第14話 ボードゲームと僕
神野が遊びに来ていた。嘘だけど、と一呼吸入れてみる。
「本物だよね?」
「あなた、美鶴ちゃんと同じこと言うのね」
「いや、友達という概念が希薄だったから」
「私が仁乃の初めての友達なわけ?」
違うけど。笑いながら否定した。
丹瀬が初めての友達だった。今は彼女に加えて佐天もいる、三人も友達がいるんだ。すごいぞ、高校生活が始まった途端に友人の数が三倍になったんだ! 悲しい気持ちになる冗談は窓の外へと放り投げてしまおう。気を緩めると心の隙間を縫って鋭い痛みが襲ってくるから。
「好きかも」
「えっ?」
「このゲーム、つまんないと思っていたから。始めたら案外楽しいかも」
「そっか」
なぜ持ってきたの? とは言わない。その程度には空気の読める僕である。彼女は着替えとか遊び道具を持ってウチに来た。泊まり前提で遊ぶのは、時間の制約とかを考えなくていいから助かるよね。
今日は、彼女がお兄さんから借りてきた
順番にコマを選んで、前後左右に一手ずつ動かすだけの単純なゲームだから、長くても十五分ほどで決着がつく。今のところ僕が勝利したのは先手後手を決めるじゃんけんのみと来た。
おかしい。彼女には何が見えているのだろうか。
「もう一回したい」
「いいけど、負けても泣かないでね」
「……頑張ります」
気分を落ち着かせるために何かを食べようとお菓子の袋に手を伸ばす。
スマホをつけてみれば、二十二時を過ぎたくらい。
結構、遅い時間になっていた。
暇を持て余した神野から連絡が来て、遊びに来たのが正午を過ぎたころ。
最初のうちは美鶴も交えて他のボードゲームをやっていたけど、晩御飯を食べた後に部屋へと引っ込んでしまった。まぁ色々と気を遣ってくれているのだろう。「私は邪魔しないから」とか、何を言っているのか理解に苦しむ点もあるけれど。
「準備できた?」
「バッチリさ」
負けた側が先行で、と今回も僕からコマを動かし始めた。
今度こそ勝つぞ。雑談と間食を挟みながら盤面を変えていく。
盤の四隅にそれぞれゴールがある。自分の陣地から遠い側のふたつのゴール、そのどちらかへの到達が勝利条件に設定されていて、そこを目指しながらコマを動かしていくのが基本の戦略だった。数手進めた後、今度は僕が先手を取って彼女のコマを奪った。あ、ハズレを引いた。
もう負けそう。
「これ、勝つためのコツとかある?」
「どれが悪い幽霊か見極めること」
「簡単に言ってくれるじゃないか。僕はもう千回は間違えているのに」
「二乃が考えなしってだけ。はい。次」
ノータイムで手を進めてくる神野に負けないよう、僕もコマを動かす。
このゲームのコマはすべて同じ動きをするけれど、コマそのものにはふたつの種類がある。
ひとつは、相手のゴールへ到達することで勝利ができる良い幽霊のコマ。もうひとつは、悪霊のコマだ。こいつはゴールへ到達しても勝利できない代わりに、四つすべてが相手に取り除かれることで勝利条件を満たせる。ゴールを目指すだけじゃなくて、肉を切らせて骨を断つ戦法もあるわけだ。
どちらもハロウィンのコスプレ的な、白いシーツを被った子供の幽霊みたいなコマで、相手はもちろん自分からも同じ顔にしか見えない。コマの下側にしか記載がないから、取った後でしか判断がつかなかった。最初にコマを並べるときもどこに悪い幽霊を配置するか自由に決めることが出来て、細かいテクニックを挙げればきりがない。
だから案外、楽しかった。
淡々と冷静に、神野はゴールへの距離を縮めてくる。考えなしに自分のコマをぶつけたら、また悪霊を掴まされた。勉強が出来る人はゲームも上手いとどこかで聞いた気がするけれど、あれは本当かもしれない。一手ずつ進めながら、これまでのゲーム展開と比較しながら彼女の戦法を分析してみる。
何もわからなかった。
「ところで、晩御飯はどうだった」
「海鮮丼のこと?」
「マグロの漬け丼ね。あとはエビか。海鮮丼ってほど具材がなかったでしょ」
「細かいなー。ま、美味しかったけどね。普段、魚は食べないから」
「そうなの? 何でも食べると思っていたけど」
「兄貴がね、好き嫌いの多い男なのよ」
あれこれ教えてもらって、彼女の兄さんが食べられないものについての情報を手に入れた。けどこれ、使う機会あるんだろうか。へぇ、ほぉ、ふーんと適当に相槌を打ちながらコマを動かし続けていたら神野のコマがゴールに向かってきていることに気づいた。それまでは僕のコマをけん制するためのものだと思っていたけれど、盤面が膠着してきたところで一気に攻める作戦だったのか。
これで勝ったな、とコマを奪う。
ひっくり返すと悪霊だった。手元には、すでに三つの悪霊がいる。
つまり。
「はい。また私の勝ちね」
「なんで? ……イカサマを疑わせていただきます」
「してるわけないでしょ。あなたの戦術が単調で、分かりやすいのがすべて」
「そんなこと言われてもなぁ」
視線がふわついて、首ごと曲げることで盤面に視線を戻す。
仕方ないじゃないか。だって、集中できないんだもの。
暑いからって安易にパジャマのボタンを開けないでほしいよね。疲れたとばかりに横になった神野の、なだらかなふたつの丘は無視できないほどの存在感を示している。重そうだし肩凝りしそうだ。寝そべったまま背伸びをして、彼女の体から乾いた音がした。
ミントグリーンの半袖シャツ。
エメラルドのキュロット。
どちらも彼女に似合っていた。
水着の時は大して意識していなかったのに、身体のラインを這うように目が動く。
なんで僕の頬は熱くなっていくのだろう。夏だから、かな。
「二乃。そんなに見つめないで欲しいんだけど。恥ずかしいわ」
「真顔で言うセリフじゃないなー、それ」
「どうして仁乃が照れるの。逆でしょ?」
「照れなんかないやい。僕、そういうのじゃないから」
「はいはい。……じゃ、このゲーム勝つコツを教えてあげる」
アドバイスにかこつけて、ぐいぐい近寄ってくる。盤上でコマを動かしながら、説明のたびに頬をつままれる。いいように扱われているのに、なぜか抵抗できない。仄かに香る洗剤の匂いは、知っているはずのものなのに普段とは違うように感じる。
思っていたよりむっちりした太腿が白くて眩しい。そして彼女が動くたびに。
あっ。また変なことを考えてしまった。
死のう。
「仁乃。次負けたら罰ゲームね」
「――ぐぐぐ。僕が勝ったら神野も何かしてくれよ」
文句を言いながらコマを並べなおす。時間も遅いし、これが最終ゲームだ。打倒神野に向けて気合を入れなおしていたら、またしても視線が吸われていく。めちゃくちゃ見えていた。マリアナ海峡よりも深い。何がとは言わないけど。
僕はそーいうのじゃない。ないのだ。
「二乃。そんなに気になるの」
「何の話?」
「何がって、ここ」
彼女が自分の胸元に手をかける。ふむ。気づいていたのか。
しにたい。
「違うんだ。その、どうしても視線が吸われるだけで。ってかボタン閉めてよ」
「イヤよ、扇風機だけじゃ暑いし。二乃が面白いから」
「後半は関係なくない?」
「いいじゃない。私は別に困らないし」
「僕が困るんだよ! もう、今日はおしまい!」
我慢できなくて立ち上がった。襲うわけじゃないし、っていうか返り討ちに遭いそうだし。魔性の女からはそそくさと逃げる、それが一番だ。
全速力で部屋を抜け出して階段を駆け下りる。妙に楽しそうな息の弾ませ方をしながら追いかけてくる鬼の存在には気付かないふりをして、そのまま洗面所へと向かった。寝る前には歯を磨く。これ、常識である。
神野は仕事を終えて帰ってきていた丹次郎さんと八千代さんに挨拶をして、迷うことなくこちらへ向かってくる。彼女が伸ばしてきた手に体がこわばったけれど、その腕は蛇口をひねるだけだった。
ぐぬ、歯を磨きに来ただけか。
洗面所の鏡に映る彼女は、満面の笑みを浮かべていた。
歯を磨き終わった後、テレビの前でくつろいでいる大人達におやすみの挨拶をして部屋に戻る。後ろ手に扉を閉めようとして、背後の気配が消えなかったから振り向いた。
「あの、どうしたの」
「一緒に寝ようと思って」
「いやいやいや」
「そんなに否定しなくてもいいでしょ」
マジですか、と尋ねる前に彼女は僕のベッドへと飛び込んでいった。肩肘をついて、ぽんぽんと布団を叩く。ちょっと埃が舞って、僕はその場に固まったまま動けない。自分の隣は空いているぞ、とばかりに彼女はシーツを叩いていた。クーラーもつけて、部屋の主たる僕の了解も取らずに温度設定をいじっている。
曖昧に頷きながら部屋を出ようとしたら飛んできた彼女に袖を引っ張られて、結局は同じ布団の上で添い寝することになった。微かに舞うほこりがカーテンの隙間から差し込む月光に煌めく。
綺麗だった。
「そういえば、今日は煙草を吸わないの?」
「いじめないでください」
「禁煙中か。えらいぞー」
「別にそういうんじゃ、うぐっ」
神野が抱き着いてきた。なぜ、とか。色んな考えが頭の中をよぎって、消える。
失神しそうな僕など気に留めず、彼女はのんびりと欠伸を漏らした。今日はやけにテンションが高いけど、ひょっとすると眠いときほどエンジンがフルスロットルになるタイプか。僕は手足が震えるタイプだ。今もガクガクしている。
心臓、爆発しそう。
「意外とあったかい」
「そ、ですか」
「……緊張しすぎじゃない?」
からかいすぎた、と彼女が少し離れる。
それでも体温を感じられる距離だ。こうして添い寝した相手は丹瀬くらいしかいなくて、うん、人生で初めてってわけじゃないんだ。だけど、どうして胸が痛いんだろう。隣で神野が何かを喋っていたけれど、それすら聞き取れないほどに心臓がうるさい。耳鳴りがするほどだった。
くそぅ。
心臓、止まってくれ。
「ねぇ、僕に抱き付いてメリットとかあるの?」
「癒し効果。デトックスとか? 悪いものが身体から抜けていくのよ」
「そういうのは丹瀬に求めたらいいのに」
「どうして文世が出てくるのよ。仁乃はあの子の方がいいの」
「そんなことないけど。違うじゃん」
何が。
分からん。
これ以上の弱みを見せたくなくて目を固く閉じる。彼女の手だろうか、何かが僕の頬に触れて顔の輪郭をなぞる。そのまま身体の前へと回ってくる。ビクリと肩を震わせると、彼女の手はするりと離れていった。
耳元でおやすみと囁かれる。
そのあとに続いた溜め息の理由を探して、今夜は眠れそうにもなかった。
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