裏切られた苦しみ

 「スキンクリア」は俺も商品名を聞いた事がある。脳に刺激を与え、肌の新陳代謝を飛躍的に高める美容サプリで、効果が高いと評判が良く、かなりヒットしている商品だ。


『『スキンクリア』を服用しますと、僅かな確率ではありますが、記憶障害の副作用が確認されました。個人差はありますが、約三年間の記憶が消えてしまう障害で、現時点では治療の方法が見つかってはいません。被害者は数百人規模に膨らむ可能性も考えられます。もし発症した場合はお近くの病院か製薬会社までご連絡をお願いします』


 アナウンサーのレポートが終わると、画面は正規のニューススタジオに切り替わった。


『レポートありがとうございました。まず現状の防止策は使用を即時にやめる事ですから、もしお知り合いにも『スキンクリア』を使用している可能性があれば連絡してあげてください。短期間では解決策が見つからない場合も考えられます。後日でもこの件で新情報が入ればお伝えしていきます』


 テレビでは次のニュースに話題が移った。もう用が無いと思ったのか、友里がリモコンでテレビの電源をオフにした。


「お前もしかして、『スキンクリア』を使っていたのか?」

「使っているよ」


 友里は俺と目を合わさずにそう答える。


「ええっ! いつからだ?」

「いつからって、私言ったよね。使い出した時に、こんなサプリを勧められたのって」


 友里は俺の方を見て、強い口調でそう言った。


 嘘を吐いている顔じゃない。じゃあ俺が忘れていただけか。


「どうなんだ? 記憶が消えた感じは無いのか?」

「三年も記憶が消えたなら、浮気の事を覚えている筈はないでしょ」


 友里の言う通りだ。今のところは記憶に問題は無いのだろう。


「明日は休めるの?」

「ああ、今週はちゃんと土日とも休めるよ」


 今日は金曜の夜だ。友里と話をする為に、今週末は休日を確保していた。


「じゃあ、話の続きは明日にしてくれない。お互いもう少し冷静になった方が良いでしょ」


 確かにそうする方が良いだろう。離婚するにしても、再構築するにしても、俺は友里の気持ちを聞かない事には納得できないし、前には進めない。


「ああ、それで良い。俺もいろいろ考えるよ。ただ、スマホは預からせてくれ。間男に連絡を取られたくないから」

「分かったわ。でも、あなたに浮気がバレた事はもう伝えてあるから」


 友里は特に不満そうな感じも無く、スマホをテーブルの上に置いた。


「じゃあ、シャワーを浴びて寝るわ」


 友里はそう言って自分の寝室に着替えを取りに行った。


 俺達の自宅は三年と少し前に購入した3LDKの新築分譲マンション。駅からも近く高級マンションと言える物件だ。


 夜遅くまで懸命に働いているからこそ、買えるマンションだと俺は思っている。だが、子供の居ない夫婦にはこのマンションは広過ぎた。俺の帰宅が遅くなる為に寝室を別にした。それが二人の距離を遠ざける結果になっている。


 俺達は半年程夫婦の行為が無く、所謂セックスレス状態になっていた。別にしたく無かった訳じゃ無い。タイミングが合わなかっただけだ。ただ、そのタイミングを合わそうとしていなかった事も事実だ。だが、だからと言って、浮気した事を許す気にもなれない。


 俺は友里がお風呂から上がり彼女の寝室に入った後、シャワーを浴びて自分の寝室に入った。


 眠れないのは分かっているが、自分のベッドにもぐり込む。ベッドに横たわり天井を見つめていると、様々な友里との思い出が頭に浮かんで来た。


 大学で付き合い出して、結婚して毎日一緒に生活して、全てが幸せな思い出で、その中の友里はいつも輝くような笑顔だった。


 だが、友里は浮気した。


 それを思い出すと叫び出したくなる程苦しい。幸せな思い出も、浮気と言う裏切りの前では全て色褪せた。


 どんな表情で抱かれていたのか? 


 俺との時より感じていたのか?


 悔しいし苦しい。男を殺してやりたい。


 俺は布団の中で身悶えした。


 このまま友里の寝室に乗り込んで滅茶苦茶に犯してやろうか。男の記憶なんて全て上書きされるぐらいに俺の全てを体中にしみ込ませ、二度と忘れられないようにしてやりたい。


 だが、俺は自分の寝室を出て行くことが出来なかった。怖かったのだ。もし友里が受け入れてくれなかったら。いくら無理やり犯しても、あの冷たい目で見つめ続けられたら、もう男として二度と立ち直れない。


 友里があんな態度でいる限り再構築は難しいだろう。浮気は過ちだったと心から謝罪してくれれば俺の傷も癒えるのだが。


 友里はもう俺を愛してはいないのか……。だとしてもなぜ浮気までする前に話をしてくれなかったのか……。


 ……いや、友里なりにサインは出していたのかも知れない……。俺は仕事しか見ていなかった。友里がどんなサインを送っていたとしても見逃していただろう……。


「離婚するしかもう道は無いのか……」


 俺は天井に向かって呟いた。



 結局俺は、悶々として眠れないまま夜を明かした。朝になりベッドの中でグダグダと憂鬱な気分を持て余している。すると、キッチンの方から物音がした。


 友里は起きているのか……七時か……出勤日ならもう起きていないといけない時間だ。あいつも眠れなかったのかな……。


 なんか久しぶりだな。こうやってベッドの中で友里が台所仕事をしている音を聞くのも。


 俺の方が出勤時間が早いのだが、結婚当初は友里が先に起きて朝食の準備をしてくれていた。だが、最近は友里も自分の出勤時間に合わせて起きるので、俺の朝食の時間には間に合わない。共稼ぎなのに家事の一切を担ってくれている友里に無理は言えず、最近俺は通勤途中で朝食を取るようになっていた。


 俺は布団から出て、寝間着のままでダイニングに向かった。


 朝から昨日の話の続きをして険悪な雰囲気になる必要も無いだろう。もし、友里が朝食を作ってくれているのなら、笑顔で一緒に食事を取ろう。


「おはよう!」


 俺がダイニングに行くとエプロン姿の友里が明るい声と笑顔で迎えてくれた。テーブルの上にはハムエッグにトースト、レタスとトマトのサラダが並んでいる。昔よく友里が用意してくれた朝食だ。


「おはよう! 美味しそうな朝食だな」


 俺は大袈裟な笑顔を作ってそう言った。


 不思議な気分だった。演技している自分が白々しくもあり、嬉しくもある。お互い演技だったとしても仲の良かった昔に戻ったようで嬉しかったのだ。


「ごめんね。時間大丈夫? もう少し早くに起こせば良かったね」


 椅子に座った俺にコーヒーを出しながら友里が申し訳なさそうに言った。


「えっ? 時間って……」


 俺は友里の言葉の意味が分からず聞き返した。

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