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中央線快速列車に乗り、四ッ谷を抜けて新宿駅で降りる。
この駅はいつだってどこかしらが工事中だ。東京の大学に入ってかれこれ一年余りが過ぎたが、わたしは一度もこの駅の完璧な姿を見たことがない。ホームを出てエスカレータを下っていくと、ビニールシートとカラーコーンが壁に張り巡らされていた。先週は山手線。今週は中央線だった。
東側の改札を抜け、ルミネの横の階段をすり抜けて地上階へ。地下街に迷い込むと抜け出せなくなるから、いつも早めに地上に出ることにしていた。
外に出ると小雨が降っていた。あいにく傘は持っていない。仕方なくわたしはブリーフケースを笠代わりにして、アルタ前の交差点を駆け抜けた。
レッド・クラウンは、新宿にあるライブバー兼カフェだ。わたしも何度か来たことがあった。もっともわたしはまだ十九であるから、おおっぴらに行けたものではないけれど。
東口から徒歩十分。小走りで行けば七、八分くらい。大通りから少し逸れて、さらに路地裏を抜けていった先、雑居ビルの地下階層。そこが”レッド・クラウン”ライブ・バー・アンド・カフェだった。軒先にはチョークボードが出ており、そこにはただ一言「本日オープンマイク」とだけ記されていた。どうやら今日は決まった出演者はいないらしい。
薄暗い階段を降りて、店内へ。さび付いた真っ赤な扉を開けると、とたんに聴覚がゼロになった。大音量で音楽が響いていた。それまで聞こえていた雑踏の音、信号機が鳴らすロバート・バーンズや、足踏みのオーケストラ、サイレンの鼓動はすべてかき消された。一点、爆音で流れるセイント・ヴィンセントの『ロサンジェルス』だけが店内を支配していた。
暖色系のライトが照らし出す店内。オープンマイクのステージにアーティストはおらず、マイクだけがポツンとそこにいた。もちろんスポットライトも照らす必要が無いからと、休憩に入っていた。店内は酷い暗さだった。
そんななか、テーブル席で大学生だかバンドサークルだかわからない連中が酒盛りをしていた。わたしは一瞬彼らに一瞥をくれたが――一年前に離縁状を突きつけた古巣じゃないかと思った。でも違った――すぐに目をそらした。わたしの目的は、そんな大学生の群れじゃなかったからだ。
一人、カウンター席で酔い潰れている女がいた。派手な紫色のパーカーを着込み、髪はハッとするようなスカイブルーをした女。彼女はそれまでかけていた丸眼鏡を外してテーブルに突っ伏し、しかし口元では
「塔子!」
わたしはギターケースを隣の椅子に下ろした。塔子の肩を揺さぶってみたが、灰がテーブルの上に落ちるきりだった。
わたしがそうこうしていると、カウンターの向こうから男が一人。この店では比較的日が浅いアルバイトで、フロアスタッフをしている男だった。マッシュヘアにパリッとした制服のシャツ。彼は塔子を見るなり首を傾げた。
「あー、雨宮さん。待ってたよ。塔子ちゃんてばスッゴい飲み方して酔い潰れちゃって」
「ええ。さっき吐いたって連絡がきたから、飛んで来たんですよ」
わたしは〈吐いた〉の一言のLINEを彼に見せつけた。もっとも彼には「ご愁傷様です……」の一言を漏らすぐらいしかできなかったけど。
「塔子、ほら。起きて。あんたまだ九時前だっていうのに、どんだけ飲んでんの」
「えー……」と、やっと塔子が意識を取り戻した。「だってさあ。五限が休講になったから、どっか遊びに行こうと思って。ハッピーアワーだっていうから飲み過ぎちゃって。それで、いい音楽を聴きたいからレッド・クラウンに来たって言うのに、今日はどのバンドも来ないっていうからさ。あたしもうやんなっちゃって、スコッチをストレートで喰らっちゃったワケですよ」
「飲み過ぎ。ほら、駅まで送るから。ちゃんと立ってよ。勘定は済ませた?」
わたしがそう問うと、奥で店員がコクコクと二回ほどうなずいた。こういうとこだけはしっかりしている。すでに耳そろえて払っていたらしい。
「ほら立って。肩貸すから」
「いいわよ、別に。あたしゃそんな酔ってないっつの。それより、いいライブミュージックが聞けると思ってきたのにこれよ。オープンマイクだっていうのに、弾き語りのプロテストシンガー一人も出て来ないんだもん。あそこのチャラい軽音サークルだって、ステージに上がろうとしないし。きっとこのあとどこのホテルに行くかしか考えてないわけよ! なんてね!」
「塔子、あんた大声でそういうコト言ってると……」
「っていうかさあ!」
塔子はやっとの思いで立ち上がった。かと思えば、隠し持っていたスコッチ・ウィスキーのグラスをぐいっとあおった。腰に手を当て、まるで風呂上がりの牛乳でも飲むかのように。でもそれはウィスキーだ。アルコール度数はおよそ四十度。きっと喉は焼けるような熱さだろうに。
「純、あんたが歌ってよ。何のためにギター背負ってんのよ。あんた自他共に認める天才シンガーソングライターでしょうに」
「大声でそういうこと言うの止めて。塔子、あんた酔ってるの。ほら、帰るよ」
それから結局、わたしはレッド・クラウンの店員に五階ぐらい謝って、塔子を店から引きずり出した。
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