津川愛佳

愛佳の思惑

 午前十一時。私は今、愛する人(義人君)の為にハムエッグを作っている。昨日、邪魔者(瑠美)は上手く排除出来た。後はまた昔のように、義人君と一緒に幸せに暮らしていくだけだ。


 義人君に振られ、諦めて浩司君と幸せになろうと考えていた時もあった。でもダメだった。浩司君は確かに優しい。でもそれは相手の都合など考えない一方的な押し付けの優しさだ。そう、パパと同じ。私が意思の無いペットだと思っているのだろうか? あの二人の優しさは私にプレッシャーを与える。失敗が許されないのだ。失敗すれば二度とトライすらさせて貰えない。「お前はそんな事をしなくても構わないよ」という言葉は優しさではない。それがあの二人には分からないのだ。


 それに、私はやっぱり義人君が好き。義人君には瑠美より私の方が合っている。私は義人君を縛り付けたりしない。浮気しても、戻って来てくれればそれで良いから。


 そう、私は記憶を失ってはいない。義人君にこっぴどく振られた事も、浩司君と結婚した事も分かっている。時間が経つにつれ、その事実を受け入れきれず、押し潰されそうになった時に薬害の話を聞いた。頭の中に電気が走ったようにある計画が閃いた。これを実行し、もう一度義人君と幸せに暮らすんだ。


 私は記憶喪失を装った。今の関係を忘れた振りをして、、義人君の元に飛び込む為に。


 スマホの確認はギャンブルだったが、自信はあった。中身を確認すれば、必ず女の影が出てくると思っていた。だって義人君が大人しくしている筈がないと分かっていたから。私の確信は的中していた。その事実を知れば、真面目で潔癖な瑠美は許さない事も分かっていた。彼女が記憶喪失になっていたのは意外だったが、ラッキーだった。後は二人の溝を広げていき、その間に私が入り込めば良いだけだ。


 みんな私を馬鹿だと思っている。いや、確かに勉強は苦手だし、家事も得意じゃない。だけど、私は馬鹿でいつもニコニコしているだけのお人形じゃない。ちゃんと感情の有る人間なんだ。


「あっ!」


 いろいろ考え事してたら、ハムエッグを焦がしてしまった。おまけに黄身が割れてぐちゃぐちゃだ。


「あー、愛佳帰ってなかったのかよ……おはよう……」


 義人君が起きてきて私の顔を見て驚く。困ったような表情になったが、それ以上は何も言わずにおはようの挨拶をしてくれた。


「おはよう! 朝食作ってるんだよ」

「ああ、そうなんだ……ありがとう」


 義人君は眠そうな目をこすりながら席に着く。


「食パン焼いて、コーヒー淹れるから、もう少し待っててね」

「うん……」


 義人君は椅子に座りながら、スマホを触りだす。それが私は嬉しかった。私が朝食を用意していても、何の心配もしていないのだ。


「はい、出来ましたー」


 私は焦げている上に、目玉焼きかスクランブルエッグか分からないようなハムエッグと、切っただけのトマト、トーストとインスタントコーヒーをテーブルに並べた。


「ありがとう」


 義人君は並べられた食べ物を見ても、文句ひとつ言わずに食べ始める。私も嬉しくなり、一緒に食べ始めた。


「今日からずっと、私が義人君のお世話するからね」

「ええっ、それはダメだろ。お前、浩司と結婚しているんだぞ。家に帰らなきゃ」

「だって、私は覚えていないもん」

「覚えてないって……」

「じゃあ、瑠美ちゃんが帰って来るまで。義人君も一人じゃ困るでしょ?」


 義人君は、仕方ないなという表情を浮かべ、それ以上は何も言わなかった。


「今日は仕事? 何も無いなら、どこかに遊びに行こうよ」

「駄目だって。夕方から仕事だし、その前に寄らなきゃいけない所もあるから」

「どこに行くの?」

「どこだっていいだろ」


 私は知っている。きっと瑠美の実家だ。


「ごちそうさま」


 食べ終わって席を立ち、また寝室に戻ろうとした義人君を追いかけるように、私は背中に抱き着いた。


「義人君、好き」


 義人君は私が回した腕を優しく振りほどく。


「気持ちは嬉しいが、答えてあげる事は出来ないよ。俺が好きなのは瑠美なんだ」


 義人君は振り返る事もせずに、寝室に入り、ふすまを閉めた。


 昨晩もそうだ。義人君はまだ私を抱いてくれない。でも、焦るな。きっと我慢できなくなる。既成事実をつくればこっちのものよ。


 その後、義人君は寝室にこもったきり、顔を見せない。私が入って行こうとすると「入って来るな」と怒られた。仕方なく、私はリビングでテレビを見たり、スマホで動画を観たりして暇をつぶしていた。


 午後三時過ぎ、ふすまが開いて義人君が出てきた。デニムに淡い色のシャツ、スマートなイケメンだ。トートバッグも持っているので、出かけるようだ。


「仕事に行ってくる。俺が帰って来るまでに、浩司のところに戻れよ」


 義人君はぶっきらぼうにそう言った。


「いや。私はここに居るって言ってるでしょ」


 義人君はため息を吐いた。昔から、私が一度言い出したら、どんなに説得しても無理な事はみんな知っているのだ。


「晩御飯は何が良い?」

「晩御飯はいらない。家に帰れ」

「イヤだ。帰らない」

「もう……」


 義人君は舌打ちすると玄関に向かう。


「じゃあ、行ってくる」

「いってらっしゃーい!」


 義人君は笑顔を見せずに出て行く。私は笑顔で彼を見送った後、着替えて買い物に行くことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る