瑠美と裕樹

 織田さんのプレゼンは圧巻の内容だった。


 とても今日の朝に代役として引き受けたとは思えない程、完璧な内容。途中に資料など見る事もせず、時々冗談を交えながら、スラスラと商品を説明していく。長所だけを一方的に伝えるのではなく、他社製品より劣っている面を隠すことなく話し、それでも最後はコストを含めた総合力で確実に上回ると説明する。プロジェクターや実演なども効果的に挿み、聞いているバイヤー達を飽きさせない。


 私はその都度、小声で指示される通りに動けば、自然とプレゼンが終わっていた。成功はバイヤー達の顔を見れば明らかだった。


「素晴らしいプレゼンでした! 大成功間違いなしですね」


 私は次の会社に向かう車に乗るとすぐ、興奮を抑えきれずに、織田さんに感想を伝えた。


「大げさだな、褒め過ぎだよ」

「褒め過ぎじゃありませんよ、あんな完璧なプレゼン初めて見ました」

「ありがとう。素直に嬉しいよ」


 織田さんのまんざらでもない様子が、前を見て運転していても伝わってくる。


「今日はもう一社プレゼンするから、明日からは君に頼むよ。コツは食事の時に教えるから」

「ありがとうございます。勉強になります」


 私は心からお礼を言った。あのプレゼンのテクニックを教えてもらえるなんて、無料では申し訳ないくらいだ。


 次のプレゼンも同じく素晴らしい出来だった。いや、前回より慣れて、私も次の準備を手際よく用意出来た分スムーズに運べた。


「お疲れさまでした」


 今日の予定が終わり、会社近くまで帰って来た時にはもう午後七時前になっていた。織田さんの希望した居酒屋風レストランに入り、私達はウーロン茶で乾杯している。


 メニューは私の希望を聞きつつ、織田さんが適当に頼んでくれた。何事にも手際の良い人だ。


 料理が運ばれてきて、それを頂きつつ、織田さんは仕事に関する知識を熱く語ってくれた。会社の事、製品の事、仕事全般に関する事。一々、勉強になる事ばかりで、私はスマホでメモりながら聞いていた。


 こちらから質問しても、面倒くさがらずに、丁寧に教えてくれる。もしかして、口説かれたりする事もあるかもと少し警戒心があった自分が恥ずかしい。彼にはそんな気持ちなどなく、純粋に仕事を愛しているのだろう。


「支払いはカードで」


 食事も終わり、レジに行くと、織田さんは何も言わずに自分で支払いを始めた。


「あっ、ここは払いますよ。これだけ勉強させて頂いて、食事まで奢られるなんて、申し訳なさ過ぎます」

「いや、俺が誘ったんだから、俺が払うよ」

「いや、それでも」

「じゃあ、明日からは出してくれないか?」


 そこまで言われると、私も引き下がるしかない。


「ご馳走さまでした」


 店を出るとすぐ、私はお礼を言った。


「駅はすぐそこなんで、ここからは歩いて帰るよ。明日会社に迎えに来てくれた時に、他の製品の資料も用意しておくから」

「何から何まですみません。本当に助かります」

「なに、特約店の営業が力を付けるのは、会社の為にもなるからな。遠慮はいらないよ」


 私はもう一度頭を下げて、織田さんと別れた。三年間の記憶を失って不安な一日だったが、織田さんのお陰で上手く切り抜けられた。後は帰って、明日の為に勉強しなきゃ。



 実家近くのコインパーキングに社用車を駐車し、私は今日もここに帰って来た。


「ただいま」

「ああ、瑠美、お帰りなさい」


 私が帰ると、珍しく母が玄関まで来て出迎えてくれた。


「今日のお昼に、義人君が家に来たのよ。夜は仕事があるからって」

「そうなんだ」


 もう父が帰っているのだろう。母は奥を気にしながら、小声でそう言った。


「あんた、着信拒否にしているんだって? これを渡してくれって頼まれたの」


 母はそう言って、飾り気のない白い封筒に入った手紙を渡してきた。


「あなた、記憶を無くしたかも知れないけど、結婚してから義人君と上手くやっていたのよ」

「うん……それも分かってる。でも、もう少し考えさせてくれない」

「うん……」


 母は納得はしていないような表情ではあったが、頷いた。


「ありがとう」


 母に心配を掛けて申し訳なく思う。でも、今は義人のアパートに戻る気は無い。それは彼が女の子と連絡を取っていただけが理由では無かった。


 奥に行き、リビングでテレビを観ている父に「ただいま」と帰宅の挨拶をした。上機嫌の父は私といろいろ話したがったが、お風呂に入るからとやんわり拒否。今は義人の事が話題に出たら煩わしいと思っていたから。


 二階の自分の部屋に上がり、義人からの手紙を机の上に投げ出す。逃げていても仕方ない、ちゃんと向き合わないとと思うのだが、すぐに読む気にはなれない。とりあえず、お風呂に入って、気持ちをリフレッシュしたかった。


 一人で湯船に浸かっていると、記憶を失ってからの事がいろいろ思い出される。

 目を覚ましたら、義人のアパートに居た事。義人と結婚していたのは事実だった事。


 私はなぜ、義人と結婚する気になったんだろう。浩司君が、私がお見合いをすると義人に言いに行ったらしい。結果的には浩司君が私達の仲を取り持つ形になったのだ。その時の自分の気持ちを考えると胸がズキンと痛む。私は憂鬱になり、それ以上考えるのをやめた。


 お風呂から上がり、部屋に戻って机の上の手紙を手に取る。意を決して、ペーパーナイフで封を開けた。


(瑠美へ

 バイトの女の子とふざけたラインしていたのは、本当に悪かった。反省してる。でも、信じて欲しい。裏切る気は全く無かったんだ。

 会って話がしたい。お願いだから、ブロックだけは解除して欲しい。

                                    義人)


 シンプルな内容で良かった。いろいろ悩まないで済む。書いて有る事は、きっと本心だろう。


 私はスマホを取り出し、義人のブロックを解除してラインを送った。


(手紙読みました。

 女の子とのラインは、もう怒っていません。その件に関しては義人を信じます。

 ただ、気持ちを整理したいから、時間をください。ブロックは解除しますが、会えるようになったら、私から連絡します。

 我儘言ってごめんなさい。)


 すぐ既読になり、返信が返ってきた。


(分かった。信じて貰えただけでも嬉しいよ。

 瑠美の気持ちが落ち着くまでは待つよ)


 私は(ありがとう)と返した。


 なにか解決した訳ではないけど、少し心が軽くなった。


 記憶が戻れば楽になるのだろうか? 笑って義人の傍に居る自分が、今は想像出来なかった。

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