第15話 アルバイトと僕
仕事は楽しい。そうやって、自分に言い聞かせている。
バラバラでは美味しくないものが鉄板の上で踊って、僕の手によって料理へと変わる。働いた分だけお客さんも笑顔になるし、決して優しくない社会に順応しているような気がして嬉しくなる。いつの間にか一ノ瀬夫妻のたこ焼き屋が僕の居場所になっていた。
夏休みの半分は店の手伝いができる。
残りの半分は、そのまた半分くらいは、神野と一緒に過ごせたらいいなと思った。
「ダメだダメだ、僕は何を」
誰かが入店してベルが鳴ったことで我に返る。
思春期特有の毒気に侵されて頬が熱くなってきた。カウンターの内側はお客さんから丸見えだから、妙なことを考えていたら速攻でバレてしまう。気恥ずかしくなるのを誤魔化すため、わざと間延びした調子で声をかける。
「いらっしゃいませー」
顔を上げたら、佐天が女の子を連れてきていた。彼女は僕を見て微かに眉を顰め、佐天に気づかれないように指を立ててきた。そんなことをする女の子とは、もちろん立夏、ただ一人だ。一人であってくれ。
立ててくれたのが親指じゃないのが残念だった。
「よっす。今日も繁盛しているな」
「おかげ様です」
「カウンター座っても良い? 俺と立夏のふたりだけど」
「うん。どうぞ」
ピースサインを向けられた。
自然な流れでの接客には成功したけれど、まだ立夏からは熱い視線を感じる。人間関係にも使える潤滑油はないものか。あれば、全身に塗りたくってみたいんだけど。
料理に集中しようとしたら、佐天が立ち上がって耳を貸せと手招きをしてくる。
「この前はありがとな」
「この前?」
「ほら、プールに行ったじゃん。丹瀬とかも誘って」
「あぁ、あれね。楽しかったよ」
あの日、帰り際に四人で撮った写真を待ち受けにしてみた。気恥ずかしくてすぐに有名ゲームの壁紙に戻してしまったけど、あれも一人では得難い経験だった。
佐天は親指をぐっと立ててはにかんでいる。
「マジで助かったよ。特に丹瀬を連れていけたから、立夏の話が聞けたし」
「そうなの? 佐天、丹瀬に何か相談でもあったのかい」
「まぁな。立夏をプールに誘うなら、その前に立夏の友達に色々と話を聞いて、ついでに予行演習をした方がいいと思って。丹瀬と仲良しの二乃から誘ってもらうつもりだったんだ」
「はえー。それって、そういうこと?」
「おう。そういうことだ」
ひょっとしなくても両想い、という奴だろうか。心底羨ましい。
この前プールに行ったとき、僕は神野とばかり一緒に居たから、佐天と丹瀬がどんな感じに遊んでいたのかをよく知らないままでいた。気まずい感じになっていたら嫌だなぁ、と薄く思っていたのだけれど、心配する必要はなかったらしい。
「……二人して、なんの話をしているの?」
「秘密だよ。あはは」
佐天が誤魔化して席に戻る。
立夏は、頬を膨らませながら僕に怖い視線を送ってくる。
注文を受けて、彼らの話を少し遠巻きに聞く。内容から推察、するほどでもないけれど彼らはどこかへと遊びに行く予定らしい。カラオケかボーリングで迷っているようで、どちらとも縁遠い僕は指をくわえて聞いていることしかできない。
僕は佐天と立夏の関係性を羨んでいるのだ。友達というのは良いものだから。
他のお客さんの分が焼きあがったところで母親が昼の休憩から帰ってきて、それを届ける役割をやってもらう。佐天たちの分はこれから焼くところだ。生地を流し込んでいたら、入店を知らせる鈴が鳴った。
「らっしゃいませー」
「おっ、下野だ」
知った名前に顔を上げると、本当に下野君が来店していた。
佐天は招き猫よろしく手を振っている。呼び出しを受けた下野君は僕と立夏、それから佐天と視線を彷徨わせてから歩み寄ってきた。そりゃためらうだろう、デートしている同級生の邪魔になるのは嫌だからな。
案の定、立夏は面白くなさそうな顔をしていた。
「二乃、この店でバイトしてんの? というか佐天、お前な……」
「おう。常連だぜ」
そういうことじゃないだろ、と内心でツッコミを入れる。
言葉にしないのは、優しさであり危機回避のためでもあった。
「ここのたこ焼き、美味しいんだよなー」
「で、なに、俺は相槌を打つためだけに呼ばれた感じ?」
「なんだよー、いいじゃん、座れよ」
バシバシと背中やお尻を叩かれて、顔をしかめながらも下野君は佐天の隣に座った。
重そうな鞄は足元に下ろして、背筋を思い切り伸ばす。制服は少し寄れていて、袖口にもほころびが見えた。中学の頃に着ていたものをそのまま使っているのかな、という印象だ。うちの学校、男子はバッジさえついていれば細かい指定はないからね。だから白い制服や赤い制服を着ていても問題はない、のだけれどあまり目立つのは避ける人しかいない。
それがフツーという奴だった。
「今日も塾?」
「うん。二乃も来るか。夏期講習は割引があるんだぜ」
「やめとく。勉強はキライだし」
「そっかー。残念、ザンネン」
雰囲気を悪くしないためだろう、ごまかすように彼はおどけた。一応、本気で誘ってくれたようでカバンから分厚いテキストを取り出して見せてくれた。頻繁に使っているのだろう、小口が開き始めている。
ぺらぺらとめくってくれたページに書かれている内容は学校で教わっているものと大して代わり映えしない。まぁ、定期テストの頻出項目を重点的に取り扱っているくらいか。そして今日初めて知ったことだけど、彼は教材に直接書き込む派のようだ。意外と丸文字で、かわいかった。
「一年から勉強、頑張るんだね」
「俺のアタマじゃ、そうしなきゃ追いつけないからよ」
「なんだ下野、そこまでして行きたい大学あるのか」
「んー、そういうわけじゃないけど。選択肢は多い方がいいじゃんね。佐天は?」
「来年考えるわー。まだ分かんないし」
大学がー、将来がー、と取らぬ狸の皮算用を始めた佐天、下野君のふたりから顔を逸らす。
仕事に集中しているふりをして会話に参加するのは遠慮した。 三味線を弾く才能があれば、話し上手と呼ばれるんだろうけどあんまり、自信もないからなぁ。
立夏も特に興味がないのか、メニュー表に視線を落としていた。時折、横目に佐天の様子をうかがっているのがいじらしい。彼女が佐天に並々ならぬ興味を抱いているのは知っているけれど、どうしてその感情を抱くようになったのだろう。僕が猫だったら、好奇心に何度殺されているのかな。一日一回、で足りるんだろうか。ちょっと不安になってきた。
考えるのはここまでにして、給料分は仕事をしないとな。
僕が働き始めたころよりも確実に茶色の濃くなった店の内壁から、手元の鉄板へと視線を移す。ちょうど良い加減だ。ピックでくるくると生地を回して形を整えて、火の通ったものから皿へと移す。注文を順番に消化して、持ち帰りをするお客さん用にフネ風のパックへ盛り付けた。
あとは、佐天たちの分だ。
「ほい、お待ち」
「ありがと。流石の手際だな」
「慣れだよ、慣れ」
料理よりも先に慣れるべきものが無数にあるのに、僕はここで働いていていいのだろうか。いいのだろうな、今になって部活とかを始める気にもなれないし、クラスでの立ち位置というものも固まりつつある。
夏休み明けの学校が心配だ。友達は、片手で数えられるほどしかいないので。
うぅ、お腹が痛くなってきたぜ。
「マジでどれ食っても美味いんだよな、ここ」
「料理人の腕ってヤツか。よっ、二乃、日本一!」
「口をつける前に褒めないでよ」
男二人、調子のいい生き物である。見た目と香りが完璧で味は最悪、という可能性も捨てないでほしい。まぁ、僕の目の黒いうちは安心してくれ。意地と誇りにかけて、美味しいご飯を作ると約束しよう。
定食用に鶏の照り焼きを作りながら、同級生たちの食事風景を眺める。
知り合いの笑顔は、そうでない人の笑顔よりも輝いて見える。不思議なものだね。
二、三個のたこ焼きを食べたところで佐天は立夏のフネに箸を伸ばした。彼女も佐天のフネへと躊躇うことなく箸を伸ばし、交換は一瞬にして完了する。ものすごく手馴れていた。言葉によるやり取りがないのは、普段からやっていることだから、だろう。
すごく『親友』っぽい。羨ましい限りだ。
目の合った下野君は渋い顔をしていた。僕も似たような顔をしている、のかな。
「……思うんだけどよぉ、お前らって仲良しだよな」
「そうかな。フツーじゃない?」
「やー、カップルでしょ。俺の目は誤魔化されないぜ」
指で作ったファインダー越しにふたりを視界へ収めながら、彼は僕に同意を求めてくる。が、佐天が大きく手を横に振ったことでそれは遮られた。
「そんなことないよ。中学の時に付き合っていたけど、振られたんだ」
「ちょ、秘密にしようって約束したじゃん!」
椅子を蹴って立ち上がった立夏が拳を振り回す。
というか、え。
「マジで」
「本当だけどっ、嘘じゃないけどっ!」
かなり全力で暴れだした立夏を、佐天は慣れた手つきでやり過ごしている。
ちょっとした騒動で、周囲にいたお客さん達の視線も集めてしまっている。生温かいもの、怪訝そうなもの、楽しそうなもの。そこに無関心な人も加えて、人間社会の縮図を作ったらこうなるんだろうなと思った。
下野君は真顔で両手の〇指を立てている。
そして、怒りと嫉妬のこもった正拳突きが佐天の横腹を直撃した。
「いいよなー佐天は。主人公補正モリモリって感じだ」
「あ、それ分かるかも」
「なー。バカだけど運動神経よくて、女子にモテて」
「後期は生徒会に入らないか、って先生に誘われていたよね」
「カーッ、級長様は違うねぇ」
「んなわけないだろ。俺も下野と同じ、フツーの男の子だよ」
「勝手に言ってろ」
ちょっとだけ可哀そうになったから、と言い訳して下野君にサービスのフネを出す。
出された料理に首を傾げた彼には、焦がしネギ味噌の試供品だと説明した。実際、まだメニューには載せていない新商品である。赤味噌にネギとすりごまを加えて熱を加えることで、香りを強くしたものだ。
下野君は迷わずにネギ盛を注文してきから、ちょっと感想を聞いてみようかと思って。
「これ唐辛子多くないか? 美味しいんだけど辛いぞ、酒飲みの好みって感じだ」
「少なめにしたつもりだったんだけど、ダメ?」
「ダメじゃないけどさ。俺はもうちょっと唐辛子少なめが好みかな」
「いいなー。下野、俺にもくれよ」
「ヤだよ。これは二乃が俺にくれたんだから」
と言いつつ差し出すあたり、彼も善良な一市民である。
言い換えれば、お人好しという奴だな。
頬の熱がまだ冷めないらしい立夏にも、下野君は遠慮なく善意を押し付ける。ネギ味噌は瞬く間になくなっていった。美味しいようだ。うん、僥倖なり。
「俺、お前らが羨ましいよ」
文句を言いながらも最後には、はにかんだ下野君。
彼とも友達になってみたい、そう思った。
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