不倫の事情

 アパートから出て行った後、義人は瑠美と付き合い出した。二人の間でどんな話があったのか知らない。ただ、あの日以来、義人は劇的に変わったらしい。アルバイトしていた、ファミレスのチェーン店で正社員として働き出し、女遊びもやめたそうだ。二人はその半年後に結婚。今は幸せに暮らしていると噂で聞こえてきた。


 結局収まる所に収まった形だが、傷付いた人間からすれば何とも言えない気持ちになる。


 義人に復讐しても何もならない。悔しい気持ちは幸せに成る事でしか晴らせない。僕は義人と別れた愛佳と毎日連絡を取り合い、毎週デートに連れ出した。義人たちが結婚してすぐの頃、僕は告白をすっ飛ばしてプロポーズした。


「幸せにします。僕と結婚してください」


 ダイヤの指輪と一緒に捧げたプロポーズの言葉だ。シンプル過ぎるくらいだが、僕はキザな台詞を言えるようなタイプでは無かった。


 愛佳が「うん」と頷いてOKしてくれた時、僕は人生で一番喜んだ。派手にガッツポーズして飛び上がったくらい。


 あの頃の僕には見えていなかった。いや、見えていたけど、認めたくは無かったのか。あの時の愛佳の顔は、喜びと言うより、そうするしか仕方ないよね、と言う諦めの、醒めた表情だった事を。


 僕は結婚さえすれば全てが上手く行くと思っていた。たとえ心の中に好きな人が別に居たとしても、結婚生活を共にすれば愛情が芽生えてくると安易にそう考えていた。


 結婚してからも僕は愛佳に精一杯尽くした。尽くす事が嫌だとかしんどいとかの発想すら無かった。2LDKのハイツで仲良く暮らし、ただ愛佳がいつもそばに居てくれるだけで嬉しい。愛佳が専業主婦になっても、彼女が苦手な家事は殆ど僕がこなした。結婚前と変わらず毎週デートに連れ出したし、服や化粧品などもお金の許す限り買い与えた。収入の生活費以外のお金は全て愛佳の為に消費していたくらいだ。


 セックスに関しても経験が未熟な者なりに色々研究して喜ばせようとがんばった。だが、愛佳の態度は義人に向かっていたのとは違った。その証拠に僕達は一年目からセックスレスになったのだ。僕が誘っても疲れているとか眠たいだとか言い訳して相手にしてもらえなくなっている。


 それでも僕は愛佳に尽くし続けた。いつかは愛してくれる筈だと思って。だが、その頃から徐々に、僕は尽くす事自体が重荷になり、疲れや虚しさを感じ始める。愛佳に対しても苛立つ事が増え、彼女もそれを感じたのか、二人の仲が徐々に険悪になっていった。愛佳が出て行かなかったのは、行くところが無いからだろう。義人には振られていたし、実家は誠実で義父母思いの、僕の味方だったから。


 結局僕は義人の代わりにはなれなかった。何が足りないのかは全く分からないが、僕は男として義人より劣っているとハッキリ分かった。そんな絶望的な気持ちだった僕の前にある女性が現れた。


 彼女の名は織田友里。僕が配属替えで行った部署に所属している四つ年上の既婚女性だ。ショートカットで知的なイメージのする顔立ち、クールビューティーと言う言葉が良く似合う美女。仕事もそつなくこなしながら、多忙な配偶者の為に家事も全て引き受けている、男女ともに憧れの女性だった。


 配置換えでやってきた僕に、慣れるまでの説明役として友里さんが付いてくれた。一緒に仕事をし、ランチを共にしていくうちに僕達は打ち解けていく。


 ある日、仕事終わりに友里さんから飲みに行こうと誘われた。


「二人だけで飲みに行くって、旦那さんが怒るんじゃないですか?」

「大丈夫。うちの旦那はもう私には関心がないから飲みに行った事自体気付かないわ」


 そう言われたとしても、小心者の僕は普通の状況だったら行かなかっただろう。だが、今は愛佳とはセックスレスで、夫婦仲が上手くいっているとは言い難い。尽くしても愛して貰えない寂しさを誰かに聞いて欲しい気持ちもあった。そんな状況にあった僕は、友里さんからの誘いを受けて飲みに行った。


 飲み始めて、最初のうちは仕事の雑談をしていたが、酔いが回るに連れ、プライベートな愚痴の話が出だす。驚く事に友里さんの旦那は、本当に彼女に関心が無いらしい。こんな人が羨む女性を妻にしたのに放っておくなんて馬鹿だと思った。僕の方も愛佳への愚痴を聞いてもらい、お互いに傷を舐め合うような飲み会は終わった。


 そんな感じで、二人だけで飲みに行く関係になって三回目。友里さんからもう旦那とは半年もセックスレスだと告白された。その上、店を出ると酔ってしまったと腕を絡ませてくる。いくらヘタレな僕であってもこの状況で誘わないのは逆に失礼だと思い、ホテルに向かった。


 浮気と言う罪悪感がスパイスになるのか、友里さんとのセックスは今までで最高に興奮した。自分にこんなワイルドな面があったのかと驚くほどの最高の一夜は、僕に男としての自信を植え付けた。


 友里さんが浮気したのは、僕を好きになったからじゃない。それは表情や態度を見て分かっていた。だが、友里さんは僕以外でも相手を選ぶ事は出来た筈だ。わざわざ僕を選んでくれたと言う事は、僕に男としてそれだけの魅力を感じたからなのだ。


 僕は自信を得た事で愛佳に対する態度にも余裕が出て来た。不思議と愛佳に対して罪の意識は全く感じなかった。愛佳の愛情を感じられない所為で浮気したのだと、正当化していたのだ。


 そんな浮気の関係を三回持った。回を重ねる毎に自信は増し、愛佳との険悪な雰囲気も緩和されていった。こんな関係ならずっと続けて行く方がみんなの為じゃないかと思い始めた頃、友里さんからラインが入った。


(夫に浮気がバレました。全て話して私達は離婚するつもり。慰謝料は私が払います。本当にごめんなさい)


 僕は愕然としてしまった。


 友里さんは、旦那は私に興味が無いから気付く筈はないと言っていたが、何があったのか? いや、気付く可能性も当然考えるべきで僕の認識が甘かったのか。


 これからどうなるのか? 愛佳にもバラされてしまうのだろうか。そうなれば、愛佳はきっと出て行ってしまう。元々僕は愛されていないのだから当然だ。何もかも失うんだ。


 浮気がバレた瞬間に、芽生え始めていた僕の自信は見事に砕け散った。結局僕は誰からも愛されてはいないのだ。友里さんの気まぐれで浮気相手になれただけで、これで愛佳も去ってしまうだろう。友里さんもバレてしまえば、当然僕からは離れてしまう。男としての魅力が無い僕は一人になってしまうのだ。


 このラインが入ったのが昨日の事だ。それ以来友里さんからも、その旦那からも連絡は無い。このまま何も無しで終了すると考えるのは都合が良すぎるか。僕から連絡してでも様子を知りたいが、藪蛇になりそうでそれも出来ない。僕はきりきりと傷む胃を堪えながら、いつ来るか分からない死刑宣告を待っている。


 この一つ目の修羅場だけでも体を壊しそうなくらい気が重いのに、今日、もう一つの修羅場が発生した。

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