第36話:弊社ディレクターと社長が言い争いをした件。

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【前回のあらすじ】


 姉さん! 事件です!

 新入社員のいばらぎちゃんこと、辛城しんじょういばらさんこと、いばらちゃんが明日から出社することになりました。


 ぼくは、いばらちゃんに〝瑞樹みずきくん〟と名前で呼ばれることになりました。

 ぼくは、いばらぎちゃんのことを、〝いばらちゃん〟と、名前で呼ぶことになりました。

 今までよりも、ちょっと仲良くなれた気がします。


 そしてよくよく考えたら、ぼくは彼女のれんちゃんに、〝乙葉おとはくん〟と、苗字で呼ばれていることに今更ながら気がつきました。


 うん、よくよく考えたら、ちょっとおかしな気がしました。

 れんちゃんにも、〝瑞樹みずきくん〟って呼ばれたくなってきました。

 姉さん、そこのところ、どう思います?

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 ぼくは、いばらちゃんを見送ると、お米を炊いた。

 四合分だ。いつもより一合多い。

 このあと、一時間ほど水に浸してスイッチを押す。逆算して7時頃には晩御飯が食べられる計算だ。


 ぼくが、ご飯をといで自分の席に戻ろうとすると、れんちゃんと、崔峰さいほうさんが帰り支度をしていた。

 時計は5時前をさしている。定時の8時にはまだずいぶんと早い。


 でも大丈夫だ。問題ない。弊社は自由な社風がウリなのだ。

 (注:スケジュールがオンスケの場合に限ります)


「これから、ショッピングですか?」

「そーざーます! ザギンでお買い物ざーます。その後、すき焼きを食べるざーます」

崔峰さいほうさんが、おごってくれるんだって」

「そうざーます! 甘いお肉と生卵のハーモニー! 甘党でタマゴ好きのケフちゃんに、ぜがひでも食べさせたいのでざーます! 松坂牛と比内鶏ひないどりの卵の二重奏は格別なんざーます!」

「えへへ……楽しみ」


 れんちゃんは、卵と聞いて顔をほころばしている。


 可愛い。


 れんちゃん、本当に卵が好きなんだなぁ。今度から家の近所のおひとりさま1パックまでの特売品の卵は、ふたりで買いに行くことにしよう。絶対にそうしよう。

 ぼくは、悲しいふところ事情と、年明けに計画したお引っ越しの資金集めのために気を引き締めた。


 ガシャン

 ガシャン


 れんちゃんと、崔峰さいほうさんがタイムカードを押す。


「それじゃ、お先に失礼します」

「お先に失礼しマスオさん」

「お疲れ様でした」

 

 ぼくは、れんちゃんと、崔峰さいほうさんを見送ると、まだ全くもって白紙のままの、乙女ゲーの攻略キャラ、残り4人のことをなんとなーく考えつつ、とりあえず、先に手がつけられそうな背景リストの作成を始めた。


 予算と納期を考えたら、多分20枚くらい? 時間の差分は一旦、昼夕夜の三段階をマックスで持とう。以前、崔峰さいほうさんに、


「夕日と朝日は全然違う! ストリートファイターのリュウとケンくらい違う! タイムボカンとヤッターマンくらい違う!」


って、怒られたけど、予算は限られているのだ。ここは涙を飲んでもらおう。きっと20年後には技術が進歩して自在に色調が変更できるはずだ。詳しいことはよくわかんないけど、そんな気がしないでもないでもない。


 ぼくが、そんな夢物語をぼんやりと考えながら、Excelでかちゃかちゃと背景リストとファイル名の定義をしていると、頭の後ろから言い争う声が聞こえてきた。


「ですから、ターゲットが女性でここの予算を厚くしないのはありえないです!」

「うーん、言いたいことはわかるけど、これ、全体予算の半分に迫ってしまうよ?」

「ですから、予算を増やすべきです!」

「うーん、わかるよ、わかるんだけど……でもねぇ」


 鹿島かしまさんと発子はつこさんの声だ。ふたりが言い争うなんて珍しい。

 いや、入社して半年、今まで聞いたことが無い。


「では、予算をもっと工面する方法を考えましょう。せっかく冬コミで自社の企業ブースを出すんですから」

「わかった。わかったよ。鹿島かしまくんがそこまで言うなら、できるだけ予算を拡充しよう。ただ、うちは有限会社だ。所詮は零細企業だ。〝博打〟にも限度がある。君なら、そこは当然理解しているよね?」

「……はぃぃ……」 


 すいぶんと発子はつこさんの語気が強い。ぼくは悪い予感がして振り返った。

 発子はつこさんが、鹿島かしまさんの肩に手をおいて、微笑んでいる。


 怖い。


 悪い予感は的中した。今、きっと鹿島かしまさんの肩は、ミシミシと悲鳴をあげているはずだ。今にも粉砕しそうになっているはずだ。


「はっはっは。まあ、他でもない鹿島かしまくんの頼みだ。予算は再検討するよ。それに鹿島かしまくんにもそれなりの勝算があるみたいだしね」

「はい。とはいえ、その為には、乙葉おとはくん、あと新入社員の辛城しんじょうさんの了承が必要なのですが……」

「はっはっは。まあ、適当にたのむよ。適して当たってくれたまえ!」


 そういうと発子はつこさんは、トートバッグとブランドモノのバッグをかかえて席を立った。

 ぼくは、時計を見た。もうとっくに五時をまわっている。


 発子はつこさんは、そのまま足早に玄関まで行って、タイムカードを押して帰っていった。


 ぼくは、鹿島かしまさんをみた。鹿島かしまさんは、発子はつこさんにつかまれた右肩を押さえて、ヨロヨロとインターネット席(うちの会社は、インターネットにつながるPCを資料閲覧用の一台にしてある)に座ると、鬼気迫る勢いてマウスを操り始めた。


 鹿島かしまさん、予算アップを発子はつこさんにお願いしていたけど、何に使うんだろう?


 気になる。


 気になるけれども、ぼくなんかが考えてもきっとわかりっこないから、6時になるまで背景リストの雛形を起こして、炊飯器のスイッチを押した。

 今日は男らしく、惣菜屋さんでジャンボチキンカツを買って食べるのだ。


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