浩司との話し合い

 昨日話していた通りのグレイのスーツ。痩せた眼鏡の、気の弱そうな二十代半ばの男だ。


 別にイケメンでもないし、体格は貧弱。オドオドした態度から見て、仕事が出来るイメージは無い。何一つ俺が負ける要素は無いと思った。


 津川は入店するなり、キョロキョロと店内を見回し俺を探していた。奴がこちらを見るのに合わせて、小さく手を上げると気が付いたようだ。


 津川は、出入り口の位置から五メートル程の俺の席まで、ペコペコと何度も頭を下げて近づいてくる。その卑屈な姿が俺をイラつかせる。


「あ、あの……初めまして。あの……津川浩司です」

「織田裕樹です。どうぞ」


 俺は目で向いの席に座るように促した。


「あ、あの、本当にすみませんでした」


 津川は自分もコーヒーを頼むと、テーブルに両手を着いて頭を下げた。


「頭を上げてください。謝って済む問題じゃ無いんです。とにかく先に事実関係の確認をさせてください」

「は、はい……」


 津川の卑屈な態度で、俺は精神的に楽になった。完全にこちらが優位な状況で話せそうだ。


「この話し合いは録音させて貰いますが、良いですね?」


 問い掛けてはいるが、嫌とは言わせない。そう言う気持を込めて俺は話した。


「えっ……その、録音しなきゃ駄目ですか?」

「そりゃそうでしょ。後で言った言わないで、水掛け論になりますから」

「そ、そうですね……」


 津川は録音には抵抗がありそうだったが、俺に逆らって断る勇気も無いようだ。


 しかし、友里は何が良くてこいつと浮気したのか? もしかして、滅茶苦茶性欲が強いのか? でもそれは一回してみないと分からない事で、回数を重ねる理由にはなるが浮気を始める理由にはならない……。


「それではまず関係を持った日を全て教えて下さい」


 この質問の答えは、三回とも全てラインで判明し、尚且つ友里にも確認しているので、俺は把握している。津川が嘘を吐くかどうか? または俺が把握している日以外にも関係を持った事があるか? それが知りたかったのだ。


「えっ? あ、あの、日付まではちょっと……」

「スマホの中を見れば分かるんじゃないですか? ちゃんと嘘を吐かず、全ての日を言わないと請求する慰謝料の金額が変わりますよ」

「慰謝料! で、でも、友里さんは自分が払うと……」

「それはまだ決まった事では無いですよ」


 俺がそう言うと、津川は慌ててスマホを操作し、三回の日時を答えた。日付と回数に間違いは無い。浮気が判明してから、友里と口裏合わせの連絡は取っていないので、信用出来るだろう。浮気に至る経緯や状況なども訊ねたが、スマホから得られた情報や友里の証言と違いは無く、嘘を吐いて誤魔化すつもりはなさそうだった。


 後は二人の気持ちを聞きたいのだが、友里については何も聞けていない。謝罪すら無かったのだから、俺に対して悪いと言う気持ちは無かったのだろう。


「もし、私達夫婦が離婚して、妻が独身に戻ったとしたら、あなたも離婚して妻と再婚するつもりなのか?」


 今のところ俺は離婚するつもりは無いが、津川の気持ちも聞いてみたかった。


「あ、それはその……もし、私が離婚したとしても、奥さんはその……再婚してくれないと思います」

「それはどういう意味だ?」

「奥さんはその……私に対して、あの……恋愛感情は無かったと思います」


 確かに友里はこいつと再婚するつもりはなさそうだった。津川自身もそれは感じていたのか。


「妻はそうだとして、あなた自身はどうなんだ? 奥さんとは別れて友里と再婚したいのか?」


 話が進むに連れ、感情が抑えきれなくなってきて、俺の声も棘が出てくる。


「い、いや……今のところ私達夫婦は別れるつもりは、その……ありません」


 津川は後ろめたいのか、視線を落としてそう言った。


「別れるつもりは無いってどう言う事だ? 妻との関係は遊びだったって事か?」

「い、いえ、そんな、遊びだなんて……」


 津川は言葉が続かなくなり下を向く。そのウジウジした態度が余計に俺を苛立たせる。


「責任を取るつもりも無く関係するのが、遊びじゃなきゃ何なんだ?」

「ひ、必要だったんです! 言い訳にしかならないかも知れませんが、必要だったんです。俺にも……多分友里さんにも……僕なんかを相手にするぐらいだから……」

「なっ……」


 顔を上げて真剣な眼差しで訴える津川に、俺は言葉が出なかった。


 こいつの事情は知らんが、友里にとっても必要な事だったと言われると、思い当たる事が無くは無いので返す言葉が見当たらなかった。


「浮気をしないといけないくらい、俺が友里を追い詰めたとでも言いたいのか?」


 俺は絞り出すような気持ちでそう言った。


「い、いや、すみません、言い過ぎました。必要だったなんて勝手な言い方、された人に言うべきではありませんでした」


 津川の申し訳なさそうな顔からして、本当にそう思っているようだ。


「あ、あの……私が聞ける立場じゃないかも知れませんが、奥さんと離婚されるんですか?」

「もし、離婚すると言ったらどうするんだ?」

「あ、いや、責任感じるなって……」

「馬鹿か、お前は! 離婚する、しないに関わらず、やった事に対して責任を感じろよ。お前全然反省してないだろ!」


 腹が立って、つい大きな声を出してしまった。周りが何事かとこちらを注目している。


「す、すみません……」


 津川がこれ以上出来ないくらい小さくなって謝る。


「離婚もやむなしかと思っていた。俺はしたくは無かったが、友里の気持ちは離婚以外は考えていなかったから」

「そんな、友里さんは……」

「まあ、聞けよ」


 俺は津川の言葉を制した。


「『スキンクリア』のニュースを知ってるか?」

「あ、はい、三年間の記憶が無くなる薬害ですね」

「あれが原因で友里の記憶が無くなった」

「ええっ……じゃあ、浮気の事も……」

「ああ、覚えていない」


 津川は驚いた顔で俺の顔を見続けている。


「浮気の件で話し合いをしていて、結論が出ないままに記憶を失ってしまったんだ。今は夫婦仲が良かった頃の友里に戻っている」

「それじゃあ、離婚の話し合いは……」

「離婚の話どころか、友里が浮気した事すら話していない。まだどうするか、俺自身考えあぐねているんだ」


 津川は不安な表情を浮かべて、俺の言葉を待っている。友里の記憶が無くなった事が自分の責任に対してどうなるのか気になっているのだろう。


「取り敢えず、今のところ浮気に関する話は保留にする。その上であなたに二つの事を要求する」

「二つの事ですか……」

「友里に浮気の事実を知らせない事。友里に知らせるのは、俺が判断して、俺の口から言う。だから絶対に浮気の事実は隠し通せ。もし、どんな形にせよ、友里が浮気の事実を知った場合はお前から聞いたと判断する。その場合は慰謝料等絶対に妥協しない。必ず地獄に叩き落としてやるからそう思え」

「は、はい……」


 俺の脅しが聞いたのか、津川は泣きそうな顔をしている。

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