『ストーム・ステイシス』

第12話 焦げつきと僕


 神野と一緒の夜を過ごしてから、一週間。

 照りつける太陽に温められたコンクリートが保温剤となって、街は夜も熱気を失わない。字面だけなら格好のいい青春小説の一文みたいだけど、寝苦しいのは勘弁だ。まだ夏休みは始まったばかりだというのに、体調不良になってしまえば丹次郎さんの仕事が手伝えなくなってしまう。

 趣味と恩返し、そして実益のすべてを兼ね備えた仕事の手伝いが出来ないのは、僕にとって生命にも関わる問題だった。目的や目標もなく、ぼんやりと窓辺で過ごすような生き方は出来ない。身体を動かしていた方が精神衛生にいい、そういう人間なのである。

 そして現在、絶賛労働中である。正午を少し過ぎて、早めの休憩を終えた僕は丹次郎さんとバトンタッチした。服装もバッチリ、髪も料理に入らないようにキッチリとバンダナで覆ってある。衛生概念からも、公序良俗の観点からも問題はないはずなのだけど。

 目の前にいるのは顔見知り。

 緩やかなパーマがかかった短めの髪と、やや吊り上がった眉尻が特徴的な女の子。

 僕は、名前も知らない同級生に睨まれていた。

「…………あの、マヨ明太です」

「どうも」

 差し出したフネを受け取った瞬間だけ視線が外れたけど、彼女は僕を睨み付けている。何か悪いことをしただろうかと考えて、マジで何も思い浮かばないので困ってしまった。店内での行動じゃなくて、学校でのことかな。彼女と絡んだことはないし、袖振り合うほどに近づいたこともないはずだけど。

 強いて言えば佐天が彼女に遊びに誘われているのを何度か目撃している程度だし、それなら彼女の側から僕に突っ込んでくる意味が分からない。あの時の僕は友達がいる奴はうらやましいなぁ、と思った程度だし。

 佐天の友達から恨まれるようなこと、したのかな。

 僕が佐天の新しい友達になったことで、佐天と遊ぶ時間が減ったとか?

 いや、それは流石にないでしょ。

「あっ、注文どうぞー」

 丹次郎さんが休憩に入っている間は、一層の気合を入れて仕事をしなくてはいけない。厨房の手際が悪いのは飲食店にとって致命的だ。回転率的にも、顧客満足度のためにも、素早く丁寧な仕事で料理を提供するのが僕の仕事である。いや、だけど、この同級生が求めているようなものは出せそうにないのだが。

 熱々な鉄板の前にいるのに、冷や汗が背中を伝う。ちょっと寒くなってきたぞ。

「繁盛しているんですね」

「え、えぇ。おかげさまです」

「夏休み、佐天くんと遊びに行った?」

「あう」

 話題がジェットコースター並に急変した。

 内臓がぐっと締め付けられる感覚も実にそっくりで、頭がくらくらしてくる。

「その反応だけでイエスって分かるんだけど」

「すいません」

「謝る必要はないでしょ。別に」

「うん、そうかも。ごめん」

 雰囲気に気圧されているのか、どうってことない言葉が重い。彼女は神野ほど美人ではないけれど、カーストの上位に立つ者の雰囲気がある。というか、僕は無言でにらみつけてくる人が苦手だ。理由を言葉で説明するのは難しいけど、って僕はそんなことばかり言っているな。

 話したことない相手のことを、悪く言うもんじゃない。

 僕は、そんなことしたくないんだ。

 全く知らない相手ではない。無視できる相手でもない。何か二人の間をつなげるものはないかと言葉を探して、視線は宙へ舞う。出入口に置かれていた一ノ瀬たこ焼き店のパンフレットが目に入って、よし、話しかける切っ掛けだけは見つけたぞ。

「あの、どうしてこちらへ?」

「偶然だよ。お昼食べようと思って、適当に入ってきただけ」

 トントン、と彼女の指先が机をたたく。視線は、僕ではない誰かを見つめていた。

「佐天くん誘ったけど、断られたから。暇を持て余しているの」

「僕に会いに来た、とかじゃないですよね?」

「うん。本当に、ただの偶然だから」

 そして、彼女はたこ焼きを食べ始めた。

 会話、終了。これで良かったのだろうか?

 誰か助けてくれ。

 彼女はたこ焼きを全部、真っ二つに割っていた。湯気が落ち着いて、冷めたものから順番に口へと運んでいく。少しだけ目尻が緩んだように見えたけれど、僕の気のせいだったかもしれない。あと、たこ焼きと同じ量の紅ショウガを乗せて食べていた。辛くないのか、それ。

 忙しいフリをして彼女から意識を逸らそうと試みるも、そんなときに限って話しかけられる。これをマフィンの法則という。マクガフィンだっけ?

「仁乃さんに聞きたいことがあるんだけど」

「はい。なんでしょう」

「あなた、佐天くんのことどう思っているの」

「はい? どういう意味?」

 彼女は空になった箱を突き出してくる。見れば紅ショウガを入れている容器が空になっていた。満タンにして返すと、彼女は満足そうに頷いた。半分は残っていたはずなんだけどな、と彼女が使った紅ショウガの量に怯える。喉が渇いてきた。

「佐天くんが、あなたにとってどういう人か。それを確認したいの」

「友達だけど」

「それだけ? 付き合いたい、とか思わないの」

「有り得んでしょ。あ、いや」

 余分な一言のせいで、更に睨まれた。

 彼女は人差し指をクルクルと回しながら、耳に掛かった髪をいじり始める。そして考え込むように唇を噛んだ。割り箸をたこ焼きに突き刺して、崩れた球体を僕に向けてくる。マイクみたいだった。

「付き合いたい、とか思ったことは?」

 絶対にない、と言葉にするより先に表情へと答えが現れたようで、彼女は空いていた手を僕の元へと突き出してきた。グーじゃなくてパーの方で良かったぜ、と内心で呟く。彼女は、白くて綺麗な手のひらをしていた。

 彼女は肩から力を抜いて、僕に向けていたたこ焼きの半身を口に放り込む。満足そうに腹部をさする動きから、彼女は神野に比べて小食なんだなと思った。紅ショウガの量は普通じゃなかったけど。

 佐天に執着する彼女がその不安を解消できたのなら喜ばしいけど、僕からも一言だけ言わせてもらおう。

「勝手にカップリングしないで欲しいな、もー」

 刺々しい態度が薄れ、ただの同級生となった彼女には苦手意識も薄れていく。

「なによ。笑うことないでしょ」

「ごめん。いや、つい」

 向けられた矛が収められたことで、安心したらしい。僕は分かりやすい人間だ。

 謝ろうと思って、名前を知らないままでは居心地の悪いことに気付いた。他人と関わらないまま生きていくなら構わないけれど、僕は顔を上げると決めてしまったのだ。やるからには、頑張らねば。

「あの、名前を教えて欲しいんだけど」

「知らないの? クラスメイトなのに」

「ごめん。人の名前を覚えるのが苦手で」

一場いちば立夏りっかよ。立夏でいいから。あと、あんまり固い喋り方はやめて。息苦しい」

「うん。立夏さんは」

「さん、はいらない」

「……立夏は、誰から僕のことを聞いたの?」

「文ちゃんから聞いたの。ってか、見てれば分かるし」

 わかってないじゃん、とは突っ込まないでおこう。

 文ちゃんというのは、つまりは丹瀬文世か。佐天から直接聞いたわけではないのか、とか思ってしまうけど普通はそうなのかな。本人には直接聞きづらいこと、意外と多いもんなぁ。僕だって丹瀬と神野の関係を問いただせるかと言われたら無理だし。

 彼女が大きく伸びをして、僕から視線を逸らす。これ幸いと逃げ出そうとしたら、引き止められた。声がとがっている人に話しかけられるの、少し緊張するよね。

「あなたは好きな人、いるの?」

「……考えたこともないな」

「じゃぁ、今。ここで考えてみたら?」

 嫌味だと分かる。でも言い返せない。立夏は言葉に詰まった僕など視界になく、身支度を整えると帰る準備を始めた。飲み終えたコップと口元を拭った手拭きも僕へと手渡した彼女は、小さな声で「ありがとう」と言った。忘れ物がないかを確認して、僕へと顔を寄せた。睨み付けるようにして視線を合わせるのは、彼女の癖なんだろうか。

「たこ焼き。美味しかった。また食べに来るから」

「マジっすか」

「何よ、悪いの?」

「いや、全然悪くないっす」

 立夏がレジの方へ歩いていくと、常連のお客さんと喋っていた大学生のアルバイトさんがその後ろを追いかけていった。

 ふぅ。

 溜め息を吐いて仕事に戻る。

 あのくらい分かりやすく、誰かを好きになれたらいいのに。新しく入った注文を捌きながら最高の恋に思いを馳せる。どこに転がっているのか、見当もつかなかった。

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