることは叶わなかったのだ。迎撃など不可能に違いない――


「……なんだ、と……?」


 ――という考えを、彼が支配する風の〈意志〉達が裏切った。

 そこにある〈意志〉は、どれも……



 もう既に、神の〈意志〉を宿していなかった。




「さぁ、どうやらお前の風の〈意志〉も野晒し……いや、空晒しとでも言うのか? まぁともかく、これぐらいならわざわざ斬りつけにいく必要もなさそうだねぇ」

「何を、言ってやがる……?」


 女性の独り言を、男は理解する余裕がない。分かってしまったのだ。目の前の女性は自分より格上で、自分はこの人間からレイサを、作戦を守らねばならない。これ以上自分が出来ることは、命を懸けた時間稼ぎだ。分単位、下手したら秒単位でどれだけの時間を稼げるか、そういう次元かもしれない。突然訪れた自分の死地に、流石の男も狼狽してしまっていた。


 だが、あいにくのところ、男はその役目を果たすことが出来ない。


「よっと」


 女性が、右手の大剣を軽々しく振るう。

 その瞬間――



 空中の、空気が消える。



(――ッッッ!?!?)



 流石に予期していなかった事態に、男は慌てて周囲の〈意志〉を改変しようとする。だが、彼が改変出来るのは空気、正確には風の〈意志〉。空気が消えた――厳密には、――この場所では、男は浜辺に打ち上げられた魚、陸上の〈大海神〉だ。尤も、本当は陸上でも変わらず最強の一角を誇った〈大海神〉とは違い、彼の力は〈爽籟神〉の力を借りた紛い物。空気を失った今、彼に出来るのは呼吸も出来ない上空から地上に落下していくことだけだった。


「どうやら程度の人間みたいだし、私が殺すまでもなさそうだな。そのまま地面に叩き付けられてくれていいぜ。ちなみに空気抵抗はないから、これまで見たこともないような落下死の仕方になるかもな」


 空気がないはずの空で、しかし確かに女性の声は響いて。

 酸素を失って段々と白に染まっていく視界と思考の中で、ようやく男は自分が何と戦ったのかを悟った気がした。


(馬鹿みたいに強い、外道の〈錨刀の抜刀者〉――まさか、〈〉ヘレナだったのかよ……?)



 *



「ふぅ。割には、随分と弱かったねぇ」


 酸素欠乏から気を失い脱力したまま落ちていく男を眺めて、女性は――〈錨刀の抜刀者〉ヘレナは一息吐く。この程度の戦いなら炉端の掃除の方がまだ疲れるが、まさかここまで弱い相手だとは思わずに、多少とはいえ構えてしまった自分の力の制御に疲弊してしまっているのだ。


「あれだけのことを王国中に出来るのに、どうしてそんなに弱いんだい?」


 不自然なほど加速して地面に一直線に落ちる無様な男の先、ヘレナが見つめるのは王国宮殿。まるでそこに誰かがいるのを確信しているかのように、意味有り気な視線を送る――


「……嘘だろ?」

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