第19話 いもうとと私


 どうして二乃が男の子みたいな呼び方をされているのか、ずっと気になっていた。

 文世が彼女のことをはじめくんと呼ぶのは、まぁ文世が変な子だからという理由で説明するとしよう。でも美鶴ちゃんが二乃をにーちゃんと呼ぶ理由がちょっと分からない。にの、だからにーちゃんだと言われても、素直に頷けるわけじゃない。

 大体、美鶴ちゃんと私たちは同い年なわけだし。

「あー、でも、僕の方が誕生日早いんだよ。身長では美鶴に負けているけど」

「それ関係ある? あなたが僕っ娘なのが原因じゃないの」

「ちーちゃん。一人称ははじめくんの家庭環境の問題だから言わないで」

 珍しく文世から正論っぽいものをぶつけられて、少しひるむ。

 私は少し、興味を持った相手に踏み込みすぎるきらいがあるようだ。

 まぁ、それはどうでもいいことだけど。

 今日は二乃の家に遊びに来ていた。夏休みに入り浸っていたこともあって、久しぶりという気分でもない。これだけ頻繁に二乃の部屋を訪れていると私も一ノ瀬家の子供になったような気がする。彼女は昼過ぎまで仕事の手伝いをしていて、ちょうどシャワーを浴び終わったところだ。ちょっといい匂いがするけれど、文世の手前、あまり二乃とくっつくわけにもいかなかった。

 というか、どうして文世もお泊りしにきているんだ。

「はじめくんがにーちゃんって呼ばれているのは、アレでしょ、ランドセル!」

「事案?」

「違うよ。あー、ちゃんと説明するから待って」

 ごしごしと短い髪をタオルで乾かす二乃を眺める。

 腕が前後に動くたび胸も少し揺れた。ガン見した。

「僕と美鶴は、すごく近所に住んでいたんだ。登校班も一緒でさ」

「懐かしいなぁ。小学校の頃の話だよね」

「うん。美鶴は黒いランドセルが嫌で、よく泣いていたんだ。僕は何色でも良かったし、同級生の女の子に黒いのを使っている子なんていなかったから、なんか特別っぽくて」

 だから交換してもらったんだ、と彼女は言った。

 うへへ、と二乃は照れたように頬を押さえる。親切心とかじゃなくて、普通に黒いランドセルが欲しかっただけのようだ。私も同級生の子が水色やベージュのランドセルを背負っているのをみて、カラフルなのが羨ましいと思った記憶がある。それと同じだろう。本当か?

 ま、それを頭の中で思うことと、実際の行動に移すことには雲泥の差がある。そして後者は誰かの心を偶然に救ってしまうことだってあるのだった。

「だから私も、はじめくんて呼ぶようになったんだよ。黒いランドセルだし、僕って言うし」

「一人称の話は禁止じゃなかったの?」

「別に大丈夫。気にしてないから、いいよ」

 二乃は手をパタパタと振って強がって見せた。けれど彼女の笑顔は引きつっていて、声も潰れたヒキガエルみたいだ。精神的なダメージが少なくないみたいで私もこれ以上同じ話題を引っ張るのを躊躇した。うむ、過去に何があったか知らないけれど、彼女にも触れてはいけない部分があるのだろう。

 たぶん、同性が好きなこととかも。

「それで、晩ご飯はどうするの。美鶴ちゃんは友達と遊びに行ったのよね」

「うん。丹次郎さんたちは帰ってくるの遅いから、店で済ませてくるって」

「はじめくん! 私、オムライスが食べたい。はじめくん特製のオムオム」

「だって。神野もそれでいい?」

 首肯した。二乃が作ってくれる料理なら、私は何だって文句を言わないつもりだけど。

 スーパーへと向かう準備を始めた二乃の背中を追いかける。行く先は自転車で五分のスーパーだ。財布ヨシ、携帯ヨシ、買い物袋ヨシ、と指差し確認をしてから彼女は家を出た。私はついていくことにしたけれど、文世は休憩と言って家に残るつもりらしい。今頃、テレビでも見ながらゴロゴロしていることだろう。

 家から一歩出たところで、眩しい太陽に焼かれそうになる。

 夏は好きじゃない、暑いから。

 冬も好きじゃない。だって、ずっと寒いもの。

 スーパーの駐輪場に自転車を横並びにおいて、私たちは必要なものを買いに向かった。お兄ちゃんについて買い物に来たことはあるけれど、二乃と一緒に晩御飯の買い出しをしたことはなかった。夏休みの間もそうだ。料理を作る人が二乃なら、その材料の過不足を知っているのも、会計を済ませるのも二乃だった。食べるしか能のない私はやることがなくて、とりあえず二乃の後ろについていくことにした。

「神野、どうして僕の腰に手を当てているの」

「暇だし。電車ごっこ」

「丹瀬みたいなことしているね。流石親戚だ」

 心外なことを言われて憤慨してみる。脇腹をくすぐったら怒られてしまった。商品の入ったカゴを振り回してくると危ないという知見を得たから、今日は大人しくついていくだけにしておこう。うん、もう腰に手を回すのもやめておこう。

 よし。

 休日のスーパーは私が想像しているよりも人であふれていた。そして驚いたのは、意外と男性客も多いことだ。買い物をするのは主婦というイメージしかなくて、そして普段の買い物では周囲の人に気を配ることもなく必要なものをカゴに入れてサクっと店を出てしまっていたから、新鮮味がある。

 葉物を眺めていたら二乃に声を掛けられた。

「サラダには何か要望ある?」

「別に。美味しくて栄養があるものなら文句は言わないつもり」

「そんなこと言わないでよ。今日は手伝ってくれるんじゃないの?」

「私に料理を期待しても無駄よ。出来ないから」

「意外。家ではお兄さんが作っているの」

「そ。たまに弁当になるけど。だから私、料理の上手なあなたのこと、格好いいと思うわ」

 たまには真面目に、そして本気で褒めてみたら、ぐにゃぐにゃと二乃の表情が変わる。カゴを私に手渡すと何処かへ飛んで行ってしまった。この程度の台詞で浮かれてしまうのか、と私まで気恥ずかしい気持ちになってしまう。やめてほしい。

 戻ってきた二乃は鶏肉のパックを手にしていた。買い忘れていたものを拾ってきたようだ。

 もう一度からかってやろう。腕を絡めて唇を耳元に寄せて、と。

「ひどいじゃない。ふたりで買い物に来たのに、置いていくなんて」

「うぐっ」

「冗談よ。レジのとこで待っているから、他に買い忘れたものがあるなら早くしてね」

 無言で頷くと、真っ赤になった頬を摩りながら二乃は逃げていく。彼女の背中を視線で追いかけて、踊る胸中の感情をかみしめる。

 やっぱり、めちゃくちゃ好みだった。

 ニヤそうになるのを堪えていたらスキップしたくなって、ぎこちないステップしか踏めないからと首を横に捻る。テンションが高ければ誤魔化しが効くかと思ったのにダメだった。運動音痴な身体を悔やみたいけど、もし運動ができたなら、夏休みのプールでふたりきりの時間を過ごせなかっただろうし。

 来年もプールに行きたいな、と二乃の真っ赤なビキニを思い出す。

 記憶の二乃も、眼前の彼女も、やっぱり全部かわいいのであった。

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