たこ焼き、上手に焼けますか?

倉石ティア

『青春電波』

第1話 垣間見た恋

 抱き合っていた。

 女の子同士が。しかも同級生の。


 黒い髪が綺麗な、やや背の高い少女が溜め息を吐いた。彼女は慣れたように、髪を茶色く染めた小柄な子の腰へ手を回す。優しく抱き留められた少女は背伸びして、体重を預けるように頭を寄せた。その唇が何かを呟いて、黒髪の少女が肩をすくめる。

 彼女達の関係を詳しく知らなくても、その親しげな雰囲気に察するものがあった。

 あぁ、なんて美しい――。

 柔らかな春の日差しに、カーテンがゆったりと膨らんでいる。

 猥雑な音が溢れかえる世界の片隅で、彼女達の時間は静かに抱き合っていた。

 茶髪少女は小さい頃から知っている相手、丹瀬たんぜ文世ふみよ。小動物的な愛らしさがあって、自分と比べて遥かに友達の多い人気者だ。ただしもう一方、黒髪の彼女とは話したこともない。一応名前は知っているし、クラスメイトだということも知っているけど、それだけだった。

 高校生になって二週間。まだ同じクラスの生徒達との距離もつかめていないのに、こんな場面に出くわすなんて。

「――」

 丹瀬がもう一人の名前を呼んで小さく背伸びをした。

 キス、したんだろうか。

 慌てて目を逸らしても想像で記憶が補完されてしまう。誰にもバラしてはいけない秘密を抱えてしまった、と身体が震えた。興奮なんかじゃないと断言できる。怯えているのだ、未知の事象に。十五年の人生は他人の恋愛事情を垣間見た場合に対応できるほどの英知を身に着けるには短すぎたようだ。

 とにかくここから逃げだしたい。徐々に鼓動の早まる心臓を無理矢理に抑えつけて心を落ち着かせる。友人の秘密を覗いてしまった罪悪感で押し潰されそうになっていた。

「ね、いいでしょ」

「ダメって言ったの、聞こえなかった?」

「えー、つれないなぁ」

 少女達の声が微かに聞こえてくる。休日の学校へと顔を出したのは宿題をするために必要な教材を教室に忘れたからだった。グラウンドを駆ける運動部の掛け声や特別教室から漏れ出してくる文化部の笑い声に舌打ちしながら、憂鬱な時間を潰す方法を考えていただけ、なのに。

「おねがいするニャン」

「なんで猫っぽく喋るの。可愛いとでも言って欲しいわけ」

「へへー、バレましたか」

 心臓は破裂しそうなほど勢いよく脈打っているのに、彼女達の会話は細部まで聞き取れる。いや、聞き取ろうとしているのだ。心とは関係なく、鼓膜には下卑た役割しかないと言わんばかりに。

 あぁ、教室に忘れ物なんかしなければよかった。声に立ち止まったりせず、躊躇なく扉を開けていれば事態は変わっていただろうか。彼女達の関係性について思いをはせてしまったが故に迷いが生まれる。行動への後悔が生まれる。無から生まれた後悔は僕の心に棘を残す。

 暖かな日差しが眩しい。彼女達は抱き合ったまま離れようとしない。

 彼女達を繋ぐ感情を妄想して、強烈な羨望に襲われた。

 続いて、ネバついた嫉妬にも。

 逃げたいのに視線は彼女達へと吸い寄せられる。いけないことだと分かっていても、覗き見る視線が外せない。彼女たちは抱き合ったまま何かを話しているようだった。丹瀬はこちらに背を向けていて表情を窺うことが出来ない。だが、もう一人は遠目にも分かりやすい。黒髪の彼女は拗ねたような、怒ったような、不機嫌としか表現しようのない表情をしていた。それでいて目元には信頼のようなものが浮かんでいて。

 あぁ、なんて綺麗な――。

 頭を振った。

 ここにいるべきじゃない、そんな感情ばかりが膨らんでいく。

 ゆっくりと腰を上げる。静かに立ち上がったのによろめいて扉に手をついてしまった。古びた木製の扉は軋んで、大きくはないけれど、ふたりだけの世界を壊すには十分すぎる程の音が響く。そして彼女達は振り向いた。

「誰かいるの?」

 丹瀬をかばうように立った、名前も知らない少女の声が背中に刺さる。

 忘れ物をなかったことにして脇目もふらずに逃げだした。

 これは最悪な、それでいて忘れがたい記憶になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る