第24話 クレープと私

 

 二乃からデートに誘われた。

 話を聞いたときは半信半疑で、そもそも彼女からデートという単語が出てきた覚えはないけれど、休日に二人で遊びに行こうと言われたらデートでいいだろう。

 これはデートなのだ、間違いない。

 今回は文世もいないしね。

「疲れたー。もう腕上がらないや」

「そう? まだ遊び足りないけど。二乃、体力ないんじゃない」

「運動音痴の神野に言われたくないな。体力だけあっても意味ないんだぞ」

「ゲームのスコアは私の方が上だったでしょ」

「ラスボスの撃破ボーナスが大きすぎるんだよ。それまでの得点差だと圧倒的に僕優位だったよね。なのに、最後の一撃ボーナスで、こう!」

 腰のあたりから、天井に向かって腕を突き上げる。ぶんぶんと腕を振って、今度こそ負けない、次やるときこそは勝つ! と息巻いている。身体を動かしていたこともあって、二乃はいつもよりテンションが高くなっているようだ。普段からこうだったら、もっと友達の多い子なんだろうなぁ、とか思ったりもした。

 ゲームセンターを出ると、全身に浴びていた音の雨が引いていくのが分かる。座る場所を求めて休憩所へ向かうと、知らないアーティストが簡易なステージの上で歌っていた。張りのある歌声を持つ女性と、ギター片手にハモリを担当する男性の二人組だ。聞いたこともない曲だけど、サビだけ聞いてアニメ映画の主題歌っぽいなと思った。

 ショッピングセンター、知名度不明、初めて聞く曲、と情報を並べるとお客さんの数は少ないように思うけど意外なことに聞いている人は多い。エスカレーター横の広場につくられたイベントスペースの椅子はすべて埋まっていて、立ち見の客も両手で数えられないほどだ。

 追いかけてきたファンもいるのか、結構な人数が曲に合わせて合いの手を入れている。イベントの告知看板をじっと眺めていた二乃が口を開いた。

「せんにんしょー」

「サボテンって読むのよ、それ」

 仙人掌、と看板の文字をなぞりながら二乃に説明する。ライトノベルとは言え結構な量の小説を読んでいるはずだけど、彼女にも読めない漢字があるようだ。人生で一度も出会ったことがない可能性もあるな。

「物知りだねぇ」

 なんだか文世みたいな台詞を口にして、大きく伸びをした二乃の背骨が軽い音を鳴らす。

 今日のデートは、ゲームセンターでガンシューティングゲームをしている内に時間が溶けていった。私達の他には並んでいる客がいなかったこともあって、ラスボスを倒せるまで延々とやり続けていた。

 コンティニュー禁止の縛りをつけたせいで、何回序盤のステージをやり直したことか。ようやく感動のエンディングを迎えたと思ったら主人公たちが乗り込んだ脱出用のヘリが爆発四散したし、人生で二回目のガンシューティングは噛めば噛むほどに味が出るガムみたいだった。

 あり得ないとか文句を言いながらも吐き出す気になれない、不思議な魅力を持ったガムだ。

 ちなみに私は以前にも遊んだことがあって、そのときはお兄ちゃんと一緒にやった。セカンドステージ到達前に兄妹そろって死亡して、二度とやらねーとか愚痴っていた気がする。ひょっとしなくても、ガンシューティングの魅力にとりつかれたのかもしれない。

「お腹すいたなー」

「神野、一時間くらい言い続けていないか。食欲旺盛すぎ」

「仕方ないでしょ。生理現象なんだから」

「それはいいけど、空腹を訴えるたび僕に視線を投げかけてくるのはどうしてなの」

「美味しそうだから?」

「怖……」

 二乃が私から一歩遠のいたけど、私がお腹をすかせているのは彼女のせいなのだ。

 彼女に合わせて、お昼ご飯を少なめにしたのが間違いだった。成長期なんだし、たくさん食べてもバチが当たることはないはずだ。今度からは遠慮などせずに食べたいものを食べたいだけ、食欲に任せて財布も心も軽く生きていこう。

「ね、何か食べに行かない? 映画を見る前に」

「いいけど、僕は神野ほど食べられないと思うよ」

「おやつだけに決まっているでしょ。晩御飯は二乃につくってもらうから」

 夕方に始まる映画を見に行こう、と話をしていたのに午前中に集まった私達には時間が余るほどあった。さっき見たアーティストが芸能人の誰それに似ていると話しながらフードコートへ向かって、入り口に並んだ店舗の看板を眺めて食べたいものを考える。

 お好み焼き、オムライス、から揚げ定食。どれも美味しそうだ。

 いや、今日は食べないから。二乃もいるし。

 二乃の希望でクレープを食べることにして、傍に置いてあった各店舗の情報が載ったパンフレットを手に取る。店先で注文を決めようとすると迷って時間がかかるから、後ろのお客さんを待たせたくない彼女は先に決めてからレジに並ぶらしい。即決即断、迷ったら全部頼んで食べてしまえばいいと考える私とは違うようだ。もしかして普通の女子高生はうどんと天丼のセットを、それぞれを特盛にしての注文はしないものなのだろうか。ふむう。

「よし、決めたぞ」

 ぐっと拳を握った二乃は、フードコートの端に居を構える店舗へと歩を進める。彼女が注文を決めるまで待っていた私も、その後ろをついていく。店員さんに話しかけられて、一瞬だけこちらを向いた彼女はカウンターに広げられたメニュー表を指差して注文を告げる。

「カスタードバナナ、お願いします」

 ここが彼女の萌えポイント。

 めちゃ恥ずかしがり屋だから、知らない人相手には声が小さくなるのだ。

「えっと、私はショコラオレンジで」

 後ろからぬっと顔を出して、私も注文を済ませてしまう。のんびりと、店頭で店員さんがクレープを作るのを眺めていた。

「僕、ここのクレープを食べるのは初めてかも」

「二乃は甘いもの好きでしょ、でも食べに来たことないんだ」

「ほとんど外では食べないからね。駅前に来る屋台のあれこれは食べるけど」

「あれこれって、例えば」

「焼きそばとかチョコバナナとか、うどん屋も来るよ。あ、ありがとうございます」

 おっかなびっくり、店員が差し出してくるクレープを受け取った彼女を横目に見ていると、私にもこんな時期があったんだろうかと物思いに耽りたくなる。まぁ、なかったんだろう。私は二乃と違って迷うことの少ない人間だから。不慣れ故の手際の悪さはあるだろうけれど、決心してから行動に移すまでの時間は短いのだ。そういうところを、自分の長所だとも思っていた。

 今は、どうだろう。

 私も商品を受け取った後、適当な席を見繕って座る。

 少なくないながらも人がいて、二乃はキョロキョロとあたりを見渡している。

「なに、珍しいものでも見かけた?」

「普段は来ないから、ちょっと新鮮な感じ」

「へー、そうなの」

「うん。実は――」

 二乃はショッピングセンターのフードコートを利用しないらしい。料理が上手だし、それも楽しんでやっているのだ。確かに来ることはないだろう、と考えていたら違う理由があるらしい。それを聞いて笑ってしまった。

「お会計が怖い?」

「だって、知らない人と意思疎通できるか不安じゃん」

「言葉が通じれば大丈夫でしょ。普段の買い物は? 店でも接客しているでしょ」

「仕事は別。生活に必須な買い物も別。もー、分かんないかな」

 分からないわよ、と言いたくなる言葉をクレープと一緒に飲み込んだ。

 嘘だけど。クレープを飲み込んだら言葉の方が飲み込まれた。

 ピンク色の包み紙を三分の一くらい破いて、また口をつける。もくもくと口を動かしていたら二乃が私のクレープを物欲しそうにみている、ような気がした。すっとクレープを脇にどけてみたけれど、彼女の視線は私の口元に残ったままだ。クリームがついているのかと指で触れてみても転写するものはない。

 首を傾げてみたら、二乃は何かを振りほどくように首を横に振った。どういうことだろう。

 分からないけれど、彼女の方からクレープを差し出してきた。

「食べる?」

「ん。貰う」

 差し出されたクレープに口をつける。カスタードとバナナがくどいほどに甘い。代わりに私のショコラオレンジを食べさせてあげたら、甘味に慣れた舌には酸っぱかったのか、二乃は口をすぼめた。

 それにしても彼女の食事ペースは遅い。ひとつひとつの動作が丁寧で、そしてもどかしく感じる。何もかもを一人で考えて過ごした少年時代が彼女を思慮深くさせたのだろうか。うん、適当なことを言っていたら支離滅裂な感じになってしまった。忘れよう。

「美味しいね、これ」

「次はあっちのどら焼きを食べに行くわよ」

「はやくない? 僕まだ半分は残っているんだけど」

「絶対、二乃が遅いだけ」

 というか、私以外の人類が遅いのよ。

 二乃の手を掴んで、残っていたクレープの半分をかじる。バナナは上半分を食べ終った時点でとっくになくなっていて、カスタードと生地の甘さだけが口に広がった。握った二乃の手首は私のより太く骨張っている。たくましいと表現するには頼りないけれど、女の子の腕と考えれば十分に筋力のある腕だ。

 でも、彼女は私に押し負ける。今回の場合引き負けると表現した方が正しいかな。気が弱いのが彼女の弱点であり、萌えポイントでもあった。

「まだ食べるの? ゲーセンでアイスも食べたのに。確か、お昼はうどんセットの大盛だったよね」

「爆盛以外は大盛じゃないの。それとも負けを認める?」

「負けって。大食い対決じゃ僕が負けるに決まっているんだけど」

「遠慮しなくていいから。むしろ食べろ。もっと食べなさい。食え!」

 無理だよと文句を言いながらも涼しい顔をしている二乃の口に、残っていたクレープを放り込んだ。食べるのが遅いだけで、彼女も意外とよく食べる。学校での弁当が総菜パンだけで足りているのが不思議だった。一味唐辛子の小瓶をカバンに入れて持ち歩いているのも不思議というか、やっぱりこの子は文世の友達なのだな。

 そういえば二乃がいない場所で桐嶋たちに聞いた彼女の印象は、不良という噂のわりにいい子、だった。素の表情が傍目に不機嫌そうなこともあって話しかけ辛いけれど、知り合ってみれば変なことを平然とやってのける面白いやつ、になりつつあるらしい。私も、そう思う。

 それがいいのだ。

「あんまり食べると、体調悪くなるよ。しかも急に来るからね」

「それは実体験?」

「小学校の時の、ね。あの時も大変だったなぁ」

 どこか遠くへ彼女の視線が飛んでいきそうになったのをみて、手を振ってみた。はにかみながら彼女は頬をかく。最近は少しずつ改善されているみたいだけど、対面で喋っている私の目を、彼女はあまり見ようとしない。シャイなのか、相手の反応を気にして喋る割に相手の目を見るのが苦手らしい。

 出会ってから半年が経った。少しずつ彼女の反応が変わっていくことに、言い表せない喜びを感じる自分がいた。丁寧で真面目なだけじゃない。適当なところも、拗ねて頬を膨らませるところも、私には大切な彼女の一部なのだ。そして、他の人にはめったに見せない一面を私にだけ見せていると感じた瞬間、湧き上がる何か。端的に言えば、そうだな。

 ぞくぞくする。

 背筋を這うような快感を求めて、私は今日も彼女の領域に踏み込んでいく。

「さ、行くわよ。どら焼きが食べたいの」

 給水所の近くのゴミ箱にクレープの包み紙を放り込んで、次なる目的地を指差した。

 私たちのデートは、まだ始まったばかりだ。

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