浩司と妻、愛佳の過去
僕達の関係がまた変化したのは二年半前、大学を卒業し、就職して二年目の冬の事。
ある日、瑠美から僕に会いたいと連絡が入った。喫茶店で会った瑠美の用件は、近々お見合いをするという話だった。
「義人はそれを知ってるの?」
俺は驚いてそう聞いた。
「えっ、どうして義人の名前が出てくるの?」
瑠美は少し驚いた後に、悲しそうな表情でそう言った。
「いや、だって……元々隣に住んでいたんだし……」
僕は言葉を濁した。彼女は自分の気持ちがばれる事を恐れているのだろう。
元々瑠美は良くモテた。裏表の無いサッパリとした性格で、面倒見も良く、彼女を悪く言う奴はいない。ボーイッシュな外見も活発な彼女に良く似合っていた。恐らくかなりの奴が告白しただろうが、殆ど付き合えず、運よく交際したとしてもすぐに別れていた。彼女は否定するだろうが、僕はその理由が義人に好意を持っているからだと思っていた。だからこそ、まだ若いこの年齢で、瑠美がお見合いをする事に驚いたのだ。
「義人は知らないと思う。うちの親も話を漏らさないように気を付けていたから」
僕はこの返事を聞いて、お見合いの理由が分かった。多分、瑠美の両親は娘を心配して義人から引き離そうとしたのだ。
「どうして僕にお見合いをすると教えてくれたの?」
僕の問い掛けに瑠美は黙ってしまった。
理由を言わないのであれば、こちらは推測するしかない。僕の考えはあくまで推測ではあるが、間違い無いと思っていた。
瑠美は僕から義人に話して欲しいのだ。瑠美は義人の事が好きだからだ。彼女はそれを表に出す事が出来ないまま過ごし、とうとう決断を迫られてしまった。これは最後の賭けだ。もし話を聞いても止めてくれないのなら、義人を諦めてお見合いするつもりなのだろう。
「分かった」
僕はただそれだけを伝えた。
義人に話に行こう。それは僕の望みにも繋がるのだから。
暗い表情の瑠美と別れた後、僕はすぐ義人に連絡を取り、その足で奴のアパートに向かった。
「おう、珍しいな。お前が来るなんて」
確かに自分の彼女に横恋慕して付きまとっている男が、わざわざアパートに来るのは珍しいだろう。
「電話した通り、瑠美の事で話があるんだ。上がっても良いか?」
「あ、俺は良いけど……」
義人は奥歯に物が挟まったような言い方をした。
「じゃあ、上がるそ」
「あ、浩司君……」
俺が奥に行くと、そこには愛佳が居た。
当然の事だったが、僕の頭からは抜けていて、その姿を見て酷く動揺してしまった。広くない2DKの室内が、突然酷く艶めかしく感じて、童貞の僕は立ち尽くしてしまう。
「どうしたんだ? 座れよ」
ぼうっと突っ立たままの僕を義人が促す。
「あ、ああ……」
僕が四人掛けダイニングテーブルに座ると向いに義人と愛佳が並んで座る。当然の事だが、初めての構図で苛立ちと怒りが混ざり合った、何かに当たり散らしたい気持ちになった。
「何だよ、瑠美の事で話があるって」
そう義人に聞かれて、本来の目的を思い出す。
「瑠美がお見合いするそうなんだ」
「えっ?」
僕の話を聞いて二人同時に驚きの声を漏らしたが、表情は対照的だった。喜びの表情を浮かべた愛佳に対して、義人は怪訝そうな顔をしている。
「お見合いって……なんで、瑠美がお見合いをするんだ?」
「なんでって、結婚したいからだろ」
義人が本当に不思議そうな顔でそう聞くので、僕は当たり前の事を教えてやった。
「わあ、瑠美ちゃん結婚するんだ! いいなあ……私も憧れる」
「ちょっと黙ってろ」
愛佳に対する義人の言葉にイラッとする。愛佳が結婚話に憧れるのは当然の事だ。義人の曖昧な態度の所為でどんなに毎日不安に暮らしていると思っているのか。
「お前、瑠美を止めなかったのか?」
義人はなぜか少し怒ったように俺に言う。
「当たり前だろ。どうして、瑠美が幸せになろうとしているのに、僕が止めるんだ」
「あっ? 瑠美が幸せになる? お前あいつの気持ちを……」
義人は僕に何か言おうとしたが、続く言葉を飲み込んだ。
「な、何だよ?」
「お見合いで結婚して幸せになれる訳ないだろ!」
「愛佳と同棲しているお前に、瑠美の幸せに対して何か言う資格なんてあるかよ!」
いつもは言い負かされる僕だが、今日は違う。こっちが有利な話題で、義人も動揺していつもの切れが無い。
「同棲なんてしてないっつーの。こいつが勝手に押し掛けてくるだけで、一緒に暮らしてなんか無いんだよ」
「えっ? 義人君……」
愛佳の悲しそうな顔が見ていて苦しかった。
「お前、いい加減にしろよ! 言って良い事と悪い事があるだろ」
僕は立ち上がり座っている義人の肩を掴んだ。興奮で手が震えているが、勇気を振り絞って立ち向かった。
「いい加減にするのはお前の方だろ。愛佳の事が好きなんだろ? なのに口説く事も出来ずにストーカーみたいな真似しやがって。可哀想だから、愛佳がどんなセックスするか教えてやろうか? 俺がじっくり調教してやったから、物凄くエロいぜ」
「お、お前は……」
僕は目の前が暗くなる程の怒りに震えた。
「違うの! 浩司君は私を好きとかじゃ無いの。優しいから相談に乗ってくれていただけなの。お願い信じて。私が好きなのは義人君だけで、浩司君とは何でもないの!」
僕は愛佳の言葉を聞いて力が抜けた。怒りのパワーを横から吸い取られたみたいだ。
「瑠美は利口だな。お見合いで結婚して、お前みたいなクズと縁が切れるんだから」
悔し紛れの言葉だったが、義人には効いたようだ。ハッとした顔をしている。
「瑠美に聞いてくる。お見合いは絶対に止めさせる」
「お前がそんな事言える立場かよ」
義人が自分の望み通りの行動をしようとしているのに、僕は一言言わずにいられなかった。
「愛佳、お前もうここに来るな」
「えっ? どうして?」
「もうお別れだ。俺はお前と結婚する気は無い。一緒に居ても幸せになれないから、もう来るな」
酷い言い方だ。もう九年も付き合っていて、今更そんな事言うなんて。
僕はそう思ったが望み通りなので黙っていた。
「それでも良い。結婚してくれなくても良いから……一番じゃなくても良いから……」
それは言うな……頼むから言わないでくれ……。
義人を引き止めようと必死で涙を流して頼む愛佳を見て、胸が張り裂けそうだった。大好きな女が、捨てられた上にその男に縋りつく姿を見ていなきゃならないなんて。
「キモイ女だな。そんなに俺のアレが欲しいのか」
義人は冷たい目をして愛佳に言い放った。愛佳は魂が抜けたように椅子に腰かけたまま呆然としている。
僕はこの言葉にキレてしまった。ウゴォォと訳の分からない唸り声を上げて、義人に掴み掛かる。喧嘩など一度もした事はないが、義人の顔に拳を一発お見舞い出来た。
「お前らキモイ者同士でお似合いだよ」
義人は僕に反撃する事も無く、コートを掴むと、そう捨て台詞を残して部屋を出て行った。残された僕は、愛佳に掛ける上手い言葉が見つからず、ただずっと泣いている彼女を見つめ続けていた。
「私、義人君に振られちゃった」
しばらくして、涙に濡れた顔を上げ、引きつった笑顔になる愛佳。
「良かったんだよ。あんな奴と縁が切れて、これからは幸せになれるんだ」
こんな状況でも、僕が幸せにしてやると言えない自分に腹が立つ。
「さあ、もうここから出よう。愛佳の家まで送って行くよ」
僕の中古の車で家まで送る途中、愛佳はずっと黙ったままだった。あれだけの酷い言葉を浴びせられたのだから当然の事だろう。愛佳の心の傷は絶対に僕が癒してやると、ひそかに誓った。
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