エピローグ
エピローグ
愛佳がマンションに戻って来てから半年が過ぎた、二月の寒い土曜日。僕は織田さんに、例の「橋」に呼び出された。
「橋」の一件の後、僕は織田さんに何度も直接謝りたいと申し出ていた。だが織田さんからは、来なくて良いと断られていた。今日会ったらちゃんと謝らないと。
僕が自分の車で到着すると、橋の手前に織田さんの車が路上駐車していた。交通量も多くなく、駐禁の取り締まりも来ないので、僕も後ろに停めて橋に向かう。
橋の歩道の中間地点で、織田さんは下をのぞき込んで高速道路を見ていた。
「こんにちは!」
僕が近寄って声を掛けると、織田さんは「おう」とこちらに向き直った。黒い革のコートの下にも服を着込んでいるのか、元々ガッチリとした体格が、さらに重厚に見えた。
緊張してここに来たが、織田さんは怒っている様子は無くむしろ穏やかな表情をしている。
「あの、すみませんでした! 一度ちゃんと謝ろうと……」
「良いから、悪いな、わざわざ来てもらって」
織田さんは僕の謝罪を遮って、そう言った。
「どう、奥さんとは仲良くやってる?」
織田さんは笑顔でそう聞いてくる。僕は少しホッとして緊張が解けた。
「ええ、おかげ様で。結婚した当初より、なんだか夫婦って感じがしますね。僕も余裕が出てきたので、愛佳の好きなようにやって貰ってます。彼女、案外尽くすタイプなんですよね」
「おいおい、のろけかよ。やってらんねえな」
僕は調子に乗り過ぎたとハッとしたが、そう言いながらも織田さんは笑顔だった。
「幸田さんも仲良くやってるみたいだな。仕事でちょくちょく会うんだよ」
「ええ、あれから四人で食事した時があったんですが、こちらが恥ずかしくなるくらいラブラブでしたよ」
「そうか……みんな幸せになって良かった」
「織田さんのところが一番幸せじゃないですか。友里さん順調ですか?」
友里さんはあれからすぐ退社して、今は妊娠している。
「うちの会社も育児休暇はしっかり取れるので、友里さんなら、辞めずに戻ってくると思っていましたよ」
「俺も本人が仕事を続けたいなら辞める必要は無いと思ってたんだがな。言葉にはしないが、仕事を辞めて俺に尽くすことで罪滅ぼししたいみたいなんだ。身重で大変なのに、頑張り過ぎで心配するぐらいだよ。
記憶を取り戻してない時点で、今の友里は別人だし罪があるとは思ってないんだけどな。しかもそれを望んだのは俺自身だし。まあ、お金に困っている訳じゃないから、本人が納得するようにするだけだよ」
「すみません。俺の所為で……」
やはり俺の軽率な行動で織田さんを傷付けてしまったんだ。なのに調子に乗ってのろけ話など呑気にしてしまった。
「友里に関しては謝らなくて良いぞ。もう夫婦の問題だし、実際今は俺も幸せだからな」
「ありがとうございます」
「お礼を言うのはまだ早い。俺とお前のケジメはついてないからな」
「えっ?」
そう言うと、織田さんは足元に置いた鞄から、何やら取り出した。よく見ると、格闘技用のグローブみたいだ。
「ちょ、それなんですか?」
「まあまあ」
織田さんは曖昧に答えて、グローブを手にはめる。そしてまた、鞄から何かを取り出す。
「ちょっと眼鏡を外して、預かるよ。それで、これを口に咥えてくれよ」
織田さんは手にマウスピースを掴んで、僕に差し出す。
「ちょっと待って! 何するんですか? 冗談ですよね」
「ケジメをつけるって言っただろ。俺とお前の落とし前はついていないんだ。これでチャラになると思えば、安い物だろ」
そう言って織田さんは僕の眼鏡を外して、マウスピースを口に押し込んできた。
「ひや、たうけて……」
「ほら、目を瞑って、歯を食いしばって」
「うううう……」
僕は目を力一杯閉じて、同じくらい一生懸命歯を食いしばった。突然の事に驚きと恐怖で涙が出てくる。体格の良い織田さんに殴られたら、酷い事になりそうだ。
「さあ、行くぞ、首に力を入れて、衝撃に備えろよ」
「うう……ひゃめて……」
僕が恐怖に震えていると、ブハハハーと織田さんの大きな笑い声が聞こえた。
僕が恐る恐る目を開くと、織田さんがスマホ片手に、大笑いしている。動画を撮っていたようだ。
「何やってんですか?」
僕はマウスピースを外して、震える声で尋ねる。
「ほら、これ見てみろよ」
織田さんが差し出した、スマホの画面に、涙を流して、歯を食いしばる僕の姿が映し出されている。
「酷いじゃないですか!」
「まあ、怒るな。これで勘弁してやるんだから」
「織田さん……」
織田さんは笑っていたが、愉快な笑顔ではなく、どこかしょうがないと言う諦めた表情に見えた。織田さんなりに気持ちを納得させたかったんだろう。本当に申し訳なく思った。
「ありがとうございます」
僕はなぜか「すみません」より「ありがとうございます」の方が適切だと思った。織田さんの大きな心に尊敬の念が湧いたからかも知れない。
「じゃあ、行くか」
「はい」
僕たちは車に向かい歩き出した。
「今度、飲みに行くか?」
「はい、喜んで」
「子供産まれたら奥さんと見に来いよ」
「はい、それも喜んで」
僕は織田さんが友里さんの旦那さんで良かったと思った。尊敬する憧れの人が幸せになれると感じたから。
了
作者より。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
次回作もまたよろしくお願いいたします。
三年前も愛してる 滝田タイシン @seiginomikata
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