憶人:オモイビト

萩原稀有

序部 浄人の誕生

序話 三の聖日

 私の周りに、幾つもの啼泣ていきゅうが響き渡った。



 とはいえ実際のところ、泣きかけているのは私であって、私を囲っている彼らの〈意識〉は誰一人として泣いてはいない。それなのに、私の〈意志〉は別に泣いていなくて、彼らの〈意志〉は苦しさに悶えながら泣き叫んでいる。


 その対比を滑稽だと思う余裕は、無い。



「おうおう、これはこれは?」

「ウチの落ちこぼれちゃんじゃあないですかー」

「ごめんごめん、まさか肩が当たったぐらいで倒れるとは思わなくてぇ?」



 ニヤニヤと気持ち悪く笑いながら、彼らは地面に突き倒された私の顔を覗き込んでくる。

 彼らのうちの一人と当たった左肩は、まず間違いなく。灼熱の槌を叩きつけられているかのようなズキズキとした痛みのおかげで、私の〈意志〉を読むまでもなく分かった。



「いや、〈意志〉をんだから当たり前っしょ!」

「あぁあー、そうだったそうだった、俺忘れてた! ごめんねぇ、落ちこぼれちゃん? 怪我はない?」

「グズライの左肩が当たったんだぁ、ちょっと怪我してたって、名誉なことだよなぁ!」

「「「「あははははあああ!!!!!」」」」



 彼らのいう冷やかしは、聞き逃すに限る。別に私が反論したところで、この関係が変わるわけではない。仮にグズライ達が辞めたとしても、今度は別のグループが違う方法で始めるだけだろう。学校を辞めたとしても、社会が向ける目は同じようなものだ。いや、むしろ、より陰湿でより狡賢いものになるかもしれない。大人はそういうことにかけては天才で、そしてだから子供のことなんて何も知らない。


 なにより、そんなことをすれば、きっと彼らはより酷い方法で私を傷付けようとするだろう。自分の肉体が傷付くのは別に良い。でも、そんなことをすれば、また彼らの〈意志〉は地獄を見る。彼らの〈意識〉によって蹂躙され、支配され、在り方そのものを書き換えられる。


 そんなこと、私は絶対しない。


 私は絶対、〈意志〉を


 そして書き換えないからには、私はこの世界では落ちこぼれでいるしかないのだ。



 だけど、そろそろこの場を去らないといけない。グズライ達がそう簡単に逃すとは思ってないけど、もう〈意志〉達の慟哭は聞きたくない。もしここに居続ければ、まず間違いなくそれが増える。


 とは思ったけど、どうやら今日の私は、つくづく不運らしい。



退きなさいっっ!!!!」



 その怒号が聞こえたのは一体、廊下の窓が粉々に砕ける、前だったか、後だったか。


 私を囲う男達のど真ん中に、一人の少女が飛び込んできた。


 男達とさほど身長の変わらないその少女は、飛び込んだ勢いを殺さずに、近くの男子に殴りかかる。男子は腕を交差してそれを受けた。〈意志〉の慟哭が大きくなり、すぐに絶叫に変わる。


 が鳴った。


 不自然なほど一方的に、少女の右手が弾き返される。だが、殴り付けた右手は牽制でしかなかった。脇元にコンパクトに折り畳まれていた左手が、すぐさま男子の両腕の交差点を突く。


 男子の両腕が


 左手が男子の両腕を斬り落とした時には、少女はもう次の男子に目標を定めていた。迫り来る左手を既に引き戻していた右手で払い、左脚を思いっきり蹴り上げる。間違いなく肋骨が数本折れた音であろう音を遺して、その男子は廊下の奥に飛んでいった。



「くそっ、またお前か!」

「今日こそ目にもの見せてや…グハッ!!」



 悪態をつく男子達にも素早く接近し、鋭い攻撃で畳み掛ける。威勢の良い声を上げた男子の顔面を、少女は問答無用で殴り付けた。男子の顔面は陥没し、見るも無惨な状態に成り下がる。無言で襲い来る、少女に成りすます暴力の嵐に、取り巻きの男子五名は成す術なく叩き潰された。


 だが、グズライ……一際身体が大きく、そして一際意地の悪い目をした男子だけは、そう簡単に倒されなかった。


 全ての取り巻きを力で以て捻じ伏せ、少女はグズライに接近する。だが、その身体が不意に、何かにぶち当たったかのように弾き飛ばされた。無様に廊下の床にひっくり返った少女を悠然と眺めながら、グズライは後ろに跳び退く。彼の一っ飛びで、少女との間に二クラス分の距離が生まれた。グズライがさっきまでいた廊下の床が、派手な音を立てて凹む。



「くそっ、これだから穢人ケガレビトはっ……」



 少女は苦々しく悪態を吐いて、地面から立ち上がろうとする。しかし立ち上がった瞬間に、今度は喘ぐように喉を押さえた。呼吸が出来ずもがく少女を眺めて、グズライの大きな顔に嫌らしい笑みが浮かぶ。それでも少女の瞳から、闘志は消えなかった。


 否、むしろ、強まった。


 少女は思い切って呼吸を止め、右腕を後ろに引き、左を前にして半身に構える。どう見ても届かない距離で殴り付けようとする少女を見て、グズライは眉を顰めた。その仕草を待っていたかのように、少女の口角がニヤリと吊り上がる。


 そして、少女の右手が突き出さ



「もうやめてぇっっっっっ!!!!!!!!」





 私の声が、先に空間を支配した。





 少女の右腕は止まらず、そのまま突き出される。だけどそれは普通に、目の前の空気を裂いただけだった。少女は虚を突かれたようで、その場に固まる。


 少女よりも、動揺が著しいのはグズライだった。



「なっ、おい、な、なんで、〈意志〉が、制御、出来ないっ…?」



 慌てた様子で周りを見渡し、様々な動作や色々な掛け声を試している。だがどれも、彼を満足させる結果には至らないらしい。グズライの顔にはどんどん焦りが募り、その広い額には脂汗が浮かび始めている。


 そんなこと、私にはどうでもいいが。


 私の耳は、もう。



 廊下に木霊する〈意志〉達の叫声で、鼓膜が破れたかと思うほどに痛かった。




「ユミ、ナ、……?」


 機械仕掛けの人形のように此方を振り向いた少女の、問い掛けるような声が聞こえる。間違いなく彼女は私を心配してくれていて、だからこんなことをしてくれた。虐められてばかりの私を、「自分の〈意志〉に助けてもらいなさいよ。そうしたらあんな奴ら、ユミナなら秒でしょ、秒」と励ましてくれたのも、目の前の少女だ。


 そして、その優しさを素直に受け取れない私は、きっとこの世界には向いていない。



〈意識〉のために〈意志〉を蹂躙するなんて、私には出来ない。


 それは、優しくなんか、ない。







 私は、〈意志〉が。


 私達を形造る、この力が。


 私達の〈意識〉に。


 蹂躙されず。


 支配されず。


 強制されず。


 あるがままで居られる。



 そんな世界が、創りたい。







 そんな世界を、生きたい。








 初めて私は、私の〈意識〉は、私の〈意志〉を書き換えた。


 すぐさま、書き換えられた私の〈意志〉が、私の〈意識〉を書き換える。




 そして私は、顔を上げた。












 *











 ソクムラテス歴、972年。萌芽の三月・秋の週・参の日。


 年号が三の倍数、月と週と日が全て三番目であるということから、後に〈三の聖日せいじつ〉とも呼ばれるこの日は、世界で最も有名な日となった。



 この日、世界に、浄人キヨメビトが生まれた。

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