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 そういうわけで、私は人生で三度目の花束を手にした。そして言う前でもなく、それは最悪の花束だった。初恋の人の挙式で手に入れた花束なんて、それもその人の挙式のブーケトスだなんて、皮肉にもほどがある。

 披露宴の席で私はずっとそのブーケを持っていたけど、隣の席のおばさんが「よかったわねえ」なんて言う度に、眉間にしわが増えていった。必死に取り繕った笑みで「ほんと、うれしいです」なんて言ったけれど、そのたびに私の中のオーケストラがワーグナーを演奏しようかどうかためらっていた。

 しかしそんな私の思いとは裏腹に、披露宴は何の滞りもなく始まった。

 兄さんと、その花嫁――泉舞結って言うらしい。先月からは芳屋舞結だけど――の二人を囲んで余興が始まった。兄さんの高校時代の友達がはやりの芸人の真似をして、内輪でしか笑えないようなコントをして、内輪だけの大笑いをかっさらっていった。

 それから次に出てきたのは、バンド演奏だった。

 会場が突如暗転したかと思うと、スクリーンにはライブハウスにのステージに立つ四人組が大写しになった。写っていたのは、ギターをつかんだ女の人の写真。そう、花嫁の彼女の姿だった。

 そうして再び光がステージに戻ったかと思えば、同じように四人組が現れた。真っ黒いスーツに、この蒸し暑い六月に分厚いミリタリージャケットを羽織って、楽器を担いだ四人組だった。

「突然のことで驚かせてすみません。ですが、安心してください。余興のバンド演奏です。気を楽にして、楽しんでください」

 真っ赤なギターを持った大学生風の彼は、マイクをつかんで言った。

 隣のテーブルに座っていた男性陣が声を上げた。指笛がひゅーっと鳴り、「いいぞー!」と大声が鳴る。私の隣に座つ塚田おばさんも「まあ、バンド演奏ですって」とちょっとうれしそうだった。

 でも、それはこの会場が求めるものとは違ったのだ。

 フロントに立つ彼は、ギターを抱えながらこう言った。

「まずはじめに謝罪をしておきます。このあと起きることは、きっとみなさんを怒らせるかもしれないので。特にお義兄さん、あなたを」

 ――お義兄さん?

 私がそう思うのも束の間、彼は話しを続けた。

「知っている方もいるかと思いますが、僕は泉舞結――ここでは敢えて旧姓で呼ばせてもらいます――の弟で、泉雄貴と言います。今は東京の大学に通いながら、ここにいる南奏純と二人でバンド活動をしています。ただその前に、僕はかつて違うバンドにも所属していました。そのときは僕はギターを弾けず、ボーカル担当だったんですが……。まあ、それがいまスクリーンに映った写真の正体です。シスターズ・ルームというバンドでした。ベースはさっき祝辞で盛大に噛んでいた千鳥円さん」

 奥に控えた長身の女ベーシストが小さく会釈した。

「ドラムは姉さんの大学時代の同級生、保志賢人さん。そしてギタリストは、何を隠そう我が姉、泉舞結だったんです。ご存じでしたか?」

 会場が騒然とする。誰もこの花嫁が元ロックバンドのギタリストだなんて知らなかったらしい。私もその一人だった。だって、彼女のことなんて何も知らないし。さっきまで流れていた思い出のスライドショーでも、バンドのバの字すら出て来なかったのだから。

 弟の彼は、しばらく姉と一緒にやったバンドのことを語った。そのときの楽しかったこと。姉に誘われて音楽に目覚め、駆け抜けるように過ごした一年のこと。大好きだった泉舞結のこと。今目の前にいる芳屋舞結じゃなくて、かつて彼の前にいた泉舞結のことを。思い出に浸るみたいに。でも彼の語り口は、ただ昔を懐かしむのとは違う気がした。

 つまり、彼からは私と同じ匂いがしたのだ。

 誰かに取られてしまう最愛の人に、と爪を突き立てる青臭い心を。

「前置きが長くなりました」

 泉雄貴は、肩から提げていたギターを手に取り、姉=花嫁の前に突き立てた。

「ごめんなさい、お義兄さん。一瞬だけ姉をお借りします。芳屋舞結じゃなくて、泉舞結として。……頼む姉さん、弾いてくれ」

 彼の言葉に、花嫁は行動で答えた。ギターをつかむと、弦と指板の間に挟んでいたピックを取り上げて、コードをかき鳴らした。歪んだ音があたり一面に広がって、会場はある種の静寂を得た。

「曲はオアシスで、『アクイース』」

 瞬間、特徴的なリフレインが弾けて、曲が始まった。


 それからはあっという間だった。彼らはもう三、四曲披露したら、もう満足したというような様子で座席に戻っていった。ギターをかき鳴らしていたドレス姿の花嫁も、すっかり元の調子に戻っていた。まるでもうバンドには決別して、一家を支える妻になることを決めました、と言わんばかりに。またそれに爪を突き立てていた弟も、すっかりなりを潜めてどこかに消えてしまった。私の中の騎兵隊たちが消えてしまったように。ワーグナーの演奏が終わってしまったように。


 時間通りに式は終わり、披露宴も終わり、時間通りに二次会は始まった。私は十九歳だったけど、誰もそんなの気にせずにお酒をくれた。

 私は席の端っこで知らない男の人とどうでもいい言葉を交わし、話の内容を右から左へ受け流しつつ、ただグラスを傾けた。そういう気分だった。ナンパで心が満たされるハズがないし。かといってアルコールで気が紛れるわけでもない。膝の上にのせた花束が重たくのしかかっている。早くこの罪をどこかの誰かに渡してしまいたい。でも、あの人の前でそんなこと言えるはずがない。

 だから感覚を麻痺させようとアルコールを飲んだんだと思う。

 しばらくして、ブーケを口実に五人目のナンパがやってきたころ。私は時間通りに荷物をまとめて店を出た。

 最後に兄さんがやってきて、別れの挨拶なんかしてくれるかなと思ったけど、そんなことなかった。当然のことだけど、私の独りよがりな片思いの勘違いだったのだから。いまの彼には私よりも大切な人がいるのだから。

 時間通りに来た新幹線に飛び乗ると、とたんに不安と恐怖と、しかしそれでも早く東京に戻りたいという気持ちが増していった。

 スマホには、兄さんからのメッセージなんて無かった。ただ二ヶ月前にきた式のお誘いのやりとりが残っている、それだけだった。

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