『ホワイトデザイア』

第16話 仔猫と僕


 お盆休みには、親戚回りをするらしい。

 それが世間の常識というものだ。

 一ノ瀬家も例外ではなく、親戚の家へと泊まりがけで遊びに行った。カレンダーを更新したらまず初めに書き込む程度には例年の行事になっているらしい。まぁ、僕が彼らに同伴したのは一度きりだけどね。

 いい思い出ではない。美鶴と隣同士に寝たのが、少し楽しかったくらいかな。

 丹次郎さんは僕を実の子供と遜色なく扱ってくれるけど、彼の親族すべてが彼みたいな人ってわけじゃない。僕のせいで丹次郎さんたちの親戚付き合いが悪くなるのが怖くて、それと、慣れない環境に体調が悪くなっても困るという理由で留守を任せてもらっていた。

 僕は実家へ帰らないのかって? はは、ご冗談を。

 そういうわけで、去年、一昨年と、僕はひとりでお盆休みを過ごしていた。

 一人でご飯を食べると過去の諸々が思い出されて楽しくないんだけど、知らない人に囲まれて食べるご飯も味が分からない。どっちもどっち、だったら気楽な方がいい。吐しゃ物にボロ布をかぶせるように、隠しきれないものがある。家族との関係も覚束ない僕は、親戚とか、友達とか、僕とは縁遠いものを中心に社会が動くのが、少し嫌だった。

 これは嫉妬なのだろうか。

 話変わって、小一時間ほど前のことだ。

 夏休みの宿題を片付けようとシャーペンを動かしていたら携帯が震えて、僕自身も少し震えながら受話器を耳に当てる。適当な挨拶をして、互いが暇であることを確認して、ついでに僕が置かれた状況を説明してみる。

 保護者のいない家が、寂しくて心が凍えてしまうことも。

「じゃあ、今年は私と一緒に過ごす?」

「いいのかな。丹瀬は親戚とかに会いに行かないの」

「だいじょーぶ。おけまるよー」

 小学生が帰り道に取り付ける約束のような、綿菓子みたいにふわふわしたやり取りを経て丹瀬が家に泊まりに来た。マジで? なんて自分に問いかけてみたくなるほど、現実味が薄い。彼女が一ノ瀬ハウスに来るのは初めてだったけれど、僕が昔に住んでいた家の場所との位置関係を説明したら何も迷うことなくたどり着いてくれた。

 でもなぁ、遊ぶと言ったって準備なんか何もしていないし、丹瀬が満足するような時間を提供できるんだろうか。だけど言葉にすると「友達なのに遠慮しぃだぞ!」と怒られてしまうから、黙ったまま考える。

 いやー、でもなぁ。

 丹瀬と遊ぶときはいつも彼女に先導されていたから、何をすればいいのか分かんないや。

「はじめくん? おーい」

「ん? あぁ」

「せっかく遊びに来たんだから、もっと構ってよー」

 向き合ったまま立ち尽くしていたら、彼女の方から頭をぐりぐりと押し付けてきた。僕の胸元、心臓に向かってぐりぐりと。

 彼女がしてほしいことを察して、丹瀬の額に手を伸ばす。天使の光輪を描くように、ゆっくりと頭を撫でてあげたら彼女は猫の鳴き真似を始めた。

「にゅぁーん。みゃぁーん」

「甘えたがりだなぁ」

「それははじめくんも一緒でしょ。私は知っているんだから」

「それもそうか」

 丹瀬の母親は、少しだけ厳しい人だ。最近こそ学校では甘えてこないけれど、小学校の頃は休み時間になるたびに僕の席へとやってきて、頭を撫でてほしいとねだってきたのを覚えている。彼女が僕の周りにいるときは、普段なら些細なことでケンカを仕掛けてくるクラスの男子達も、少し遠巻きから眺めるだけだった。

 丹瀬に嫌われるということは、彼女の友達を敵に回すということ。それは学校というコミュニティにおいて、世界を敵にするにも等しい行為だった。彼女と友達になれたことは僕にとって僥倖だった。

「ご無沙汰だった分も、今日はたっぷり甘やかしてあげる」

「みー。みいー」

「よしよし。こうするの、久しぶりだねぇ」

 童顔な丹瀬は、その幼さに比例して肌も若々しい。具体的に言えば、もっちりしている。その触り心地に抗うことはできず、なんとなくで手を添えたが最後、なかなかに離れがたくなってしまうのだ。

 あぁ、久しぶりの感覚だ。

 喉をくすぐると、身をよじって笑う。

 友人のあどけない笑顔につられて、僕も笑う。

 どうして彼女が僕の友達になったのか。そして、これだけ甘えてくれるのかは知らない。分からなくてもいいかなと惚けておく。考えすぎても、未来には暗雲しか立ち込めないから。

 そういえば、高校生になってからも一度だけ。入学してすぐの頃、先生に呼び出された僕のお供を買って出てくれた日にも、彼女はこうして頭から突っ込んできた覚えがある。

 あれは僕の不安を和らげるための、彼女なりのフォローだったのだろうか。

「はじめくん、対応に困ると私のほっぺた触るよね」

「そうかな? そんなことないと思うけど」

「うそだぁ。自覚ないの?」

「うーん、意識したこともないんだけど」

「そっかー。私は優しいので、はじめくんの困り顔をみて楽しむことにします! むふー」

 ので、という接続助詞の前後で言葉の意味が通じていない。いつものことか。

 正面向いて抱き合ったとき、彼女の頭は僕のあごの位置にくる。この身長差も変わっていない。いつもと同じ、それは平和と安定の証左とも言えた。

「昔はよく抱っこしてもらったねぇ」

「ね。最近はどうしたの。恥ずかしかったとか?」

「むー、いじわるくんじゃモテないぞ」

 ぺしっと胸を叩いてくる。そして、僕を突き飛ばすように距離を取った。

 嫌われた、わけじゃなく荷物の置き場を探しているようだった。というか、僕に向かって鞄を突き出してくる。しょうがないなぁ、と愚痴を吐きながら受け取ってしまう僕もどうかしている。

 お互いに、甘えたがりだ。

「しっかし、ここがはじめくんの新居だったのかー。元の家と近くない?」

「まぁ偶然って奴だよ。それか、運命」

「うんめーか」

 んめぇ、とヤギの鳴き真似を始めた丹瀬は無視して荷物を置く場所を求めて家の中を歩く。神野が寝泊まりしている部屋へ放り込むか迷ったけど、結局は僕の部屋へと運び込んだ。理由は、神野が泊まりに来ていることを丹瀬には隠したかったから。深い意図はない。多分。

 それに経験則によれば、丹瀬は僕と添い寝をしたがる。だから別の部屋に置く意味も薄いだろう。どうして一緒に寝たがるのか、聞いたことないけれど。僕は、友達のことも良く知らないんだよな。人との距離感を掴むのが、本当に下手くそなのかもしれない。

 そして、ヤギの鳴き真似はまだ続いていた。しかも似てないんだな、これが。

「んめぇ。めぇー!」

「全然うまくないし、猫と比べて可愛くない」

「んなぁことないでしょー。ぅんみぇぇ」

 適当に笑ってごまかすと、丹瀬はぽこすかと口で擬音を表現しながら殴ってきた。動物が甘噛みするみたいに、力加減もバッチリである。思わずほころんでしまう口元を抑えながら、さてどうしたものだろうと首をひねる。

 どうやって時間を潰そうかな。

 僕には趣味がない。学校の休み時間には本を読んでいるけれど、それは話し相手がいないからだ。神野みたいに情熱をもって色々なジャンルの本を読んでいるわけじゃなくて、適当に、読みやすそうなものを読んでいるに過ぎない。

 料理は好きだけど、僕一人が楽しんでもつまらないし。

 とりあえずリビングへ案内して、ソファーへと腰を下ろす。

「何しようか」

「おやつ作って! で、映画みようよ」

「借りに行くの? 結構遠いぜー」

「私、月額会員なんですよー」

 ゲゲゲ、と妙な笑い方をしながら丹瀬はスマホを取り出して、どこに隠し持っていたのか、リビングのテレビとコードを繋いだ。ミラーリングするつもりみたいだ。色んなものに手を出す丹次郎さんはテレビも画質やらなにやらにこだわったものを購入していて、丹瀬は嬉々として設定をいじっている。ていうか、最初から映画を見る予定で色々と準備をしてくれていたのだろう。下準備の手際がいいことは、昔からよく知っている。

 映画の方は任せて、僕はおやつを作ることにした。

 戸棚を漁ってみたらマシュマロがあったから、今日はスモアにしよう。

 料理のときはあんまり使わない鉄の菜箸にマシュマロを差して、コンロの直火で焼く。ほんのり色が変わり始めたら、くるりと回して白い部分を火に向ける。何度か繰り返したら、焦げて苦みが出る前に火から遠ざける。クラッカーを二枚使って挟んで抜き取れば、これだけで美味しいおやつの出来上がりだ。

「ん。簡単なのはいいねぇ」

 全部が同じ味じゃつまらないから、クラッカーの代わりにチョコビスケットを使ったのも用意して、皿への盛り付けにも気合を入れてみる。配置は円状に、空いたスペースには余ったマシュマロを並べる。……かけた時間のわりに見た目は地味だ。美術の成績がもっと高い生徒だったら良かったのだけど、平均点止まりだからなぁ。

 芸術的な盛り付けが出来れば、お店でもお客さんにもっと喜んで貰えるんだろうけど。

「ま、いっか」

 盛り付けで栄養素が変わるわけないし。

 雰囲気で味は変わるけど、平均点あれば文句ないだろう。

 部屋に戻ると丹瀬は準備万端に待ち構えていた。八千代さんセレクションの彩り豊かなクッションに囲まれて、妖精が現世に迷い込んできたみたいだ。ソファーをぽんぽこと叩いて、僕に座るよう要求してくる。おやつの正面に僕を陣取らせた彼女は、そのまま何てこともないように膝の上へ座ってきた。

 うん、これも懐かしい。

「近いなぁ、距離」

「え、実は嫌だった? 邪魔?」

「いいよ、丹瀬は軽いし、ちっこいから」

「なんだよー。私だってちょっとは大きくなっているんだぞ。むきー!」

「ごめん。ごめんて」

 膝の上で跳ねる彼女をなだめて、ようやく映画の鑑賞会が始まる。

 丹瀬が選んだのは邦画だった。不登校の少年が、父親の作ったロボットを通じて同級生たちとの関係を取り戻していく映画だ。母親を交通事故で失い、そのショックで主人公は心を閉ざしてしまう。彼の前に現れたのは乱暴で粗雑な、ガキ大将みたいな役回りを持つ少女。最初は険悪なムードだったけれど、徐々に仲良くなっていく。けれど子供にはどうしようもない、大きな問題が彼らには待ち受けていて――。

 いい映画だった。

 ノスタルジックな雰囲気と、近未来的な世界観が見事に調和している。

 ヒロインの少女は美鶴に似ていた。自分が誰か分からずに苦悩して、潰れそうになっているころの美鶴に。そして僕は主人公の父親を見て、僕の父親もこんな人だったら良かったのに、とむくれている。子供が外の世界へ足を踏み出そうとするとき、背中を押して橋渡しをするのが大人の役目だろうに。決して、はしごを外すような真似は、しちゃいけないはずなのに。

 僕は、あの言葉を受けてからの僕は。

 誰かを好きになることにも、怯えるようになってしまった。

「…………」

 静かにしていた丹瀬が、僕の手をそっと握る。握り返して、優しく抱きしめる。天使みたいな女の子に触れているのに僕は驚くほど平常心を保てている。美鶴と同じだ、恋愛対象にはならない相手とは触れ合っても緊張しない。

 だから僕は、彼女と友達でいられるのだった。

 映画の展開が少し落ち着いたところで、丹瀬に声をかけられた。

「はじめくん、おやつ食べる?」

「うん。頂戴」

 膝に陣取られて動けない僕が手を出すと、丹瀬がマシュマロをひとつ寄越してくれ、なかった。伸ばした手を無視するように、彼女はこちらへ向き直った。指先につまんだマシュマロを取ろうとしても上手いことかわされて、ふむ、これはそういう奴か。

 えー、緊張するんだけど。

「あーん」

「あ、あーん」

「照れた? かわえーのー」

「うるさいやい。丹瀬もやる?」

「うん。食べさせて」

 恥じらいはないのか、と言いたいのをこらえる。

 だって、かわいいのは正義だから。

 食べさせて、食べさせてもらってを繰り返しながら映画を見た。

 一度は離れ離れになった主人公とヒロインが、それぞれの問題を解決して再び出会ったところでエンディングを迎える。困難に立ち向かって、それを乗り越えて成長していく彼らの友情は、たとえ作り物だったとしても美しく見えた。

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