第十二話 追跡

「何処だ、何処にいる……?」


 少年はそんな呟きを置き去りにして、風のように駆ける。複雑に入り組んだ路地裏をものともせず、速度の衰えも体力の限界も見せずに夜を縫っていく。


 アセラが王都に入り込んでから、もう既に半刻以上もの時間が経過していた。

〈意志〉の情報を改変して体力消費を限界まで減らしてはいるものの、今度は改変を強制された〈意志〉の疲弊が蓄積してきている。肉体自体は殆ど疲弊していないのに、まるで存在そのものを削られていくような抵抗感——。ヘレナによって身に馴染ませられた感覚とは言えど、アセラは未だ慣れてなどいなかった。


 しかしだからと言って、追跡を辞めるわけにはいかない。それは依頼されたからではなかった。つい二ヶ月前までただの山小屋暮らしだった少年に、傭兵としての矜持などまだない。

 彼はあの、陽気で真面目な少女ミアに、彼のかつての妹を重ねているのだ。



 今は彼の両肩に宿る、綺麗な銀髪の少女――ルリを。



 彼は人気の少ない路地裏から、大通りに飛び出した。

 途端、人々の熱気にてられ、まるで風邪にでもかかったかのように思考がふらつく。アセラは自分の〈意志〉の疲労を少しだけ残して、その熱を運動による疲労だと勘違いさせた。身体は少し重くなったが、思考は先程よりはっきりする。

 大通りには、沢山の人が詰め掛けていた。アセラの周りにいるのは野次馬だが、視線を王宮の方に向ければ、その密度がより増していることがよく分かる。

 さらにその奥には、整然と整列して歩を進める騎士団の一行が、遠めにだが見えた。恐らく王宮の前では兵士団が守りを固め、騎士団とにらみ合っているのだろう。本来王に仕える身である騎士達が反乱を起こし、それを平民である兵士達が防衛しているこの構図は、アセラにはある意味皮肉にも感じられた。


 が、そんな関係のない思考はすぐ、彼の〈意志〉が受けた反応が掻き消した。



 (――!!)



 間違いない。ヘレナのによってそれは、自らの名前以上に深く記憶に刻まれている。

 彼の視線の先、距離にして恐らく千メル。


 そこに、彼女の〈意志〉がある。



 ミアがいる。



 少年は地面を蹴った。

 彼の華奢な脚はしかし、彼の身体を信じられないほどに加速させる。言うまでもなく彼は自身の〈意志〉を書き換え、自らの脚が生み出す力を増幅したのだ。

 大の大人よりも広い歩幅で、馬よりも速く、止まることもなく野次馬をすり抜けて、彼は王宮へと近づいていく。だが、人混みは進むにつれて酷くなり、全力で走るのはすぐに難しくなった。


 (……仕方がない)


 目立つのはよくないが、彼女の〈意志〉を見失うのはもっとまずい。一秒もかからずに彼は判断を下した。

 通りの端から飛び上がり、二階のベランダの縁を掴む。その勢いを上手く使い、右手一本で身体を跳ね上げた。

 彼の身体は建物の屋根へと持ち上がる。着地を決めるまでもなく屋根を蹴飛ばして、高さの異なる屋根屋根を器用に、夜の風を纏って走っていく。


「……嘘だろ」


 そして距離が近づくにつれて、彼はミアの〈意志〉の場所を正確に知覚した。


 それが、あまりに突拍子もないことに驚きつつ。


「おい、見ろよ! 人が屋根を走ってる!」


 その驚きを、不意に聞こえた路地からの声が醒ます。もしかしたらと思って路地を見るが、人々の視線はやはり自分に注がれていた。彼が危惧した通り、気付かれてしまったのだ。


「何者だ! そこから降りろ! 降りぬのなら射るぞ!」


 どうやらデモを起こしていても、国を守るという責務を忘れたわけではないらしい。整然と並んだ騎士達のうち、何人かがアセラに弓を向ける。だがアセラは止まるわけにはいかない。

 それにどうせ、この騎士達と……否、兵士団ともすぐ、対立することになる。

 その覚悟は、ミアの〈意志〉を見つけたときにもうしてある。


 走る勢いはそのままに、彼は騎士団の整列に飛び込んだ。空を舞う彼に向けて三本矢が飛来するが、二本は夜の闇に消え、一本は彼の短剣に弾かれる。空中で矢を弾くその芸当を見て、騎士団は彼が只者ではないと気付いた。


「全員、散開! 襲撃者だ!」


 その合図を聞くが否や、騎士達は腰の剣を抜き放ち、アセラを迎え打つべく広がる。

 だが彼の目的は騎士を攻撃することではない。想像以上に事態が重くなったことに冷や汗を流しつつ、彼らが散開するよりも素早く彼らの足元をすり抜けていく。突然視界を横切った剣閃は、右手の闇が自らの知覚をも凌駕する速度で閃いて退けた。

 走る速度は先程から落ちたが、彼は一歩ごとに進める方向を変えることで相手を惑わせる。その稲妻のようなステップに騎士団の誰もついていけるはずはなく、歪な軌道を描きながらも彼の速度は着実に上がっていった。


「止まれ! ここを通れば貴様は反逆者ぞ!」


 そんな彼の前に立ちはだかったのは、他の騎士より一層美しく一層煌びやかな鎧を纏う二人の男。その構えに隙はなく、彼を見据える瞳に不安はない。間違いなく熟練、正面から斬り結べば自分に勝機はない。だが幸い、アセラには何も彼らを打ち倒して進まねばならぬ理由はなかった。

 なんの予備動作も無しに、彼の身体が宙を舞う。自らの速度を上手く生かして、前方宙返りをしながら彼はその騎士達を飛び越えた。思わず男の一人がアセラを追おうとするが、もう一人の男に止められる。


 何故なら、アセラが降り立ったのは、人の全くいない空白地帯。

 正に騎士団と兵士団が向き合う、張り詰めるような緊張感を孕んだ対立の真っ只中だった。


 だが、彼はその緊張感に縛られることはない。

 その前に、これからの自分の行動に覚悟を決めていたから。


 何故なら、ミアの〈意志〉が存在する場所は。




 〈遍く照らす陽光サンズファーク王国〉宮殿の、地下だった。

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