第4話 親切心と僕
金曜日だった。
帰りのホームルームが終わると、掃除当番じゃない生徒達は元気よく教室を出て行く。部活に向かう生徒もいればゲーセンへ行こうぜと盛り上がっている奴らもいる。神野と丹瀬も、そんなクラスメイト達に混じって消えていった。何処かへ遊びに行こうと言っていたが詳しい話は聞いていない。だって、それは盗み聞きなわけだしね。
えっ?
友達が少なすぎて暇を持て余している僕が教室に居残って何をしているのかって?
当番でもないのに掃除を手伝っていた。退屈のあまり欠伸が漏れるほどだ。
「机つってくれー」
「あ、佐天くん。それ方言らしいよ」
「マジか、どこの?」
「この辺りの地域限定だって、確か」
「へぇー。で、立夏。どこ情報よそれ」
「松崎先生が授業で言っていたでしょ。また寝ていたの?」
「うっ、バレたか」
僕を教室に呼び止めた佐天の野郎はクラスの女子と楽しそうに話し込んでいた。羨ましいとかじゃないけど、働けよオラって言いたくなった。無言で黙々と黒板の掃除を担当する僕を見習ってくれ、手の甲が白くなろうとも作業を止めることはないぞ。
話しかけてくれる相手もいないから、自然と掃除に集中してしまうだけとも言う。
「佐天くん、今日は暇?」
「あー、悪い。今日は仁乃と遊びに行く予定で」
「そうなの? うーん、じゃ来週はどう」
自分の名前が出てきたからと顔を向けると、名前もよく覚えていないクラスメイトが僕のことを見据えていた。何か発声しようかとも思ったけど、仲の良い相手ではないからと肩を竦めて目を逸らす。悪い癖だ。こうして他人と関わる機会を積極的に投げ捨てているのだから友人が少ないのも頷ける。
誰にでも分け隔てなく接する佐天とは違うのだ。
「来週ならいいけど。火曜と金曜は委員会行くからダメだぞ」
「よっし、分かった。じゃあね、水曜日を空けといて欲しいんだけど」
「ん、おっけー立夏」
それから来週の予定について喋り始めた二人の会話を盗み聞きしてしまわないようにと顔を背ける。耳がいいわけじゃない。周囲に敏感なだけ、というのも違うか。耳を塞いでおかないと知らない誰かの会話を無意識に拾ってしまうってのは、暇潰しの一環に過ぎないのかも。
黒板掃除を終えて、裾についた白い粉を払う。
少し、緑色が混ざっていた。
ぐるりと教室を見渡してみれば、窓際、青いビニールシートをかぶせた暖房器具の上に国語のノートが山積みされている。今日提出の課題だったはずだが、係の奴が持っていくのを忘れているのだろうか。名前は知らないけど、係の顔は覚えている。ぐるっと教室を見渡して、そいつがいないことを確認した。
これで何度目だろう。
「聞きたいんだけど、これの係の奴は?」
ちょっと大きめの声を上げると、波が引くように教室内に響いていた音が小さくなった。掃除をしている奴は手を止めて、お喋りをしている奴らは口を閉じて、こちらへ一瞥をくれる。それから、何事もなかったように元の動作に戻った。
「あー、下野かな。多分帰ったんだろ。塾の日だし」
「……分かった。ありがと」
答えてくれたのは佐天だけ、あとは僕の言葉に顔を背けるようにして話し声すら潜めてしまった。応答はなく、意識だけが向けられる状況に慣れることはない。心地いい物じゃないから永遠に馴染まないだろう。
全部、自分のせいなんだけど。
問題はノートの山をどうするか、だ。
係の奴は仕事を忘れていったのだという。このままクラス全員が提出忘れ扱いになるのも、後になって係の奴が怒られるのを知っていて放置するのも嫌だった。かといって誰かに頼むのも面倒だしな、僕が職員室まで持っていくことにしよう。うん、掃除も終わって暇だし、佐天はまだ他の子と喋っている。彼らの会話を打ち切ってまで遊びに行く時間を早めたいわけでもないのだ。
善意の行動に理由付けをするなら、暇だからと答えるのが一番だった。
提出先は担任の松崎だから、職員室内のどこに席があるかも知っている。ノートを持って廊下へ出れば、学生達の活気が溢れていた。くぅう、若い力に押し流されそう。望まずとも得られる実感が心の虚弱を告げていた。
誰とも視線を交わすことなく職員室に辿り着いた僕は、幽霊の気分を味わっていた。
「失礼しまし、うぉわ」
「ごめん丹瀬」
丁度、丹瀬が職員室から出てくるところに鉢合わせた。ぶつかりそうになった彼女はまんまるな目をくりくりさせている。小学生のころから雰囲気が変わっていないのか、それとも身長が伸びていないだけなのか。どっちだろう。
一歩遅れて、神野も職員室から出てきた。
「仁乃。どうしたの、それ」
「係の奴が忘れていったから、代わりに提出しに来たんだ」
「へー、律儀。でもちょっとタイミング悪いわね」
「そーだよ。私が出す前に持ってきてほしかったな」
「意味が分からないんだけど。どういうこと?」
「文世が宿題やってなかったから、図書館で答えを書き写しさせていたの」
「ちーちゃん! ……で、遅れましたって提出したら不思議な顔されたんだ」
「そうなのか。なんか、ごめんね」
素直に謝る。
それはそれとして仕事なので職員室に入ろうとしたら神野に引き止められた。
他の生徒達の邪魔にならないよう、少し廊下の端へ引っ張られる。ノートが重いぜ。三年生向けの受験パンフが並ぶ長机の上に置かせてもらおう。少しの時間なら迷惑もかけないし。
改めて二人に向き直る。
「ひとつ、仁乃に聞きたいことがあるんだけど」
「おっ。私も聞きたいでーす!」
タイプの違う美少女ふたりに囲まれて身がすくむ。開け放たれた廊下の窓から緩やかな風が吹いて、神野の髪が静かになびいた。伸びた髪が目に掛って鬱陶しいのか、彼女は顔をしかめる。意外と怖い顔も出来るようだった。
「たこ焼きのお店知らない?」
「たこ?」
「そ。文世が食べたいんだって」
「でもショッピングモールのは潰れていたので、他のお店を探していまーす!」
手を挙げて元気よく喋る丹瀬は可愛かった。
ふたりとも顔がいいから、同性でもそういう関係になったのかなと妄想が膨らむ。
で、たこ焼き屋か。丹瀬とは付き合いも長いけれど、教えたことはなかったか。
「駅前にあるよ。それなりに繁盛していて、有名な店舗のはずだけど」
「私、今年になって引っ越してきたのよ」
「へー。知らなかった」
「そ。……文世は長いことこっちにいるけど、駅前とか行く?」
「ううん。あんまり行ったことない」
ふーん、と特に興味もなかったのでマジで適当な相槌をしたら神野に小突かれた。僕に聞くなよ、スマホがあるだろ、ネットを使え。資本主義社会では情報を握った奴が勝者なんだ、と脳内シャドーボクシングを始めてみる。
でもこの街、都会とは情報の更新速度が違うからなぁ。
インターネットで地図検索をすると、二年前に潰れたカードゲーム屋が未だに営業している扱いを受けていたし、国道沿いには影も形もないボーリング屋が存在することになっていた。この街では案外ネットの情報がアテにならないのだ。地元の人間に聞くのが一番、なんだろうか。
「んと、まずは駅の南口に行くだろ。それから……」
場所を説明して、それだけでは不安だったから自分のノートを千切ってメモも渡した。まず迷わないだろうけれど、念には念をいれておきたい。佐天との約束がなければ、その店舗まで直接送ってやりたいところだ。
説明を終えると、丹瀬が眩しい笑顔でお礼を言ってくれた。それを横目に、神野が僕のことを不思議そうに眺めていた。
「なんか、意外」
「何が?」
「あんた達、仲がいいものと思っていたから。行動範囲も一緒なのかと」
「そんなわけないじゃーん。ねっ、はじめくん」
ニコニコしながら抱き付いてきた丹瀬を、躊躇いながらも抱き返す。神野の頬が微かに引き攣ったような気がして、僕は何とも言えない気分になった。
手を繋ごうとする丹瀬と、それを振り払う神野とを見送った後、松崎先生の元へノートの山を提出に向かう。今日は部活顧問の仕事を休んでいるのか、彼は数十枚の書類と向かい合っていた。うへ、大変そうだ。
「お疲れ様です、松崎先生」
「仁乃じゃないか。また君が持ってきたのか」
「あー、係の子に頼まれて」
「下野が? ……そうか、ありがとう、重かっただろ」
「いえ、別に」
他人の為に吐く嘘は罪悪感もない。肩を竦めて適当に挨拶を済ませ、何かを言いたげな彼から目を背けて職員室を後にした。あまり長居すると高校生らしからぬアイテムを持っていることが所作でバレてしまいそうだし。
教室に戻ると掃除はすでに終わっていて、佐天は教室で友達と駄弁っている。彼を遊びに誘っていた女の子も一緒だった。
鞄を肩にかけて、彼の元へ向かう。佐天は手を振って女の子達に別れを告げると、僕の肩を掴んで廊下へと引っ張り出した。ひょっとして苦手な相手から逃げ出したがっていたのか、と不安になった気持ちは彼の胃袋が鳴った音で掻き消された。
うーん、この野郎。
「美味しいと噂のたこ焼き屋があるんだ、一緒に行こうぜ」
「…………」
「ん、微妙な顔だな? 二乃は嫌いなのか、たこ焼き」
「あ、いや。好きだよ」
そりゃもう、作り慣れているし。ただ、この街に沢山の店舗があるわけでもなく。
一抹の不安を抱きつつも佐天の後を歩いていく。
安っぽい運命ほど粘着質に絡みついてくることを、僕はよく知っていた。
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