第九話 初めての手合

 参春さんしゅんの刻の終わり、気温が最も上がる時刻。灼熱の太陽が遍く世界に降り注ぎ、大きく開けた広場にすら熱気が篭る。爽籟の十一月とは思えないほどの熱に晒されながらも、しかし広場の中央には四人の人間がいた。


「そうだ、いいじゃねぇか! あとは踏み込みだな。嬢ちゃんは身体が小さいが、その分速度で勝てる。足で敵を攪乱してから、一気に踏み込んで一本取りに行け」

「うん! やぁあああ!!」


 カン、カン、と心地好い音を立てて剣を打ち合わせるのは、〈剛腕の女傑〉ことヘレナと、〈農家の娘〉ミア。ヘレナは大剣を殆ど振らずミアの剣に合わせているだけだが、対するミアの実力がめきめきと上がっていることはよく分かる。最初は剣を制御するので一杯一杯だったはずが、今は流れるような所作でヘレナの剣に打ち込みに行く。伊達に物語の時代から生き続けているわけではなく、彼女の指導は的確で明確だった。


「……実力だけは認めましょう。〈王級〉ともなれば、やはり恐ろしいものです」


 それを少し離れて見守るのは、ミアの母親もとい護衛の女性。鋭い目つきで観察するのはミアではなく、その相手のヘレナだ。だが、彼女が実力者であることは、女性の目にかかれば一瞬で分かることだった。

 その傍で二人の訓練を眺めるアセラは、まさかあれが実力を抑えに抑えた結果とは言えず、何とも言えない表情で立っていた。


「さて。〈女傑の弟子〉」

「……なんですか?」


 すると突然、横の女性が自分の喚名よびなを呼ぶ。まさか呼ばれるとは思っていなかったアセラは、一拍置いてからそれに反応した。


「彼女が仕事を全うするようなら、私も応えるべきでしょう。得物を取りなさい。一戦ぐらいなら、応じてあげます」


 そう言い放つが早く、女性はスタスタとアセラから距離を置く。突然の動きに一瞬ついていけなかったアセラだが、すぐに状況を把握して、すっと腰を落とした。

 十歩ほど離れた場所で女性は振り返り、油断も隙も無い刃のような眼をアセラに向けた。


「私のには気付いているようですが、そう名乗るわけにもいきません。なのでこう名乗らせていただきましょう」


 そう言いながら、女性はどこからともなく細身の何かを取り出していた。

 ヘレナの言葉が、アセラの脳裏に響く。


『——暇だったらだからな——』



「〈獣之壱じゅうのいち級〉傭兵、〈空融そらとけ〉カノセ。参ります」



(……僕と同じ、短剣使い!)



 女性——カノセがそう言うが早く、アセラは腰の剣を引き抜く。朝購入したばかりの、真新しい相棒。鋭利な刃は真っ黒に染まって微塵の黒光りも許さず、それは短剣というよりただの黒い棒に見えた。

 だが、いつもならすぐに地面を蹴るアセラが……その場から、動かない。

 否、動けない。


(……消えた)


 一瞬前まで目前にいた女性の身体が、跡形も無く消え失せているのだ。

 無暗に動けば、最悪の場合相手に突っ込んでいくことになる。だが、止まっていたら格好の的なことは自明だ。アセラは開戦直後から、かなりの不利だった。


 正確には、


 ただその場で立ち竦むだけだったアセラが、突然身を翻す。空間を切り取ったかのような黒を、自分の首の高さまで引き上げた。


 その瞬間、虚空から鈍色の刃が現れる。

 風を切って進むその刃は、出現から僅か十分の一秒も経過せずに、アセラの短剣に叩き付けられた。軽く甲高い金属音が響き、その刃と共にすぐ掻き消える。


 その勢いを使ってアセラは後ろに飛び退き、両足を着いて体勢を整えた。見据える先に鈍色の短剣はない。

 だがアセラの視線は、もうブレることはなかった。


 その脚力に相応しくない速度で、アセラが地面を駆ける。そして何もない虚空に向けて、右手の影を薙いだ。

 その瞬間、影を遮るように鈍色の刃が現れ、またあの甲高い音が鳴り響く。


 それは奇妙な剣戟だった。少年が一人演武でもしているようで、斬り込む先には必ず鈍色の刃が現れる。鈍色の刃は決して攻勢に転じず、その影を受け止め続けていた。

 そのまま、ただ時間だけが経過していく。


 先に崩れたのは、アセラだった。

 右手の影の速度に翳りが見え、剣筋にも粗が出始める。それでも攻め続けなければいけないかのように、彼はその攻め手を緩めない。その結果無為に疲労を重ね、より刃が不安定になる。


 影が、甲高い音を立てなかった。


 駆け引きに負けたアセラの短剣が、本当の意味での虚空を薙ぐ。ほんの少し体勢を崩した少年に、鈍色の刃は容赦しなかった。彼の背中に現れたその刃が、瞬きの刹那で振り下ろされる。


 刃が、地面に転がる。



 それは、一瞬のことだった。

 体勢を崩したその瞬間、アセラはそれに抗わなかった。つんのめって前に倒れる身体を、〈梦散ムサン〉を振り抜いた勢いを使ってそのまま左に回転させる。そして背中に迫る刃の峰を、限界まで畳んだ左手の肘で叩いた。

 無理な体勢からの、無理な打撃。本来なら剣筋を変えることはおろか、投げられた小石を打ち返すにも足りないだろう。


 だが彼は、〈錨刀の抜刀者〉ヘレナの弟子であり——

 即ち、〈剛腕の女傑〉ヘレナの弟子だった。



 左肘を打ち付けられた短剣が、五歩以上離れた広場の地面に虚しく転がる。

 ほぼ右肩から地面に落下したアセラは、一瞬で後転し、立ち上がることもなく地面を蹴った。

 空気の障壁を吹き飛ばして、アセラと致死の影が迫る。

 それがピタリと、虚空に刃を突き付けた状態で止まり――



 そこを黒で染め抜く〈梦散ムサン〉の刃の先に、カノセの首が現れた。

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