第13話 クラスメイトと僕


 夏休みが来る前に高校を中退するつもりだった。

 特別、目的があって通っているわけでもないし。

 今のところ、高校を卒業した後も丹次郎さんの元で働くことに専念する予定で、大学進学のために勉強する気は毛頭なかった。僕の通う高校は進学校だから、周囲の生徒もほぼ全員が、余程の事情がない限りは大学生になることを目指すだろう。入る高校を間違えた感じはあるけれど、僕の学力でギリギリ届く、偏差値の高い高校、みたいな選び方をしたらここになってしまった。

 勉強は楽しくない。テストは嫌いだし、特に理系科目の成績は今後、どんどん酷いものになっていくだろう。運動にも芸術にも興味がなくて、部活にも入っていない。それでも友達がいるから、僕は学校へ通い続けることができるのだった。

 それはさておき。

 クオリティとコスト、どちらを重視した方が豊かな人生になるのだろう。

 鶏肉と豚肉を交互に見比べて、今日は鶏のモモ肉を手に取った。晩御飯は唐揚げに決定だ。昨日は焼き魚だったし、野菜料理は食べたくない気分だし。から揚げをやるなら大根サラダもつくろうかな、と野菜コーナーへと引き返していく。その途中で丹次郎さんはムネ肉の方が好みだったことを思い出して、それもカゴに入れるためにくるりと方向転換をする。

 買い物のときは、いつもこんな感じだ。下手くそというか、効率が悪い。

 テキトーに生きるって、こういうことだよね。

 スーパーを奥まで歩いて行って、メインメニューが決まってから他を考える。行ったり来たりを繰り返す。まるで人生みたいだね、とイマジナリーフレンドに話しかけてみた。返事はない。存在しないから当然の話であった。

 泥のついた緑色の棚のもとへ向かい、無造作に平積みされた大根たちを前に唸る。

 夏大根は歯ごたえがいいよなー、とか考えていたら肩を叩かれた。

 振り返ると、同級生。名前は知っているけれど、話したことはない相手だ。

「下野君?」

「おー、やっぱりクラスの子じゃん。えっと……」

「……仁乃」

「そうだ。仁乃はじめ。うんうん、覚えているとも」

 名前も覚えていない相手に声をかけたのか、と一歩引く。僕とは絶対に感性とかが違うタイプだろう。

 下野君は仕事をよくサボる国語係だ。クラスの教科係で彼だけがサボっているわけではないし、むしろ真面目にやっている人の方が少ない印象だけど。彼の方から近寄って来たくせに、特別な用事があるわけではないようだ。興味津々といった感じで僕の買い物かごを覗き込んでいた。

「それ、買うの?」

 頷いた。ほぼ初対面のはずだ。クラスメイトではあるけれど、特別親しく喋った経験はない。このくらいの距離感が普通なのだろうか。すげーな、フツーの人。

「俺は塾へ行くとこ。弁当を買いに来たんだ」

「あぁ、うん」

「ここの明太と唐揚げの、最高なんだよなぁ」

「へー」

 なるべく笑顔を絶やさないようにして彼に対応する。

 僕は弁当が好きじゃなかった。小学生の頃は毎日がコンビニ弁当とカップ麺の繰り返しだったから、その影響だろう。今でもカップ麺は苦手だ。妹と一緒じゃなきゃ食べられない。無理に食べると、口から戻してしまうのだ。

 決して不味いわけじゃないけど身体が受け付けないんだよな。

「でよー、仁乃に聞きたいんだけどさ」

「うん」

「君って、俺のこと好き? もち、恋愛感情な」

「は?」

「二度言わせるなよ、恥ずかしいじゃんか」

 下野君は終始、真顔だった。真剣と書いてマジと読むアレだ。

 念のため、周囲に他の同級生の姿がないか探ってみる。イタズラか、罰ゲーム的なものか、別の世界から現れた僕の知らない下野君の可能性もあるか。首をふくろうみたいに回しながら目の届く範囲すべてに意識を向けてみた。缶詰のコーナーに中年のおばさんが入っていく。ニラともやしの袋を掴んだ作業服のおじさんが、ニコニコしながらラーメンを物色している。女児をつれた母親が、お菓子をねだられて困っている。

 特別なことはない、平凡なスーパーの光景だった。

 現実は平凡で退屈だ。油の切れた機械みたいにぎこちなく、視線を下野君に戻す。

 ふーむ。

 まじまじ。

「ごめん、意図を尋ねてもいいかな」

「その反応だけで脈なしって分かったわ」

 がはは、と下野君は笑う。

 冗談を言っているのか本気なのか判断がつかない。感情の読みにくさが、誰かに似ていた。

 呆気に取られていると、今度は向こうから謝罪と説明が飛んできた。

「いやね、提出物とかを出し忘れても、君が出してくれるから。助かっているんだよ」

「はぁ」

「でもさ、見返りもなしに人助けとかしないじゃん、フツー」

「そうかな? すると思うけど」

「しねーって。フツーなら」

 教室での彼の姿を思い出そうとして、浮かぶ光景の少なさに口端が引き攣りそうになる。友達でもない相手のことは知らないのが当然だと頭では理解していても、心がそれを否定しようと足掻いている。

 意味のないことだった。

 そうだとも。

 この会話もきっと、記憶から消えていく。数時間後には無意味になるのだから。

「ところで仁乃。暇だったりしないの」

「……この荷物を見て何も思わない系?」

「ん? んー、分からん」

「家に帰って晩御飯を作らなくちゃいけないから、超がつくほど忙しい。大体、どうして制服なんだよ。夏休みなのに」

「私服って、選ぶの大変じゃん? 制服なら楽だからさ」

 随分と面倒臭がりな奴だな。もう、提出物を代わりに出すのをやめてしまおうか。

 でも、どうせ誰もやらないからな。それが原因で彼が怒られているのも見たくないし。

 困ったものだ。

 これ以上の進展はないと考えたのか、別れの挨拶は出会いと同じく唐突だった。

「じゃ、またな」

 清々しい笑顔を向けられて、僕は困惑する。

 一方通行に喋り倒して、相手の反応が芳しくなくとも平然としている彼は。

 丹瀬に似ている、と思った。

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