3-5

 引き戸を閉めて部室を出た。ため息ひとつ。

 私はあらためて「なんで?」という問いが頭によぎった。ただ新宿の街角で偶然にも遭遇して、私がブーケをなすりつけただけの彼女。その彼女が、どうして私に歌詞を書いて寄越すわけ? それに自分以外の人間と音楽をするのがイヤだって。そんな人間がどうして赤の他人の私に歌詞を書いて渡すのだ? 謎は深まるばかり。というか、解決に進んですらいない。

「これ、ほんとに彼女が書いた歌詞なの……?」

 もしかしてブーケを捨ててしまうほど投げやりな私に、元気を出してもらおうとした彼女なりのメッセージ? 

 あ、なんかそのほうが理由としてそれっぽい気がしてきた。彼女なりに「その花束は街角に捨ててしまうようなものじゃなくて、たとえそれを持つことが痛みであったとしても、君が持っているべきだ」とでも伝えようとした? そう考え出すと、あの歌詞はそう語っているようにも思えてきた。

「いや、考えすぎでしょ。ていうか、なんでこんな曲を――」

 十九歳で、世界が滅んで欲しいなんて青臭くてスノッブな曲を私に書いて寄越したんだ?

 私がそうつぶやこうとしたときだ。


「雨宮の曲でしょ、それ」

 ヒールがコンクリートの床を叩く音。それが鉄筋コンクリートに反響していく。

 女がいた。ハッとするようなスカイブルーのショートヘアに、なにかのロゴが入った黒のTシャツと、ダメージ加工がされたスキニーパンツ。手元には煙をあげる煙草があった。

「やつなら御茶ノ水にあるスタジオにいるよ。今日は一限だけで、そのあとの講義なら、あいつ資格と成績優秀で免除したらしいから」

「え?」

 私は思わず声を上げ、彼女のほうに振り返った。

 水色の髪をした彼女は、ちょうど私がさっきまでいた音楽サークルの横、怪しげな張り紙をした部室の扉を開けた。『現代思想学研究会』と裏紙にマッキーの太字で書き付けただけの看板。それ以外は特になく、ポスターだとかも何一つ貼られていなかった。

「あの、雨宮さんの知り合いですか?」

「まあね」

 と彼女はつぶやく。煙草の灰を廊下の排水溝に流して、残りの一センチを吸いきる。吸い殻は同じように排水溝へ捨てた。

 それから青髪の彼女は、私のことを舐めるように見つめた。頭のテッペンから足の爪先まで。特にそのティファニーブルーみたいな色をした瞳――おもっきしカラコン。生まれつきそんな色のハズないでしょ――は、私を見極めるみたいだった。

「学部の知り合いっていうか、サークルの知り合いっていうか。あいつを現代思想学研究会このサークルに匿ってやってると言ったほうがいいかな。ほら、あいついろんなサークルから恨み買ってるから。とくに軽音系はみんな敵に回してる」

「それはさっき色々聞いて回って知りました」

「全サークルに聞いて回ったわけ? そりゃ噛みつかれるね……。まあ、あいつに興味があるならそのスタジオに行くと良いよ。たぶんあんたのこと待ってるだろうから」

「それってどういう意味です? 雨宮さんって、独り切りで決して誰ともバンドを組まないって言ってましたけど。それがなんで私に?」

「さあ? 惚れたのかもよ。あいつはスミスとモリッシーってなると目じゃないからね。一年のときに処女を奪われた男だってそうだったらしいし」

「スミスとモリッシー?」

「あんた知らないの? じゃあストーンローゼズは?」

「サリー・シナモンですよね」

「それは知ってんだ。まあいいけど」

 彼女はそう言うと、スマートフォンにマップを出して、それを私に見せてくれた。御茶ノ水の雑居ビルにある小さな楽器屋だった。

「LINEのアカウント教えて。地図送るから。ほら、QR」

 言われるがまま、私はQRを表示して見せる。彼女はすぐに読み取って、友達申請。地図へのリンクを送ってきた。

 彼女のアカウントの名には、”江守塔子”とあった。

「あたしは塔子。哲学科二年。まあ、一年留年っていうか、放浪しているから、年上だけど。そのへんは気にしなくていいから」

「はあ」

 私、どう反応したらいいかわからなくって。とりあえず変な相づちを打ってしまった。でもまあ、それでもよかったのかもしれない。

「じゃあ、行ってみますけど。私、本当によくわからないんですけど。ただ私は、あの花束をどうにかしたいだけなので」

「あの萎れかけの花束?」

「その萎れかけの花束です」

「ふぅん。でも、たぶんそれが純を焚きつけた原因だと思うけどね」

「どういうことです?」

「さあね」

 江守塔子はパーカーのポケットから煙草を取り出すと、またライターで火をつけた。それからまた怪しげな部室の中に消えていった。

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