第23話 小テストと僕
「九月って皐月だよね、神野ちゃん」
「それは五月。小テストの正解は長月よ」
「げぇ! あたしとクド、赤点かも。二乃も神野も余裕そうでいいなー」
「文系科目は得意だし。昨日のお昼も四人で復習しただろ」
「宵越しの記憶は持たねェ。それが桐嶋様の生き様よォ」
ガハハと笑い始めた桐嶋だが、成績的にはあまり笑えない状態になっているはずだ。何事もなかったように赤点を回避しそうな工藤はともかくとして、本人曰く三回連続赤点の桐嶋は救いがない。教科担任の松崎も頭を抱えているだろう。
今日もお昼ご飯を四人で食べていた。神野の友人達とは無事に仲良くなってきる。
彼女達は僕の一人称が普通の女の子と少し違っている程度では眉を顰めたりしなかった。アニメとかで慣れているからだろうか。僕が小学生の時も一人称がワシの男の子とかいたし、案外探せばいるのかも。いや彼は高学年になったころには自称がワレとかになっていたような気も。……深く考えないようにしておこう。
「あの
「アレね。工藤が原作のゲーム持っていたんじゃなかった」
「うん。全ルート踏破済み。ネタバレ聞きたい?」
「やめろクド。それやったら戦争だからなお前」
今年のアニメは覇権争いがすごい、と息巻く彼女たちのアニメ談義を聞きながらマヨコーンパンに一味唐辛子を振りかける。全体が赤くなったところでかぶりつくと、程よい辛味が舌を刺激してくる。美味しいぜ。ありとあらゆる総菜パンには一味唐辛子をオプションで付けてほしいものだ。
右手でパンを食べながら左手をスカートのポケットに突っ込む。入っている箱の存在を確かめて安心感に浸った。困ったときはこれに頼ればいい、と思えばコミュニケーションも少し気楽にとれた。
原作履修者の工藤が初見の桐嶋の予想した今後の展開に耳を傾ける横で、僕は彼女達のお昼ご飯をのぞき込む。
神野の弁当は他の二人と比べて倍近いサイズがあった。近くに座っている運動部男子の弁当箱よりも大きい、と言えばそのサイズ感が伝わるだろうか。ピーマンとベーコンを炒めたやつ、卵焼き、冷凍食品のから揚げ、と味の濃いものが詰まっている。ご飯の量が多いからか、それとも彼女のお兄さんの好みだろうか。前に聞いた話だと、神野のお兄さんは苦手なものが多いらしい。材料を選ぶ時点で、出てこないのが確定するメニューとかもあるのだろうか。
なんかもったいないな、と思った。
桐嶋は神野とサイズこそ違うけれど、一応は同じ二段の弁当箱で、昨晩の残り物らしき総菜が入れられている。工藤は桐嶋よりも幅が広いが一段の弁当で、野菜とおかずしか入っていない。炭水化物を取らなくても元気でいられるのだろうか。身体の燃費がいいんだろうなぁ。
「あ、どうしよ。松崎の課題出してなかった」
「今日が締め切りだっけ。図書室行くついでに、職員室へ寄ってあげようか」
「マジ? 助かるー」
差し出されたピンクのノートを受け取る。工藤もカバンから水色のノートを取り出して、頭を下げつつ僕へ差し向けてくる。笑いながら、ふたつ返事で彼女の頼みも快諾した。
神野が食べ終わるのを待って、ちょっと重い手提げ袋を持ち上げる。神野は先々週、始業式の日に済ませていたみたいだけど、僕はまだ図書室から借りた本を返し終わっていないのだ。袋から伸びた紐を片方持ってもらいながら、ふたりで職員室へと向かう。
渡り廊下を進み切って、職員室がある側へと曲がったところで誰かが廊下へ出てきた。
「ちょうどいいところに。せんせー」
「ん? どうしたんだ」
職員室から出てきたのは松崎だった。すっとズボンに仕舞い込んだものはライターだろう。昼休みに限らず、学校の裏門付近にある喫煙所へと向かう教師の姿を目撃したことがある。何年か前に敷地内が全面禁煙になって以来、喫煙習慣のある先生たちは自身を慰撫するにも気を遣わなくちゃならない日々が続いているようだ。
タバコの匂いは吸わない人にとっては嫌悪感を抱かせるもので、特に女生徒は眉を顰める子も多いし。ほとんどの生徒から好かれている松崎も、鼻の利く子には苦手意識をもたれているようだった。
彼にノートを手渡して、事情を説明する。
「分かった。貰っておくよ」
「先生の机に置いておいた方が良かったですかね」
「いいよ。これ置いてから、また吸いに行けばいい」
「それじゃ、よろしくお願いします」
神野に釣られるように、僕も頭を下げる。そして、ポロリと。
煙草の箱が落ちた。
どこから? 僕の制服のポケットから。
先生の目の前で。
スカートのポケットからだぞ、どうして落ちたのだろう、とか。
何を考えることもできない。
想定していなかった事態に頭が白くなっていく僕をかばうように前に出て、神野が煙草の箱を拾い上げた。それが当然だというように僕のポケットへと問題の品をねじこんで、子供を諭すように肩を叩く。
「落としちゃダメじゃない。なくしちゃうでしょ」
「こら、待て。いかんだろ」
「二乃の家庭環境が少し複雑なのは、先生なら知っていますよね?」
僕と松崎の間に立ちながら、彼女は毅然とした態度のまま話し始める。
彼女の背中が、大きく見えた。
「担任になる際、多少は話を聞いたからな」
「それでは、彼女が親の仕事を手伝っていることも知っていますよね」
「居酒屋……みたいなところだと聞いたことがあるが……」
「そこのお客さんの忘れ物です。昨日の学校帰りに制服で店の手伝いをした後、拾ったものがポケットに入っていただけですよ。今日にはお店のカウンターに戻しますから」
ね? と神野は僕に同意を求めてくる。頷くしかない僕は首を縦に振った。松崎は不承不承といった顔をしているが、教師という立場にある以上は告げねばならない言葉、確認しなければならない状況もあるだろう。
「それだけか?」
「えぇ。間違いありません」
堂々と、滔々と、嘘偽りを言い放った。それが当事者の僕ではなくて神野から発せられた言葉だから、松崎も面食らったのを隠せないでいた。
先生は僕の過去も知っている。入学してすぐ呼び出しを受けたし、揉め事などを起こさないようにと指導も受けている。僕が危ないものを持ち歩いていた、みたいな話が言い伝えられていたようだし。僕に友達が少ない理由にも勘付いているだろう。
今でこそ彼は僕に対しても他の生徒と変わらず、良い先生であってくれる。けれど四月の頃に彼から向けられる視線は僕に対して敵対的な感情が込められていた。
でも松崎は何も言わない。
神野の行動と、僕には見えないその表情に、何かを感じ取ったのだろうか。
「仕事を手伝う前に着替えた方がいいかもな、二乃。こういうことがあるから。それと――」
松崎は困ったように首筋へ手を当てて、一言か二言呟いた。神野にしか聞こえなかっただろうその言葉に何か意味はあったのか、僕をかばう少女は小さく頷いた。松崎は肩から力を抜いて腕を下ろすと、深く溜め息を吐いた。
「今回だけだぞ?」
「はい。ありがとうございます」
お礼を口にする暇もなく僕は神野に手を引かれるまま、図書室へと引っ張られていく。彼女が手を放したのは、図書室に入って、本の返却を終えてからだった。本棚に囲まれた、いつもの場所で息をつく。カーテンから零れる光は少し弱い。曇っているようだ。
「ありがとう」
「いいのよ。事実だから」
じ、じ、つ、と強調するように繰り返して彼女は微笑んだ。
僕一人だったらあの場を切り抜けられていただろうか。最近は吸っていないんです、でもこれはお守りみたいなもので手放せなくて、と正直に話しても信じてもらえるか分からない。何より過去の僕は褒められた子供じゃない。鎖みたいに切れずまとわりついてくる過去を無視して話を進められたのは、きっと神野がいてくれたからだ。
「あの、神野。ひとつ頼まれてほしいことがあるんだけど」
お礼は態度と言葉。
そして、行動で示すことにした。
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