第十八話 煌

「……嘘だろ?」


 突然、ヘレナが声をあげる。



 ヘレナが、声をあげる。




「っ! おいおいアセラ、何おっぱじめようってんだ? いくらなんでも早すぎる、冗談じゃないぜ」


 彼女にしては珍しく――そう、本当に久しく――、本気で狼狽えている。右手の大剣を両手に握り直し、思いっきり振りかぶるが、


「……くそっ、助長するだけだ」


 自分の力では、どうにも出来ないと悟ったらしい。


 初めて、その焦げ茶気味の瞳に、決意が滲む。



「あぁちくしょう、まさかこんなとこで使うとはな。いいぜ、やってやるよ。




 ――〈意志解放エマンシペイション〉っ!!」



 *


 身体に加わる鈍い痛覚が、沈み切った彼の〈意識〉を呼び起こす。


 節々が痛い。関節がまるで、傷と疲労で凝り固まってしまったかのように感じる。特に左腕が酷い。下手に叩き付けられたせいで、地面と自分の身体に挟まれて複雑骨折したみたいだ。手に力は入らず、肘はあり得ない方向に曲がっている。首も捻ったようで、身動みじろぎしようにも激痛が走ってそれどころではなかった。


「……ん? おぉ、まさか起きるとはねぇ」


 そして、全身を巡った激痛に思わず押し殺した声をあげてしまい、それに目敏く男が気付く。恐らく、先程アセラを叩き付けた透明な壁を作り出した男だ。地面に触れている右手で確かめてみれば、地面は宮殿の床と同じ、豪奢な絨毯。恐らくあそこで戦闘してからあまり時間は経っておらず、場所を移されていないのだろう。あの場で風で斬り刻まれなかった時点で、相手は何かのために自分を生かしておくつもりなのは分かっていた。

 やや遠くにあった声の元が、コツコツという足音と共に近付いてくる。痛みを堪えて右手で地面を探るが、流石に相棒、〈梦散ムサン〉は落ちていなかった。もう一振りの相棒、緋色の短剣は宿に置き去りにしている。腕を骨折し首を捻った状態で、丸腰の自分に接近する敵の足音に、アセラは懸命に抗おうとするが、その努力も虚しく足音は近づいてきて、彼の側でピタリと止まり、


「おらっ!!」

「がはぁッ!?!?」


 その腹を、蹴り上げた。

 その動きは間違いなくこれまで何度も人を蹴ってきたことがあると分かるもので、上手く飛ばすために腹の鳩尾あたりに足を触れ、そこから一気に力を加える。内臓を蹴り飛ばされたアセラは身悶えしながら壁へ叩き付けられ、半強制的にもたれかかって座らされた。左手だけは死守したが、首に上手く力が入らずに、後頭部を後ろの壁に叩き付ける。〈生命神〉が叫ぶような激痛が再び身体中を駆け巡り、さらに蹴り飛ばされた内臓もズキズキと痛んで吐き気を催す。打ち付けた頭のせいで、また〈意識〉が飛びかけた。それでもアセラは〈意識〉を手放さない。

 その姿を見て、男もちょっとやそっとではまた〈意識〉を飛ばしたりはしないと分かったらしい。


「はぁ、今回麻酔とかないから気絶させるのは大変なんだっての。全く、は簡単だったんだがなぁ」


 その、何気なく呟いた愚痴が。


「……簡単、だった?」


 アセラの〈意識〉に、火を投げた。


「ん? あぁ、そりゃな。たかだか十前後の餓鬼だぞ? 殴る蹴るで充分さ。それでも王族というべきか、結構耐えたんだがな。あんな餓鬼を殴るのは、俺の趣味じゃないんだがなぁ」


 そんなアセラの〈意識〉の変化には気付かず、男はペラペラと言葉を発する。その間にも手を忙しなく左右に動かして、何かをいじっているようだった。


「……ミアに、手を……殴ったのか?」

「まぁ、そうだ。でもその程度で悪と非難されたくはないぜ。セオーレオなんか、〈意志〉を捻じ曲げたんだからさ」



「…………今、なんと?」



 少しの間を置いて、アセラがドスの利いた声をあげた瞬間。ようやく男も、目の前の少年の瞳に映る光が変わっている事に気付いた。

 とはいえ、いくら決意を固めたところで、自分と少年には大きな実力差がある。気迫と決意が生み出す実力の底上げを計算に入れても、自分の優位は覆らない。故に、男は話し続ける。


「〈意志〉を捻じ曲げたんだよ。まさか意味が分からないわけじゃないだろう? 原型なんて分からないぐらいぐっちゃぐちゃにして、そっから色々再定義して、とっくに別の何かに変えやがった。それが何かなのは、まぁ、これからのお楽しみさ」


 そういうと男はくっくと嫌らしい笑い声をあげて、それから右手を掲げる。


「それはそうと、今お前の周囲に空気だけに作用する壁を生み出してる。俺が右手を握れば、その壁はすぐさまお前に迫り、気圧はかなり上昇する。それだけ身体が損壊してる状態で、どこまでの気圧に耐えられるかな?」


 憎たらしい笑みを口の端に浮かべて、男は笑いながらその場を離れる。それと同時に見えない壁が空気を圧縮し、アセラの周囲だけ気圧が異常に高くなっていく。悠然と廊下を歩いて離れ、近くの扉のノブに手を当てがったところで、


「……どうして、泣き叫ばねぇ?」


 ふと、アセラを振り返った。



 アセラは変わらず、憔悴しきった身体を壁にもたれかけてそこにいる。〈意志〉を見れば、ちゃんと壁はアセラに迫っており、既にアセラ周囲の気圧は十倍近くになっているはずだ。それなのにアセラは激痛に身を悶えさせる様子もなく、顔を伏せてその場に座っている。


「おいおい、まさかここまで来て〈意識〉を飛ばしたかぁ? それとも……」



「——————許さない」


 ポツリと、声が漏れる。


「は?」



「許さない。許さない。許さない。許さない、許さない、許さない、許さない、許さない許さない許さない許さない許さない許さな許さな許さな許さ許さ許許許――――」



 アセラの声が、空間をひび割れさせるかのように震わせる。

 口から漏れる声は、まるで呪詛のように世界を縛る。


 その強さは、鍛え上げられ、洗練された人の強さというよりも———



 ———本能を呼び覚まし、感情を露にした、獣の強さだった。




「……おいおいおいおいおいおいおいそんなん聞いてねぇぞ!?!? セオーレオ、今すぐ出ろ! 逃げるぞ! 作戦なんか全中止だ、こいつ———」


 それ以上、その男は言葉を紡がない。

 否、紡げない。


 男が言葉を失う、ほんの刹那の前に、王国宮殿を白い光が包み込んで。

 男の瞳に最後映ったのは、少年が開いた右手の上に、圧倒的な存在感で鎮座する、極小のかがやき———








 ———太陽、だった。

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憶人:オモイビト 萩原稀有 @4-42_48

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