幸田義人

幸せな義人と瑠美

「カンパーイ!」


 俺と瑠美は自宅アパートのダイニングテーブルで向き合い、グラスに注いだビールで乾杯した。テーブルの上には俺が作った豪華な料理が並んでいる。2DKと小さなアパートだが、俺たちは幸せに暮らしていた。


「明日からの土日はちゃんと休めるんだろうな」


 俺は瑠美に確認するように訊ねる。


「大丈夫。ちゃんと仕事は一段落ついているし、せっかく義人がシフトを調整して土日休みにしてくれたんだから、何があっても仕事には行かないよ」

「そうか、せっかくだからどこかに遊びに行こうか。旅行は無理だけど、日帰りならどこでも良いよ」

「そうだな……まあ、日曜はどこかに行くとしても、明日は家でゆっくりしたいかなあ……」


 瑠美は甘えた声でそう言った。


「じゃあ、明日はまた御馳走作ってやるよ。瑠美が好きなキノコのパスタとクリームシチューとか」

「本当に? 嬉しいな……」


 そう言って瑠美は立ち上がり、椅子に座る俺の後ろに回ってきて頭を抱き締めてくれた。


「私、本当に幸せだよ。義人と結婚してこんなに幸せになれるって思っても無かった。ありがとう」

「まだまだ、これからだよ。もっと良い旦那になって幸せにするからな」


 俺も立ち上がり、瑠美を抱きしめる。


「ううん、今でも義人は十分に良い旦那さんだよ。料理もこんなに上手だし」


 瑠美も俺を抱き締め返す。幸せそうな瑠美を見ていると、俺は少し良心が痛むのを感じた。


 実は最近、俺は職場であるファミレスの、ユミというバイトの女子大生と頻繁にラインで連絡を取っている。まだ浮気どうこうの関係までは行っていないが、誘えば落とせるだろう。もちろん、俺は浮気をするつもりはない。こうやってバイトとコミュニケーションをとる事は仕事を円滑に進める上で大事だからしているだけだ。そりゃあ、女子大生を抱けるなら嬉しい事に間違いないが、一番大切な存在は瑠美である。それを失うリスクを考えると、絶対に手は出さない。だが、この事を瑠美が知ったらショックを受けるだろうから、隠し通さねば。


「明日からの休みが楽しみだな」


 俺はもう一度強く抱きしめた。


 と、その時、幸せいっぱいの俺たちの仲を邪魔するように、瑠美のスマホの呼び出し音が鳴る。


「もう、こんな時に」


 メールかラインだったら無視しただろうが、電話だった為に瑠美はスマホを手に取った。


 相手は仲の良い会社の同僚だったようだ。


「どうしたの? 電話なんて珍しいわね……うん、勧められたから、今でも使ってるよ。あれ、凄く良いよね……えっ? テレビ? うん、分かった、連絡する」


 瑠美は電話を切るとリビングに行き、リモコンでテレビの電源を点けた。


「何かあったのか?」


 瑠美の様子が気になりそう尋ねた。


「あ、ごめん。会社のヨリちゃんからの電話だったんだけど……」


 瑠美の説明途中で、テレビに臨時ニュースが流れる。「スキンクリア」の副作用の報告記者会見の様子だった。


「これ、瑠美も使ってたやつじゃないのか?」

「そう、ヨリちゃんに勧められて使ってたんだけど……」


 俺たちは深刻な表情で「スキンクリア」のニュースを見つめていた。


「何か異常は感じないのか?」


 ニュースが終わるとすぐに俺は瑠美に訊ねた。


「うん、全然。いつもと何も変わらないよ」

「まあ、記憶障害になる確率は低いみたいだしな」

「そうよね。心配し過ぎは良くないわ」


 瑠美はそう言うと、ヨリちゃんに電話すると言ってスマホを操作した。そんな瑠美の姿を眺めて、俺は何とも落ち着かないような不安を感じた。


 三年間の記憶か……。


 三年前と言えば、まだフリーターでいい加減な生活を送り、愛してもいない愛佳と同棲していた頃だ。その後、瑠美がお見合いをすると聞いて焦った俺は、愛佳と別れ、ちゃんと就職して瑠美の信用を勝ち得た。だが、もし瑠美が記憶障害を発症したら、俺を信用している記憶が失われてしまうかも知れない。それが不安だ。


 まあ、心配し過ぎるのも良くないか。せっかく二人切りの週末なのに暗い気持ちだともったいない。記憶障害になる確率は低いんだしな。


 俺はニュースの事を忘れて瑠美との夜を過ごした。



「私、どうしてここに居るの?」


 次の日の朝、俺は瑠美の驚く声で目覚めた。


「どうしたんだ?」


 俺は寝ぼけた状態で、横にいる瑠美に声を掛けた。瑠美は布団の上で体を起こしていて、不安そうな、どこか虚ろな表情で俺を見る。


「義人……私どうして義人と寝ているの? ここはどこなの?」

「えっ?」


 俺は瑠美の問い掛けの意味が分からず、体を起こした。


「なに言ってんだよ。ここは俺達の家だろ」

「俺達の家ってどういう事よ。ああっ……なんだか頭が重い……」

「おい、大丈夫かよ?」


 瑠美が頭を抱えて苦しみだしたので心配になってきた。俺は布団を抜け出し、頭痛薬と水を瑠美に持って行く。


「頭痛薬飲めよ」

「ありがとう」


 瑠美は薬を受け取り、水と一緒に飲み干した。俺は瑠美の額に手を当てる。特に熱がある訳ではなさそうだ。


「頭が重くて、昨日の事とか思い出せないんだけど、ここはどこ? なぜ私はここに居るの?」

「お前まさか……」


 焦点の合っていない目つきで話す瑠美を見て、俺は昨日のニュースを思い出した。もしかしたら、瑠美は記憶を失ってしまったのか?


「瑠美、お前、俺と結婚したのを覚えているか?」

「ええっ、結婚? 冗談やめてよ。もしかして、私を酔わせて、自分のアパートに連れ込んだんじゃないでしょうね」

「マジかよ……」

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