第5話 手前味噌と僕
「いやー、迷子にならなくて良かったー」
「迷わないでしょ、普通。学校から十分と少しの行脚だよ」
「いいや仁乃、十分も移動したんだろ? それでオレは迷子になるんだ。適当に散歩していたら知らない街だった、ってこともある」
「立ち止まることを覚えろよな」
漕いでいた自転車から降りて、たこ焼き屋の駐車場の隅へ置いた。
都会になり切れなかった街というのが僕の暮らす地域に対して抱く第一印象で、それは長く暮らすほど強固なものになっていく。周辺の市町村に比べれば交通網が発達しているし、映画館やボーリング場、その他諸々の娯楽施設は揃っている。
だけど都会じゃない。
そういう意味で、ここは田舎町と呼んでも差し支えがないのである。あるのか?
この街での若者たちの遊び場、溜まり場は数が限られている。高校生くらいなら、行動範囲も絞りやすい。そこで佐天が選びそうなたこ焼き屋は、駅前にある店くらいしか思いつかなかった。
「ここが目的の店舗なんだが。どうよ、当たりっぽいだろ?」
「まぁ、そうだろうなとは薄々」
「知っているのか、仁乃」
頷く。知らないはずがないのだ。ここは家族が経営している店だから。
真っ赤な看板と塗装の禿げたタコの人形が店先を飾る歴史のあるたこ焼き屋だ。粉ものだったら何でも提供する店で、店主である丹次郎さんの趣味と努力によって様々なサイドメニューも用意されている。当然、調理スタッフにかかる負担も大きくなっていて、休日は僕も駆り出される。
お小遣いをもらっているから文句も言えないし、料理の基礎みたいなものを一通り身に付けられたのは嬉しいけれど、そのせいか家での料理当番が僕になってしまったのは解せない。いや、やっぱり文句や要望は口に出してこそだな。テスト期間中くらいは料理当番を代わってくれませんか、と。
うーん、もし大学受験のために勉強したいとか言い始めたら家事を免除してくれるのかな。無理か。そもそも、大学とか行く気ないし。
「ここでいいか?」
「うん。味は保証するよ」
「来たことあるのか? それなりに流行ってはいるみたいけど、一人で入るのは勇気が必要でよぅ」
「看板ボロいもんね、店主はこれを味だって言い張るけど」
「それ、マジでそれな。あと居酒屋だったらマズいし」
「んー、分かるわぁ」
看板にも思いきりビールって書いてあるし掲げてあるメニューは居酒屋っぽいから、中学生とかもあんまり寄り付かないのだ。近場に他の飲食店もあるし、ここに来るのはちょっと調子のいい運動部の連中くらいだった。佐天は文科系の部活に所属しているはずだから機会がなかったのだろう。
引き戸を開くと、カウンターの向こうから八千代さんが迎えてくれた。
「いらっしゃい、あら、はーちゃーん!」
甲高い声だなぁ、ホントに。そしてパチパチと手を叩く音がうるさい。
めでたくないのにニコニコしながら拍手をするのが彼女の癖だった。丹次郎さんはというとむすっとした表情を崩すこともなく仕事を続けている。顔が怖くて態度が尖っているだけで実際は心優しいおじさんなのだが、今日は彼の硬質な態度が沁みた。
どこに座ろうかとキョロキョロしていたら、八千代さんに腕を引っ張られて店奥のテーブル席へと案内された。うむ、これは話かけてくる気が満々と見たぞ。
「え~、キミ、はーちゃんの友達?」
「ども、佐天です」
「佐天くんね。へ~、はーちゃんが友達連れてきたの初めてじゃない?」
「はぁ。えっ、仁乃君のお母さんですか。お姉さんかと思いました」
「あら上手ぅ! 佐天くん、辛いの食べられる? 和風の味付けもあるわよぉ」
「変わり種って奴ですか。すごい楽しみです。あ、メニュー貰えますか」
「ふふ、嬉しいわぁ、ホント。サービスで一皿無料にしたげるからね」
「マジですか? ありがとうございます」
怒涛の会話量で、脳の処理が追いつかなくなってくる。真面目に受け答えをする佐天は母親の眼に好青年と映ったか、何度もウィンクを浴びせられていた。心の中でドライアイビームと呼んでいるそれを、佐天は平気な顔をして受け止めている。
他の客へ注文を取りに行った隙を見て、佐天が顔を寄せてきた。
「仁乃の母ちゃん、結構お喋りだな」
「家でもあんな感じだからなぁ、疲れるよ」
「いいじゃん。オレの母ちゃんはもっと五月蠅いからな」
ガハハと大口を開けた佐天に釣られて笑う。良かった、彼から見れば僕達も普通の家族に過ぎないのだ。ほころびを出さないように、ひび割れた過去には見て見ぬふりを決め込もう。
赤味噌とチーズ、それからめんつゆのたこ焼きを注文して待つことにした。今日はスタッフの人数も足りているし、厨房へ召喚されずに済みそうだから安心だぜ。
学校でのことを適当に喋っていたら自動ドアが開いて、自然と視線が誘導される。
今日も盛況だな、と。
「神野だ」
「ん? おう、丹瀬も一緒だな」
おうい、と佐天が手を振って彼女らを呼び寄せた。こうすれば同級生と偶然出会ったときにも会話がスムーズにできますよ、という動作のお手本みたいに動きやがったなコイツ。僕には無理だ、学校の外で知り合いに声を掛けるのは怖いから。だって、無視されたら立ち直れそうにないし。
にこやかな笑顔を浮かべて、丹瀬が近づいてきた。
「はじめくん、やっほ。佐天くんもチッス」
「珍しいな、外で会うなんて。よく来るのか?」
「仁乃に教えてもらったのよ。しかも今日」
ギュインと佐天の首が曲がって僕の方を向いた。なんだよ、怖いことするなよ。
丹瀬に押し込まれて僕の正面に座った神野は、何かを言いたげな顔で首を傾げてきた。察しのいい僕はノータイムでメニュー表を差し出し、彼女から満足げな表情と軽い脛蹴りを頂戴することが出来た。なんで?
「何々、はーちゃんのお友達? 貴方達にもサービスしてあげるからね」
「ありがとうございます。仁乃君のお母さん、ですか?」
「そんなものよ。ふふ、あなた可愛いわねぇ」
「えへへ。お母さんも綺麗ですよぉ」
真夏の太陽並みに眩しい丹瀬の笑顔を受けて、八千代さんは嬉しそうに身体をくねらせている。神野はというと、じっと僕の方を見て「はーちゃん?」と首を傾げていた。
「な、なんだよ」
「はーちゃん……ふーん?」
「はじめくん、家では意外と可愛い呼び名なんだねぇ」
「オレもはーちゃんって呼んでいいか。はーちゃん♡」
「殴るぞ佐天。……そんなに似合わないかな」
「まぁね。もっと硬派な呼び方だと思っていたから」
「いーじゃない、はーちゃん。可愛いし」
「そうですねぇ。あ、私のことは文世ちゃんでいいので」
なぜか会話に混ざって来た母親とも、みんなは普通に喋り始めた。
すごいな、コミュニケーション能力が高い奴らばっかりだ。八千代さんが仕事に戻った後も学校で何をした、家では何をしている、あの教師の課題が難しい、この教科は宿題が多すぎると、そんな、明日の生活には関係ない話題で盛り上がっていた。丹瀬と佐天のペースが早すぎてついていけず、僕は話をに合わせて頷くだけだ。
でも楽しかった。
友人がいる、その事実が嬉しかった。
神野のカバンの横には、近くの本屋の紙袋が置いてあった。ここへ来る前に立ち寄ったのだろう。どんな本を読んでいるのかと少し興味が沸く。彼女もあまり多人数と喋るのが得意ではないのか、たこ焼きを黙々と食べる係になっていた。
横目で丹瀬をみて、また手元の皿に視線を戻す。その動作を眺めていると胸の奥で知らない感情が踊り始めた。これは結果論に過ぎないけれど、二人で遊びに出掛けたのを邪魔してしまったようだ。友達以上の存在と過ごす時間を妨害されて嬉しい奴なんかいないだろう。よかれと思ってやったことが、不幸の呼び水になっては世話がない。
神野と丹瀬は妙に仲が良い。彼女達のことを普通の友人として見ることは不可能に近く、今も、ふとした拍子に真顔になってしまう。ふたりは付き合っているのだろうか、とか。邪な妄想が膨らんで、正面に座る神野の顔を直視出来ない。
実のところ、僕は相当な恋愛脳の持ち主なのかもしれなかった。
「……?」
視線を神野に勘付かれた。
肩を竦めて誤魔化したけれど、果たして彼女に何と思われているやら。
僕は、どうにも嘘が下手みたいだった。
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