第十話 〈鷹〉の襲来
「いやー、まさか〈
ヘレナはミア、アセラはカノセとの鍛錬を終えた、その日の夜。焼け付くような陽光もなりを潜め、今は太陽が輝いていたところに青白い月が浮かぶ。
二人泊まるには充分な大きさの宿屋にて、二人は雑談に花を咲かせていた。ヘレナはやろうと思えば睡眠など必要なく、アセラはあまり長く寝ない体質なのでまだ寝るには早い。必然的に、夜は二人の談笑の時間だった。
「カノセさんは対人防衛と暗殺に長けた人ですから。相手の土俵に乗りさえしなければ、〈黎明神〉が微笑んでもおかしくはないです」
「普通そう上手くはいかないんだがな。ま、流石は私の弟子、とでもいうことにしておこう。それとそろそろその敬語、どうにかならないのか」
「どうでしょう……妹とばかり話していたので、それ以外の人には敬語を使ってしまいがちです。少し難しいかもしれません」
「まぁこれでも緩くなったほうだしなぁ……、っと?」
と、急にヘレナがその眉を
「アセラ、まだ動けるか」
「……どうかしましたか」
その質問にアセラは質問を返し、リラックスしていた身体に力を入れた。口角を上げて笑っていたヘレナの顔が、目つきの鋭く落ち着いた表情に変わっている。間違いなく、自分を商店街へ遣いっ走りに使うつもりではない。不穏な空気を察した少年は、思わず師匠に続いてその場から立ち上がっていた。
「戦支度を整えておけ。取越苦労かもしれんがな」
「分かりました」
旅支度ではなく、戦支度。つまり、ヘレナは戦乱の予兆を汲み取っており、アセラにも逃げるのではなく戦えと言っている。只ならぬ事態でないことは考えるまでもなく分かった。
だぼっとした寝間着を脱いで畳に置き、身に馴染んだ半袖シャツと七分丈を身に纏う。ヘレナはまるで最初からその恰好だったかのように、手甲と大剣を揃えて佇んでいた。脱剣していた〈
「入れ、カノセ」
すぐさまヘレナがそれに応え、部屋の扉が開いた。それはすぐに一人でに閉まり、すぐその瞬間扉を閉めたカノセの姿が虚空に現れる。家政婦のような服を着た彼女の目の奥に、アセラは深い絶望と自責の念を見た。
「……本当に〈王級〉傭兵ですか、貴女は」
「さぁな。そんな素性も知れない人間に頼らざるを得ないとは、何があった?」
そう問い返されたカノセは、すぐに表情を陰らせる。食堂にて、ヘレナ相手に毅然とした態度を向け続けた彼女がこうも言い淀むのを見て、アセラは間違いなく何かが起きたと理解した。
「大丈夫だ、この部屋の中は誰も、〈天空神〉ですら見ることは出来ない。安心して話しな」
そうヘレナに促されて、カノセは決心がついたようだった。胸に
それから右手の甲を掲げ、ヘレナとアセラに見せる。自らの正体を隠す人間がその証明に使う、〈意志〉に呼びかけることで手の甲に現れる〈甲章〉だ。そこには、大陸全土を照らす陽光——〈
「とっくに気付いていらしたようですが、明言しておきます。私は〈
既にヘレナから聞いてはいたが、実際に本人の口から聞くと事実に実感が伴い、やはり一定の驚きに襲われる。剣を交えたアセラはカノセの実力を知っているが、もし知らなければ目の前の女性はどう見てもただの、お転婆娘を憂う主婦だ。その女性が甲章を浮かばせて娘が王女だと言っているのは、こんな空気でなければ滑稽に映っただろう。
尤も、その次の言葉でそんなことを考える余裕は跡形もなく吹き飛ぶのだが。
「実は現在、王都に近衛騎士団以外の騎士が集結し、帝国との開戦を国王に迫る軍事デモを開始しています。そして、……近衛騎士長として、あるまじきことですが――
ミア様を、何者かに攫われました」
「っなっ……!」
デモに乗じた、第二王女の誘拐。それは謂わば、王家相手に国権という身代金を要求する誘拐事件。即ち、デモ部隊が国家転覆どころか国家掠奪を狙っていることが明確化したのだ。アセラが思わず声を上げるのも納得だった。
「ふーん、なるほどな。で、そんな最重要機密を、どうして私達に漏らすんだ?」
とは言え、ヘレナはこんな事で一々驚くような性格も経験もしていない。彼女は国家掠奪どころか、貧民の出からたった一人で国家を掌握した人間をも見たことがある。それよりも、そんな機密を突然明かしてきたカノセに違和感を覚えていた。
だがそれに対して、カノセは更に機密を重ねていく。
「……五人の誘拐犯達は、全員私の姿を見破りました。私の
最後の一言で、ヘレナは勿論、アセラも確信に至る。
何故カノセが、王女を攫われたあと、ここに現れたか。自らの失態に能力の秘密を、自分達に明かしたのか。
「私達第四近衛部隊の者では、彼らを追えませんでした。兵士団と他の近衛部隊は、決起した騎士団と緊張状態でとても助けを出す余裕はありません。ですので」
目の前で、カノセが頭を下げる。
「〈王級〉傭兵、〈剛腕の女傑〉ヘレナ。及びその弟子、〈女傑の弟子〉アセラに依頼します。
〈
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