ちょっと視点を変えまして

第18話 二乃と私

 同級生が、抱き合っていた。

 それも、女の子同士で。

「だから勘違いしたわけか。迂闊だったな」

「ん? 何を?」

「いや、独り言」

 夏休み明け、久しぶりの学校。夏の盛りはまだ続いている。照りつける太陽は薄手の布カーテンをすり抜けて、窓辺に席のある私は左半身が焼けるようだった。遮光カーテンを取り付けるだけの親切心もないこの高校は、それでも県内有数の進学校で、いい大学へ行くにはここで勉強をする必要があった。

 熱中症の予防としてつけられたクーラーからは少し埃っぽい冷気が吐き出されていて、この教室が補講に使われなかったことを残念に思う。夏休み中も使っていれば、ちょっとは清涼感を味わえたかもしれないのに。

 明日が土曜日だというのもあって、教室の雰囲気はだらけていた。

 宿題をやり終わっていない生徒が必死にシャーペンを動かして、それを友達が笑いながら冷やかす。文句を言いながら、愚痴をこぼしながら、それでも楽しく時間が過ごせるなら、それは青春と呼べる時間だろう。

 学校はいいものだ。居場所がある人にとっては。

 弁当箱を片付けて手を合わせる。お昼休み、お弁当の時間だった。

「ご馳走様でした」

「お粗末様ですー」

「あんたが作ったわけじゃないでしょ」

「なはは、そりゃそうだけど。ちっひ、真面目だぁ」

 教室は賑やかで、そこかしこで生徒が集まって団子状態になっている。私は一緒にお弁当を突いていた友達にツッコミを入れられて、適当に付き合っていた。目下の興味は同じ卓を囲む友人ではなく、今この場にいない相手に対して向けられている。

 私は半年近くもの間、一人で相撲をしていたらしい。植えた悩みの種は存分に芽吹いて、あろうことか二乃に変な電話を掛ける破目になってしまった。

 ちょっと悔しい。負けたみたいで。

「ねぇ、来週から、もう一人連れてきても大丈夫かしら」

「ん? いいけど、どっか別のクラスの子?」

「いいえ、でも夏休みに仲良くなったの。その子に友達を増やしたくて」

「オッケー、分かった」

 親指を立てる子、指で丸を作る子、色々と違いはあるけれど卓を囲んでいた子はふたりとも了承してくれる。閉鎖性の弱いコミュニティで良かった。これなら二乃を連れてきても弾かれることはないだろう。

 余計なお世話だろうか。まぁ、嫌なら断るだろう。

 二乃は私や文世などのごく少数の相手にしか話しかけないし、彼女に話しかける人も多くはない。よく絡んでいるところを見るのは、佐天という男子生徒だろうか。あとは名前を覚えてない男子がひとり、彼女に話しかけていた。夏休み明けも彼女には友達が少ない。彼女にとっては素の表情が、私達の目に不機嫌そうに映るからだろうか。二乃は人懐っこく誰にでも喋りかけるタイプではないし、こちらから話しかければちゃんと答えてくれるのだけど。

 話し相手がいなくても暇じゃないのかな。

 彼女のことで、まだ知らないことの方が多かった。

「ちっひ、昨日のデンパみた?」

「見たわ。同級生がお見舞いに来てくれる回よね。一巻の終わりくらいの」

「茄子のコスプレしたナースって、それどうなん?」

「作者のセンスが昭和なのよ。オマージュする台詞も十年以上前の小説ラノベからだし」

「厳しい! その手厳しさが眩しい!」

 知り合いでも随一のアニメオタクが心底楽しそうに笑う。うむ、いい子だ。

 批判はするけど、嫌いなわけじゃない。私の複雑な乙女心を、彼女は分かってくれているようだ。

「次は何の話かなー」

「主人公の家に同級生が遊びに来るところ。茄子のコスプレをしていた子が大福のコスプレをするの。ちなみにその子はドーナツを食べるときにもっもって擬音使っているけど、作者の好きな漫画へのオマージュポイントが高くて好き」

「めちゃくちゃ原作好きな人かよ。マニアじゃん」

「そうでもないわ」

 と意味もなく嘘を吐いてみる。

 原作小説は全巻集めたし、作者が出した他のシリーズもすべて取り揃えてある。お兄ちゃんに頼んで、ブルーレイも買ってもらう予定だった。ここまでハマった作家というのは始めてのことで、恐らく、本人が筆を折るまでは追いかけることになるだろう。私の推測では、三十歳を過ぎても彼は筆を折らないと思うけど。ちなみに一巻の刊行時点では大学生だったらしい。

「それでー、昨日は他にも新アニメが始まったんだけどな?」

 話題が他のアニメに移ったところで会話からフェードアウトして、通学鞄に仕舞い込んでいた図書室の本を取り出した。机に平積みしていくと向かいに座っていた同級生の顔が半分隠れてしまった。私が本を積むたびに友達の間から小さく歓声みたいなものがあがって、ピースサインを向けることでそれに応える。

 夏休み期間中は普段決められている冊数の上限以上に借りても良い、とのことだったから気合を入れて借りてみたけど一週間ももたなかった。やはり買って読む方がいいわね。返却も面倒だし。

 サイズが私の半分くらいしかないのに、減る速度は私の半分以下な友達の弁当を眺めながら本に潰されていたコンビニのビニール袋を取り出す。なぜ私の弁当だけ早くなくなってしまうのか、小学校の頃から疑問だった。寡黙と饒舌の差か、それとも食事に対する意気込みの差なのか。両方なんだろうなぁ、と思いながら昼食後のおやつをもぐもぐと食べ進める。あっ、ドーナツだから違うな。

 もっもっ。もっもっ。

「よし。じゃ、行くから」

 お昼ご飯を片付けた後は適当なところで話を切り上げて、私ひとりで図書室へと向かう。彼女達と一緒にご飯を食べるようになっても繰り返しているルーティンだから、特別に声を掛けられることもなかった。

 カウンターで返却処理を済ませてから左手側の本棚へと向かう。二乃が雑誌を眺めていた。短めに切りそろえられた黒い髪が綺麗な、背の高い彼女は惚けた表情で読みもしない雑誌の背表紙を見つめている。

 カーテン越しに届く真夏の日差しを浴びながら、埃っぽい部屋の中で、彼女は所在なげに佇んでいた。アニメやゲームの話題で盛り上がっている男の子たちの声も、舞台やドラマの話題で盛り上がっている女の子たちの声も、ここには届かない。

 猥雑な音が溢れかえる世界の片隅で、彼女の時間は静かに止まっていた。

 彼女と出会ってから、私の時間は加速した。けれど、彼女は、どうなんだろう。

 私のことを、どう思っているのだろうか。

「――」

「あ、神野」

 振り返った二乃がぎこちなく笑う。薄い夏服に赤いシャツが透けていた。

 笑うのが下手だな、と彼女に抱く感想は言葉とは裏腹な愛着を多めに含んでいる。二乃に友達が少ないのは積極性がないことと、他人との距離感をうまくつかめない点にあると思う。真面目な子なんだけどなぁ、と心配してみれば彼女の親御さんにでもなった気分だ。

 ま、彼女が人気者になっても困ってしまうけれど。

 そっとカーテンに隙間を開けて、外を覗く。体力を有り余らせているサッカー部の生徒が、ワイシャツ姿のままボールと友達になっていた。土埃で制服を汚して、親に叱られたりしないのだろうか。

 お盆に電話を掛けて以降は、彼女がお店の手伝いをするのに忙しくて話す時間も取れなかった。だから随分と久しぶりな気がする。今日こそ説明をしないと。

 咳払いをひとつ、そして雑誌の目次だけを読んでいる二乃の二の腕、じゃなくて袖をつまむ。こちらを振り向いたことを確認してから話し始めた。

「親戚なのよ、私たち」

「はえ?」

「私と文世のこと。もし私たちが仲良しに見えるなら、血の繋がりがあるからよ」

 そして、小さいころから親戚付き合いの一環で遊んでいたからだ。

 文世は他人との距離感が近い。伯母さんが厳しい人だから、年の近い相手には甘えたいのだろう。私やお兄ちゃんが遊びに行くと隙あらば抱き着いてきて、頭を撫でてくれるようにねだっていた。

 想像通りに友達が多い彼女だったけど高校では友達に抱き着く様子はなくて、だからこそ偶然に見かけた教室でのアレが、私に勘違いを誘発させたのだ。自分がそうだったから、文世も女の子が好きなのだと思っていた。というか高校生になって好きな子が出来て、それが女の子だったのだと考えることにしていた。浅慮だったようだ。

「分かった?」

「あぁ、うん」

「私と文世は付き合っていないし、あなたと文世も、そういう関係じゃなかったのよね」

 二乃はコクコクと頷く。

 背は高めだし、顔立ちも綺麗系で整っているのに、動作がいちいち子供っぽい。

 死ぬほど悔しいけど、好みド真ん中だった。

 だから、彼女と文世が付き合っていなかったことで。

 どうしようもないくらい認めたくないけど、安心しているのも事実だった。

 ……やっぱムカつくな。

「な、殴らないでくれるかな」

「いいじゃない。これはスキンシップよ」

 困ったような顔をしながら、本気で嫌がっているわけじゃないのは知っている。

 なーんて。そういう考え方がイジメを冗長させるんだろう。

「で、話があるんだけど。今週末って暇?」

「うーん。今日は仕事の手伝いがあるけど、明日以降なら」

「泊まりに行くけど、いいよね」

「うん、僕はいいんだけど。君のお兄さん、拗ねたりしていないの。可愛い妹が毎日のようにどこかへ行っちゃうわけだろ」

「なーに、やっぱり私と一緒に遊ぶのは嫌なの」

 などと顔を寄せてみる。彼女は困ったように眉をすぼめた。距離を詰めてみて、改めて彼女の容貌が私の好みであることを知る。一人でいるときは冷たい印象を与える、どこか爬虫類っぽい整った顔。文世といるときは聖母のような、柔らかな微笑みで緩む端正な顔。この顔に惹かれて、気付けば内面にも焦がれている。

 あぁ、彼女が私だけのものになったなら。

 想像するだけなら自由だ。

 それが、恋というものである。

「泊まってもいいけど。あんまり、丹次郎さん達に迷惑かけないでね」

「私はいい子ちゃんだから、悪いことなんてしたことないでしょ」

「そうだけど。……いや、でも僕には意地悪だし」

「何か言った?」

 言葉で刺す代わりに彼女の手を握る。指を絡めて、振りほどこうとする二乃との距離を詰めてみる。頬に朱が差して、目を背ける彼女にわずかな期待を抱いた。私の秘めた思いを受け止めてくれるんじゃないか、とか。彼女も私に、他の人には与えられないものをくれるんじゃないか、とか。

 でも、真面目な彼女の困り顔にはいたずら心が疼いてしまう。

 もっと困らせたくなってしまうのが、救えないところだった。

「下の名前で呼び合ってみない?」

「急に話題を変えてきたな」

「はじめくん、無理ならやめればいいでしょ」

「いやホント急だな。……ち、ちひっ」

 声が上滑りしていた。咳払いをしてもう一度。

「千尋さん」

「なぜ敬称をつけるの? 呼び捨てでいいのに」

「神野だって君をつけただろ。だいたい、どうして急に名前で呼ぼうとするんだよ」

 特に理由はない。二乃ほどじゃないけど私も他人との距離を詰めるのが下手なのだ、という自覚はある。だから携帯番号を聞いたり、遊びの約束を取り付けたりというのは友人達の誘うままに任せている。

 でも、二乃相手にそれは期待できない。だったら、私から詰めていくしかないじゃないか。

「やっぱり戻そうか。あなた慣れてないみたいだし」

「そりゃ、まぁ、僕だってやろうと思えば」

 もごもごと言い訳をする二乃も可愛い。

 今日も少し距離が縮まった気がして、私の心は弾むのだった。

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