『サンドポイズ』

第6話 約束と僕

 夏休みまで残り二週間になればクラスの雰囲気も緩んでくる。誰も嬉しくないし楽しくないし喜びもしない、苦痛と退屈だらけの定期テストを乗り越えた後だから余計楽しみに感じるのだろう。テストの結果も順番に返ってきて、クラスメイト達は様々な感情を膨らませていた。

 時間割の都合で未返却のものもあったけれど、目下の関心は一人の少女に集まっている。その子は僕の隣の席で友達に囲まれながら幸せそうな顔をしていた。

「おめでとう、丹瀬さん」

「いやぁ、たまたまですよぉ」

「嘘でしょ。ふみちゃん頭いいもんなー」

「そんなことないですよ、うひひ」

 友人達の褒め言葉を全身に浴びた丹瀬の奴、めちゃ嬉しそうな顔だな。

 彼女は、テストの合計点が学年でトップだったそうだ。特に掲示板へ成績が貼り出されたりはしないけど、担任の松崎が教えてくれたのでクラスの全員が知っている。そして彼らを介して学年全体に丹瀬という少女が首席だと知られていくのだろう。

 テストの点数に意味はない。学校の成績も社会に出た後は過去の記録のひとつとして引き出しの奥に仕舞われるのみだ。けれど、やがて無意味になることに一喜一憂できるのも幸せなことだった。

 何でもないことで友達と笑い合える。それは楽しくて、羨ましいことだ。

 賑やかな空気が苦手な僕は自然と押し出されるようにして丹瀬の傍を離れる。小説を盾にしても自分の世界に閉じこもれなかった弱虫だけど、許してくれ。まだ昼休みのたいくつな時間は残っているのだから。

 退屈をすり潰す為に脚を向けた先は図書室だった。

 新作ラノベについて歓談しているオタクグループと、そこから離れた位置に座る静かな読書組がいた。どちらにも向かわずに本棚の森へと足を踏みこむと、神野がハードカバーの小説を前に品定めをしていた。

 せっかく友達に会えたのだから、と精いっぱいに気さくな挨拶をしてみる。

「よっ。かーみの。何してるの」

「仁乃も来たのね」

「ん。教室が賑やかだったから」

 耐えられなくて逃げてきました、と言外に愚痴を零してしまった。神野は笑うでもなく、そう、と小さく頷くだけだった。話したいこともなくて静かな時間が過ぎて行く。確かフランス語で、天使の通り道になった、とか表現するのだっけ。

 僕に背を向けた彼女の後ろに並んでみる。春先に気づいていたけれど、僕よりも彼女のほうが高身長だった。ほんの数センチのことだけど、なんか負けたみたいな気分になる。くそぅ、丹瀬と背比べをしたときは常勝無敗だったのになぁ。

 神野は海外作家の小説が並んだ本棚に手を伸ばしたまま、背表紙を軽く指で叩いていた。彼女もよく小説を読んでいるけれど、どんなジャンルの本が好きなんだろう。ハードカバーの小説をよく持ち歩いているし、図書館で本を借りるよりも本屋で購入したらしき本を読んでいることの方が多い印象だった。

 話題探しのために彼女から視線を逸らすと、ラノベについて喋っていたグループから一際大きな笑い声が聞こえる。神野がふっ、と鼻で笑った。

「図書館では静かに、なんてルールも形骸化しているようね」

「重苦しい沈黙よりは、眠気の取れる笑い声のほうがいいよ」

「興味のない第三者にとっては、過度な歓談も閑散も気に障るものよ」

「まぁ、それも分かるけど」

 つまんねー、と言いかけて口をつぐんだ。

 災厄のタネをばらまくのは得策じゃない。

 雰囲気で伝わったのか神野は腕を組んで睨み付けてきた。今日は何もしてないぞ、怒らせるようなことも絶対にしていないからな。悪魔に誓ってもいいぞ、と言い訳を重ねる。彼女は何かを言いかけると、すぐに頭を振った。むすっとした表情で差し出してきた手を意味も分からず握り返すと、僕の頬を思い切り抓って来た。超痛いんだけど。

 何が正解で、どうすれば褒めてくれるんだ。

「仁乃。スマホ出してよ」

「どうして」

「いいから出しなさい。もっと痛いことするけど、いいの」

「やめてくれよな……ほれ」

 言われるがまま胸ポケットから取り出したスマホを、神野はむしるように奪っていった。電源を入れたけれどロックが掛かっていたから、解除した後に再び手渡してあげる。何をするのかと見ていたら、連絡先を交換したかったようだ。

 ……わぉ。

「はい、返す」

「言えば普通に教えたのに」

「いいのよ、これで」

「どうして」

「同じ質問を繰り返す子供は成長しないわよ」

 返答に困って天井を仰ぐ。図書室の天井は綺麗なものだった。

 油汚れも、シミもない。真っ白な塗装は蛍光灯を薄く反射している。

 しかし、うわぁ、友達相手に言うのか。頭に浮かぶ台詞はキザっぽいものばかりで恥ずかしくて耳から火が出そうだ。佐天みたいに上手な人付き合いがしたいんだけどなぁ、ナチュラルに青春小説の主人公っぽい言動の出来る奴でありたかったぜ。

「神野、聞きたいことがあるんだけど」

「どうぞ。はーちゃん」

「その呼び方やめてよ。あぁ、えっと、それで」

 友達付き合いは最初が肝心だ。深く知り合った後なら多少の歪みも矯正できるけれど、最初からズレた関係は長く続かない。友人とはいえ頼み事を断られるのは心臓が絞まるものだ。

 ここは慎重に言葉を選ぼう。

「そろそろ夏休みだね」

「そうね。長くて退屈な夏休みが始まるわね」

「退屈? 神野は親の手伝いとかしないの?」

「仁乃はするの? 家、たこ焼き屋さんだもんね」

「お小遣い貰えるし、超真面目なんだなぁコレが。……迷惑かけたくないし」

「ふーん。学校はサボるのに?」

仮病でのずる休み、まだ片手で数えられる程度じゃん。あんまり傷つけないでくれよ」

 繊細なんだぞ、僕は。

 返事こそ味気ないが神野は僕との会話に興味がない、わけでもないようだ。続く言葉を待っているのが分かる。なぜと聞かれても明確な答えを示せるわけじゃないけれど、彼女は僕に何らかの期待を寄せているようだ。

 彼女は本棚にもたれかかって口を横一文字に結ぶ。僕の動向をうかがったまま、向こうから話を進めるつもりはないようだ。なんて酷い奴なんだと愚痴を零しつつ、ちょっとでも彼女と仲良くなりたい僕は言葉を探し続けるしかない。

 友達でありたい。

 そんな相手へ向ける言葉と言えば、ひとつだけだ。

「夏休み、どこかへ遊びに行こう!」

「普通すぎる。それじゃ誘い方として失格よ」

「えぇ……マジでぇ……」

 言葉を発した途端に予期できないほど適切で無慈悲な切り返しが来て、もはや立ち直れそうにない。一瞬で気勢をそがれたんだが僕はどうすればいい? 匿名掲示板でアンケートをとってみるか。くぅ、凹んだ僕をみて神野はニヤついているし。

 鬼かよ。

「どう誘えば満点なんだい」

「仁乃には教えない。……そうね、テストで勝負しましょう。私の方が成績よかったら、終業式の日にたこ焼きをご馳走して頂戴。その時に、改めて遊びの予定を立てればいいわ」

「いいけど、僕が勝ったら?」

「美味しいクレープを奢ってあげる」

 やけに自信満々だけど、まぁ、その程度の勝負なら文句なく受けて立とうじゃないか。テストは難しいものじゃなかったし、現代文と古典は学年に三人きりの満点だった。学年主席であることが分かっている丹瀬以外の生徒はまだ自分の総合得点を知らないのだし、勝敗の分かっているものを賭けの題材に選んだりはしないだろう。

 だって、つまらないから。

「ってか、それならテスト前に誘えばよかったね」

「どうして」

「もっと真面目に勉強したから」

「たられば、の話ね」

「んだコラ。絶対に僕の勝ちだからな、覚悟しとけよ」

「はいはい」

 ふっと表情を和らげた彼女は肩を竦めた。

 そして昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。教室へ戻るために一歩前を歩いていた彼女が振り返って、人差し指で僕の胸を小突いてくる。

「今の受け答えは三十一点。ギリギリで赤点回避、ってところね」

「…………ソウデスカ」

「今回は大目に見てあげる。たこ焼き、楽しみにしているから」

 僕が負けることが前提なのか。なんか悔しいな。

 涼やかな顔をして教室へ戻っていく神野の後を、離されないようについていく。

 彼女のことがよく分からなくないまま、友達としての付き合いを続けている。同性の同級生と抱き合っていたとか、キツめの冗談は平気で口にするのに連絡先を交換する程度のことは恥ずかしがることとか、僕の理解の範疇には収まらない人だった。

 去年よりも夏休みが楽しくなりそうな予感がして、胸の高鳴りを隠せないでいる。彼女は普段、どんなことをして時間を潰しているのだろう。退屈で苦しい時間をどうやって乗り越えているのだろう。読書だけ、ってこともないだろう。

 あぁ、妙な妄想をしそうな自分を諫めなくては。

 丹瀬以外の友達と過ごす夏休みが初めてだってことを思うと、気分が高揚するのを抑えられなかった。僕って本当、単純な奴みたいだ。

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